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初日のホテル
その初日のホテルだが、殺風景な部屋にお湯の出ないシャワー、天井にはヤモリだかなんだかわからない生き物がちょろちょろと這っていた。部屋は広かったが、その後のホテルのほとんどがドミトリーだったので、初日の宿泊代はその10倍くらいは払っていたように記憶している。
そして到着時は真っ暗でどこにいるのかわからなかったのだが、翌日外に出てみると、空港からはあまり離れていない模様、リキシャに長く乗っていたように記憶していたのでかなり緊張していたのだと思う。
ホテルから移動しニューデリーへ
そのホテルからどうやってニューデリーの駅にたどり着いたか覚えていないが、なんとか駅にたどりつき市内を観光。その間に当初の予定だったムンバイやゴア、そのあたりからカルカッタを目指すべく作戦を立てる。
そんなこんなで駅前でダラダラしていると、バスのポン引きに見つかりしつこく勧誘される。「西はずっと洪水が続いていて楽しくない。とってもきれいな湖が北にあるから、そっちに行かないか」と言われ、ノーと言えない日本人は言われるがままにバスに乗り込まざるを得ない始末。とりあえず西洋人も乗っているから大丈夫と自分に言い聞かせて北を目指した。
バスで移動
バスは快適にはほど遠い。シートは硬くリクライニングなんて以ての外。背もたれなんてほぼ直角、みんな姿勢良く乗るしか無い。そして運転がとにかく荒い。車を徐行させるために設けられている数百メートルごとに敷かれた車止めもお構いなく通過するので、一定のリズムで乗客が宙に浮く。でも皆さん慣れたもので、じっと車内で耐えている。多分一昼夜は走っていたと思うのだが、途中大勢の怪我人が乗り込んできたのにはびっくりした。事故を起こしたバスに乗っていた怪我人を近くの村まで運ぶべく停車したみたいだった。軽傷とはいえ血を流している人もいたので、これからどうなるか不安がよぎった。
どこで何を食べたのかは全く覚えていない。ただ途中停まるところで他の乗客がやっているように食べたり飲んだりした。多分その時にはすでに朝チャイを飲む習慣ができ、チャイ中毒になるきっかけにもなったように思う。
あっ、行き先は?
そういえば行き先を書いていなかった。行き先はシュリーナガル、wikiによるとデリーから876km北に位置する場所とある。ダル湖に浮かぶハウスボートが有名で私もそこで何泊かした。ただ、今も昔もカシミール紛争の影響で危険な場所だと認識されている。
まだ途中なのに飛行機に
シュリーナガルを目指して順調にバスは走っていたのだが、途中のどこだかで降ろされてしまった。どうも雨の影響で道路が使えなくなったらしい。臨機応変に対応するにはあまりにも拙い英語、これから何をどうしたらよいのか途方に暮れたが、幸いバスに乗っていたフランス人ドイツ人と仲良くなり、彼らと飛行機でシュリーナガルに向かうことにした。
どこだったかわからないが、飛行場がある場所なので大きな街だったのではないかと思う。そこで飛行機の搭乗交渉、フランス人がとても旅慣れている感じの人だったので、彼に任せて私は後ろで頷くだけ。彼がインド人を押し除け半ば強引にチケットをとってくれたおかげで、なんとか飛行機に乗る事ができた。
続く)
旅行中、いろんな人に出会いましたが、中でも感染症に罹患してると思わしき人に出会った時の衝撃的といったら…。
雑踏からいきなりハンセン氏病と思わしき鼻の無い女性が現れたり、足が胴体ぐらいに膨れ上がった象皮病の方が縁側でひなたぼっこしていたり…。
悪いと思っても、目を背けずにはいられません。
そうなんです、最近予防接種の事を考えると、その頃の事を思い出してしまうんです。
衛生状態を良くしたり、ワクチンを接種したり、お薬がすぐに手に入れられるような状況になれば防げるんだろうと。
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