「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

霊媒や占いクソくらえ!

2024年02月15日 | 考えていることとか思っていることとか
なんだか春みたいに暖かい日が続いています。
まだ2月なんですけどね(^_^;)


【昨年12月に書いたブログです】
不安を、占いやネットといった、小手先の手段に解を求めるのではなく、それをしっかりと見据えて生きる感じ。そんなことを背中で教えることができる親でありたいと思っている。

親の死や金銭のゴタゴタ等が続き、それを友人に相談したら、占い師を紹介されたという患者さんがいた。何気ない気持ちで占ってもらいに行ったところ、家の事を聞こうとしたら家族の事を、家族の事を聞こうとしたらその方の事を、結局聞きたいことははぐらかし続ける。なんだか不信感を抱いたまま終わってしまったという。

生年月日か手相かわからないが、体調不良が5月におとずれるという。その話を占い等をよく知る別の友人にしたら、それは九星気学だね、と言うではないか。誰にでも通じる一般論で信用させて、先ずは各論から目を逸らす。話を重ねつつ対象者を知り、言葉巧みに信用させていく。でも本物はそんな回りくどいことはしないから、紹介した人も騙されやすい人なんだろうね、と。

何を持ってしての本物かはさておき、何を持ってしての運不運なのか。だいいち運の良し悪しを誰が決めるのか。占いを統計学だと宣う人も多くいるが、その結果をジャッジするのは自分だけだ。目の前に横たわり続ける、世間一般には「不幸」と言われるもののオンパレードも、実は自らを形成する上でとても大切な事象になるかもしれない。

どんな苦しい人生にも意味がある。「人生が何をわれわれから期待しているのか」という発想が必要なのだとフランクルは言っているが、私も実にそう思う。そこらへん、親鸞聖人が祈祷や占いを全否定しているのにも通じると思っている。何が起ころうが阿弥陀が必ず救うんだから、祈祷や占いを信じて、そいつらの金づるになる必要はないんだよ、って。

ところでこのブログにも書いたが「これからがこれまでを決める」という言葉も方位や占いから遠ざかる言葉になった。そう、どんな辛い経験も、これからの生き方で、あの大変なことが自らの肥やしになったと思えるような生き方を。どんなに羽振りの良さそうな人でも、誰もが何かを抱えて生きているのだ。そんな考えとともに生きてきたので、人の弱みに付け込むスピ系占い商売が大っ嫌いなのだ。

商売で思い出した。情弱の好む言葉に巧みに騙されていくあの感じ、サプリや自然食品もスピや霊能に負けず劣らずの情弱ビジネス。騙されたいと思う人が行くところだと思えば何の感慨も浮かばない。そんなんに金払って気持ちが落ち着くんならサプリ自然食金運開運商法にせっせと貢げばいい。まぁ、クソどうでもいいことだが、たまに私を占いに巻き込もうとする輩が出没する。私が西に行こうが東に行こうが、それで何が起きようとも自らで引き受ける。あんたには全く関係ない。

そういう輩が寄りつかないよう、虫除けスプレー的ブログが定期的に必要なのだ


フランクルは絶望が支配するナチスの強制収容所を生き延びた人物です。
「人生から期待できること」がほぼ皆無の状況で、「生きる意味」を見失いませんでした。
さらに、「人生が何をわれわれから期待しているか」を問う思考法によって、他者に生きる力を与え続けました。


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