日曜は末っ子と久しぶりに二人っきりでのデート
うちは子どもが4人の6人家族、最初はこんなに大家族になるとは思ってもいませんでした。
人並みに、兄弟はいたほうが良いかなぁ…程度の感じだったと思います。
だから2人くらいでちょうどいいと思ってたんです。
20年くらい前かな、まだ長男だけの時、高田馬場にある整骨院に勤めていました。
そこで治療させてもらっていた90歳近くの女性がおられました。
その方に
「子どもが多いと自分の時間的にも経済的にも大変だから、子どもって一人か二人ぐらいで十分だと思う…」
なんて話をしたら、、
「そんなことはあなたが決めることじゃないのよ。それは神様が決めること。子どもがちゃーんと自分で食い扶持を持って生まれてくるから、生まれてきた子をただ育てたらいいだけなのよ!」
なんて事を言われて…
それで、、
「なんとかなりそう…」
って(勘違いって怖いですよね)(^◇^;)
子育てについて、
思いつくといえばこの2つかな…
⭐️「生まれてきた子を育てるだけ」
⭐️「子どもは預かりもの」
⭐️「生まれてきた子を育てるだけ」
というのはいつも思っていることです。
これまたいつも考えている「死ぬまで生き続ける」ということと重なること。
「生まれてきた子を育てるだけ」
「死ぬまで生き続けるだけ」
って、とっても当たり前のことなのですが、これ以上でもこれ以下でもない、ただ淡々と生まれてきた子を育てるだけ、そして死ぬまで生き続けることこそ尊い事かと思うのです。
四の五の言わず、生まれてきたんだから育てるっきゃない!
そういう考えなんで、話は飛ぶけど、出生前の検査って実はどういう意味があるのかよくわからないです。
ダウンちゃんだけが染色体異常ではないし、生まれてから先天性の異常が判明するケースもあるし、予防接種の事故や交通事故等々…
全ての先天性異常が検査で判明する訳ではないですからね。
どう考えるか、とても難しいです。
検査して不安が少なくなるならアリだと思う!
でも妊娠期に心配事を増やす事につながらないかなぁ…とも思っています。
私も最初は男の子がいいとか女の子がいいとか色々考えてた。
でも妊娠途中から元気だったらそれでいいって思うようになって、、
最終的には「息さえしててくれたらなんとかする」…って思うようになりました。
それが親心…というか、年長者として当然のことかと思うのです。
そういえば以前こんなブログ書いてました。
「もしも先天性異常の可能性があるなら、今から勉強しとかなきゃ!ね」
なんて明るい感じで言われた患者さんもおられました。
その方とお話して、出生前診断の考え方も変わりましたが…
「生まれてからも色々あるよ」
いや……
「生まれてからのほうが色々あるよ」
外見全く元気で健康で問題なさそうなのに、集団生活ができないとか、学習障害あるとか、すぐに攻撃してしまうとか…
そういう子の親御さんって、暗黙のうちに責められている気持ちになってて…
親の教育が悪いとか、そういうレベルの問題じゃないのにね。
脳の問題なのにね。
世間はそう思ってくれない…
これ、とても辛いです。
だから生まれる前にあれこれ考えるというの、ホントにわからないです。
というか、どんな子が生まれてきたとしても、自分らが死んでも大丈夫なようにしようとするのが親じゃないのかと思うんです、
ということで、「生まれた子どもを社会に返すまで育てきる!」ッてことだけでいいんじゃないの…というのが次の話。
⭐️「子どもは預かりもの」
というのもいつも思うことです。
これは3年前に書いたブログです。
子どもを育てれば多かれ少なかれ色々な事があると思います。自分ではどうしようもないことだって多々あります。
そんな時に思い出してもらいたいのが、どんな子が生まれようがそれは神様からの預かりもの。頭でごちゃごちゃ考えずにただただひたすらにその場その場に合わせて子どもを育てればいいだけなんじゃないかなあって事。
生意気なこと書いてました^^;
子どもって、自分の所有物ではないですからね。
「神様(社会)から預かった大切な命」というだけなんだと思うんです。
だから自分の足でチャンと歩けるようになるまで育てるだけ。
これで子育てがなんとかなるかどうか、正直わかりません。
でも今の所ちゃんと子どもをしてるので、このまま育ってくれたら嬉しいな!って思っています。
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