先日10日間のお休みをいただいておこなったヴィパサナー瞑想ですが、帰ってからも瞑想を続けています。まだまだ妄想で終始しているのですが、なぜだか座りたくなる自分がいます。
実はここ10年、3日治療院を空けたことがない私です。よく10日時間を作ったものだと思っています。
でも何故この機会を逃したらダメだよっていう気持ちになったのだろう。
10日間誰とも話をしないし目も合わせない、という非日常に興味を抱いたのも事実ですし、瞑想がどんなものかに興味を抱いたのも事実です。
ただ座って呼吸だけを観察する。ただ座って頭の先から頭の先まで身体に起こった反応を観察する。これを毎日12時間ひたすらに繰り返すだけ。
妄想が頭を離れないけど、やることは単純明快。
やっていることの意味、そのバックグラウンドの説明は毎日いろんな角度からなされます。ですからやってることの意味が日を追うごとにわかってくる(気になる^^;)。
今この瞬間だけを感じる作業、これは本当によかったです。脳がしっかり休んだ、そんな感じがします。
(特に何かに開眼したということもなく、そういうことを期待することもなく…。「何か見えた??」なんて愚問にはチョット^^;)
10日間運動全くしていないのに、昼寝も夕方も寝ているのに、夜ぐっすり寝ることができたというのもビックリしました。対人関係で使いまくっていた脳の部分を休ますことができたのが良かったのではないかと思っています。
ところで、なんでここまで無理してまで時間をつくったのでしょうか。3日も時間がとれれば温泉とか行けばいいものを、10日も時間作ってただ同じ所で座り続けて、何故に幸福感に包まれたのでしょう。
帰ってきていろんな人と話をしながらふと思った事が、エディプス・コンプレックスです。探してみたら以前こんなことを書いていました。
2010年07月09日 | 雑感
53歳で亡くなったオヤジの歳に近づくにつれ、ふと思い出すこの年齡。すこしでも気持ちを楽にしたいというのと瞑想がリンクしたのではないかとも考えました。
講話の中で
「人は生まれてすぐに泣く。これは空気が吸いたいという欲求。そのあとオッパイが欲しいから始まり、あれがほしいこれが欲しいと欲にまみれていく。でも欲にまみれていては上手くは死ねない。死期迫る自分の周りにどれだけ家族が佇んでいようと人は孤独の中で死んでいく」
そんな類の話がありましたが、あれも捨てられないこれも捨てられない…で来たから、そろそろ捨てていく作業をしなくちゃ!ということかもしれません。
まあ、この忙しい時期に、高校受験を控えている子どもがいるにもかかわらず、本当によく行ったものだと、今でも感心する次第です。
もちろん家族には訝しがられましたが、行って正解だったと心から思っています。
【ご案内】
先週の金曜日、SHIBAURA HOUSEさんでの母親学級最終回、1時間程お話させてもらいました。
内容は陰陽五行や十干十二支が生活にどんな感じで入り込んでいるのかとか、五行的な身体の観察とか、触れることについてオキシトシンや迷走神経を絡めながら話させていただきました。
これでとりあえず終了です。お招きいただきありがとうございました。
2016年度ですが、1月14日(木)10時半より港区子ども家庭支援センターにてスキンタッチ教室を行う予定です。こちらもよろしくお願いします。
あと、3月13日(日)に港区立男女平等参画センター(Libra)でもお話をする予定です。
近くなったら連絡したいと思っています。
とりあえず一つ終わってホッとしました。ありがとうございました。
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