「おおしたさん」のブログです

2005年6月に始めたこのブログ、鍼灸院をやってた頃のことを含め、今も気ままに書いています。

子どもが加害者になる心配と肌感覚

2023年05月15日 | 子育て
雨ですね
紫陽花の季節になってきましたね


子どもが犯罪を犯す側に回ったらどうしよう。その心配に同意を求められる事が多々ある。だが普通に育てていれば、犯罪への加担だなんてできやしない。そう思って育てていた気がする。小心な心を持つ私の子どもたちが、そんな大それた事に手を出せるわけがないし、それ以前に、そういったものを遠ざける嗅覚を教えたつもりだ。だから心配すらできなかった。

とはいえ知らないうちに、その片棒を担がされる事があるかもしれない。また最近の犯罪は巧妙に仕組まれるので、いつの間にか加担していた、といった事があるかもしれない。

何が起きても不思議ではないご時世だ、親の心配はよくわかる。親としては、被害者になる可能性より、加害者になる心配の方が大きいのもよくわかる。ネットが普及しまくっている今、知らず知らずのうちに加害者になるといった可能性が否定できないのだから。

話は飛ぶが、あのエホバの証人ですら団体名は隠したQRコード付きのハガキを置いていく時代だ。ネット上での諸々なんて、全てを過保護に守る事なんてできやしない。そんな、いつ加害者に回るかわからない時代に子育てしているからこそ、普段から相談できる関係性を構築しておく必要があるのだが、いや待てよ、そうならないために先ずできる事があるだろ、と声を大にして言ってやりたい。

うん、親が、年長者が、大人が子どもに教えられるのは、加藤諦三先生やマドモアゼル愛先生が言うところの「非社会性」や「ポピュラリティ」だけだ。これを意識できるかどうかで犯罪に巻き込まれる可能性が極端に減る。そう、これらを意識する事で、相手が放つ違和感に気づく事ができる。ひいては雰囲気からしてこの人は危険だと感じる事ができれば、おいそれとはその道に進む事なんてできやしない。特殊詐欺だろうが新興宗教だろうが、おかしい人をおかしいと気づけるようにする。それが親の一番の役目だと思うのだ。(ポピュラリティ)(非社会性

生物学者レイチェル・カーソンは「「知る」事は「感じる」事の半分も重要ではない」」と言っている。そう、子ども時分に五感をフルに使う事がどれほど大切か、わかっていない人が多すぎる。学ぶ事よりも感じる事が幼少期にどれだけ大切か、雰囲気の違う人を肌で感じる訓練がどれだけ大切か、そんなの脳トレでは到底得ることなんてできやしない。テストやらクイズやら、記憶力だけを過剰に喜ぶ年長者がいるから、医学部を出ても麻原彰晃の危険性を見抜けない輩が生まれるのだ。親がこれまで体験してきた他者との共存、その良し悪しを、肌感覚を介して伝えていれば、危機察知能力は磨かれるはずなのに。それが自己肯定感向上にもつながるはずなのに。それを教えるのが家族であり、そのための我々年長者なのだ。もちろん勉強を否定するわけではない。勉強は大いに結構。ただ肌感覚が養われていない高学歴者が多い事に苦言を呈したいだけなのだ。一番大切な多感な時に寝る間を惜しんで塾に行き、五感を使わない脳トレだけをさせられるのをどう捉えるか。皆さんはどう思われるだろう。


ここに書いたように、、、
視覚や聴覚ではなく触覚をちゃんと育てられた子は大丈夫!

ーーーーーーー
小さい時に「見ることができても触れられないもの」に依存し過ぎると、他者と自分の区別がつかず自己形成が歪つになる。

ふむふむ_φ(・_・!!!!!

それで「人と繋がる」ことを是とする感覚が育たなくなり、ますます生きにくくなる。

自身のオリジナリティーが確立している人ほどこの「普通」への意識は成功するために大切なのだろう。歌も服装も言動も「普通」からは程遠いが、自らの歌をよく聴くであろう人々を分析しているからこそ、多くの名曲を生み出してきたとも言えるのではないだろうか。やはり自らのオリジナリティーだけでは多くの人の足を止めるまでにはいかないが、そこにポピュラリティが備わって初めて高いレベルでアートの分野を切り開くことができるのだろうと思った次第だ。

家族という小さな集団でこの暗黙の了解を身につけつつ、コミュニティで暮らすための裏ルールを学ぶわけだが、その暗黙の裏ルールに気づくことができず、なぜ人が自分を忌み嫌うのかわからない、という人は確かに存在する。

『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない』

知識よりも感性を磨く事の大切さ、その感性を育てるためには自然から学ぶ事が一番大切!



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2 コメント

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Unknown (flying_gold_tiger)
2023-05-15 20:32:07
少し話は異なりますが、パワハラ、セクハラなども受け手側の感覚で決められるようなことなので、いつ加害者にさせられか分からない時代です。
また男性でも「私は女性だ」と言えば女子トイレに入れたり、スポーツであれば男性でも女性の大会に出場できて優勝したりといったこともあります。
何か「言ったもん勝ち」「言われたもん負け」の世の中になりつつある中で、おっしゃるように子供たちには感性を磨くことが一番求められているのかもしれませんね。
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flying_gold_tigerさま (わたし)
2023-05-16 06:26:43
確かにパワハラ、セクハラ等、こちらがどれだけ気をつけようと。いつ加害者にさせられるか分かりませんよね(;^_^A
でも五感をしっかり育てられた子、特にしっかりと触れられてきた子は、危機察知能力が高いように思います。
鍼灸師としてそう思う事しきりです。
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