結構好きです
はっさく大福!
世間にさらされ宗教が宗教になる
最近ちょくちょく尋ねてくるエホバの証人。物腰の柔らかいご婦人が差し出す、名前を伏せたQRコード付きのパンフレット。その資料が布教のしにくさを物語る。献血拒否に児童虐待、キリスト教はよくわからないが、確か「最も小さい者」に仕えるのがキリスト教ではなかったのか。この「最も小さい者」でもある子どもらを踏み躙るエホバの証人は、キリストを冒涜していないのか。あれこれ思いを巡らせる中、物腰柔らかいご婦人のその笑顔を妙に不気味に感じ始める。そしてその理不尽たるこの世の闇を垣間見た思いでいっぱいになる。
何もエホバの証人だけでは無い。浄土真宗が行った第二次世界大戦への若者の斡旋、オウム真理教のサリン事件に、統一教会による政界への浸透工作。そういえば30年前の創価学会もすごかった。信者増やすためなら暴力団顔負けの、行け行けだったあの頃のことを思い出した。
そう、1970,80年代の創価学会は本当にすごかった。小学校から友人の話だが、高校を卒業して三交代の工場に就職、そうこうするうちに創価学会に入会、青年部か何かでかなり頑張っていたのだが、脱会を決意してからの嫌がらせは常軌を逸する凄まじいものだった。連日連夜の嫌がらせ電話は会社にまで及んだ。追いかけられた末に車は大破。あの頃の、信者を増やすだけのためにひたすら恐怖を煽っていた創価学会の勢いは本当にすごかった。
でも今や創価学会は新興宗教の中でもメジャーな宗教になり守りに入り始めている。守るものができると、以前のように人目を気にせず入会者を増やすようなことはできなくなる。そしてあの激しく荒々しい創価学会の魅力は削がれて若者は会から離れていく。結局組織内の高齢化は避けられなくなっていく。
それにしても、統一教会の問題が創価学会に飛び火しない気持ち悪さ。政治とメディアを牛耳る創価学会、この不気味な巨塔への嫌悪はここではっきりと伝えておき話を進める。とりあえず創価学会は政教分離から始めないといけないと思う。幸福実現党も然り、そこに執着するかぎり、一般人は恐怖を感じ続ける。総本山たる信濃町近くの住人だから、怖くてなかなか言えないが。
そうはいうものの、政教分離の一線をあからさまに超えてしまった後ろめたさが創価学会にあるとすれば、それは一皮剥けるチャンスかもしれない。日蓮宗しかり、浄土真宗もまたしかり、新興宗教はいずれかのタイミングで汚い面が世間に晒される。それを問われ、世間となんとか折り合いをつけ、また世間に問われる。その繰り返しで宗教団体は成熟し社会に根付く。創価学会はまだ社会的には賛同者の少ない団体だ。だが今がその大切な一歩が今だとしたら、政治に手を出した事を良い教訓にできる可能性は十分にある。
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