「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

頼る人を間違えさせないためにもね、子どもの好きを大切に子育てしたいところ、、

2024年09月05日 | 子育て
毎日の弁当ですが、圧力鍋で炊いたご飯は冷凍しているし、煮卵と浅漬けを常備してるので、あとお肉を焼くかお魚を焼くか、みたいな感じです。
いまのところ、あと2合しかないお米をどこで調達するか、(^◇^;)
ほんと、どこのスーパーにもお米が売ってなくて、、
まぁ、パンもうどんもラーメンもあるし、お米なくて本当に困るようなことがあったら近所の方に恵んでもらえばいいので、そこまでは心配していないのですが、、

【7月書いたブログより】
大人になってからの親子関係の崩壊、なるべくして、というのを多く垣間見てきたので、勉強よりも出世よりも、今この瞬間を生きる子どもたちの無意識を大事にすることの方が、余程大切なのよと、そんなことを書きました。

オリンピックを見て思ったこと。やり遂げたとかやりきったとか、石の上にも三年、とばかりに、忍耐やら辛抱やら、頑張りこそが美徳だと強要する親やコーチは今でも多くって。子どももね、嫌なのに続けさせられたらストレスばかり貯まるというもの。

子どもって、わかんないけど面白そう、で始めるじゃん。一度やると言ったんだから最後まで続けなさい!っていうの、違うと思うのよ。だってなんだか楽しそうだからやってみたけどなんか違う、みたいなのを繰り返しながら、自分の好きを見つけていくのが子どもなんだから。子どもの特性を知らずに、子どもが好きそうだからという理由だけで習い事を押し付けて、継続こそが美徳とばかりに、やめたいと言ってもやめさせてくれない。そんな感じで育てられ、自らの興味を親に剥ぎ取られ結果、親子関係はとことん破綻。そりゃそうだよね、親に好きを奪われ続けてきたんだから、反抗して当然だよね。

小さい時に勉強や運動ができるとか根気やらを見せると後が大変。だって下手にできるのを見せたら親が勘違いしちゃうから。そして他のことに手を出せなくしちゃうから。本当なら自らの興味に従って色々なことをやって、色々な人に会って、わからないことや知らないことを尋ねる力、そして頼る力を養うことこそが大切なのに、それこそが小さい時に身に着けなければ行けないことなのに、オリンピックを観て、自分の子も、みたいにカツを入れるのって、てめえなんて、町の大会でさえも1番になれなかっただろ、ってなことを言いたくもなっちゃう。

オリンピックを見て、親子鷹で頑張ってる人のことを思い出した。でも親が手を出してうまく行くことの方が少ないの。フィギュアの荒川静香さんが子育ての話の中で「娘がスケートをやりたいと言ったけど却下した。だって絶対に口出ししちゃうから」って言ってたみたいだけど、これホントにそう。世界一にもなった人物だから、その世界のことは何でも見えちゃうし、親子って遠慮がないので、つい言っちゃうかも、っていう不安、大いにあると思うし、それをちゃんと弁えてる荒川さんすごすぎです。

大体において、子に対する抑えきれない感情は悪い方に行ってしまうもの。ほんと、親子でスポーツに取り組んでうまくいってるだんて、親子共々かなりの聖人君主だと思っておいたほうが良いです。まあ、そうでも思わなければ、やってられなかった派のこの私、これほんとに難しいから、勉強も運動もプロに任せて、親は関わらないのが絶対にいい。

話は脱線するけど、24時間テレビでチャリティーランナーを務めたやす子さんの、ちょっと前にフワちゃんとのあれこれで話題になったやす子オリンピックの話、「生きてるだけで偉いので皆優勝でーす」っていうの、大きくうなづくし、そう自分に言い聞かせたい。生きているだけで本当にすごいことなんだから。でもなにかを成さなきゃ、みたいなところに自らの目的を持っていったら、立ち位置を忘れることもあると思うのです。もちろんエネルギーのある人はどんどんやればいい。でも大概の人がそうじゃない。だから多くの人が今を悶々と過ごしているわけ。ほんと生きているだけですごいことだっていうのを、事あるごとにしっかりと心に留めておく作業をしておいたほうがね、絶対に生きやすくなる。

ところでフワちゃん、今回の件がよいきっかけになれば良いんだけど。これが自分の意識改革につながったら、多分もう少し生きやすくなるんじゃないかと思う。彼女みたいに、今いる場所が自分の居場所かはたまたしんどい場所かわからなくなって、結局しんどい方にしんどい方に行く人って結構いる。多分取り巻きもずるい人ばかりなんだと思う。そういう取り巻きが彼女に毒を吐かせて小銭を巻き上げているのだと思うとほんとに切ない。そう、頼る人を間違えたらこうなっちゃうわけ。こういう子って、周りにいる大人が子どもの好きを取り上げ続けた結果のように思うの。でも助けてくれる人は絶対いるから、この機会にずるい人を見極めて、本当にフワちゃんのことを思っている人に頼ることができるようになるのを願うばかり。

家事育児を第一とし、好きな詩作を諦めつつある中で、あるべき姿を失った自己への呼びかけが作品の本質である。
「みんなちがって、みんないい。」と無理やり自分を納得させようとしたのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿