衆議院議院会館での仕事帰りにたまに寄る日枝神社さん。
千本鳥居もなかなかいいですね。
それなりに、毎日喜びを感じつつ生きているつもりの私だが、世間は苦海だとの思いが心のどこかに流れていたりする。世の中は思い通りにいかなくて当然、との思いに、流れに身を任せる事を一義として生きてきた自分がいる。
「変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことはそのまま受け入れましょう。起きてしまったことを嘆いているよりも、これからできることを皆で一緒に考えましょう」
加藤諦三さんがテレフォン人生相談のイントロで使う言葉である。私はこの変えられないことへの閾値が低いようで、諦めてしまうのがとても早い。この諦めという選択こそが、自分の証だとも思っていたが、見方を変えれば、努力を放棄しそれをいつも正当化してきた、とも捉えることができる。
でも一人、抗い続ける子どもがいる。やり切ったと思ってもらいたいのだが、やりたいことのために、まだ踏ん切りがつかないようだ。もう十分だと思うのだが、私の遺伝子を全く引き継がず、自ら苦海に飛び込み飲み込まれるのを良しとする。果たしてそれが良いのか悪いのか。中学受験がうまくいかなかった時も(1)、地元元の公立で根性を見せた。とにかく流れにとことん逆らい続ける姿勢に、何もそこまでしなくても、との思いが拭えないのだ。こうしたい、こうありたいと思うことに素直に挑戦する。私には全く無い姿勢である。だから子どもの頑張りを垣間見て、自分にとっての「変えられないこと」への定義があまりに狭いことを、いつも思い知らされてしまうのである。
やり遂げる。これはうちの代議士もそうである。小さい時から傍らで見てきたが、とにかくやりたいことを全力でやり遂げるその姿勢に、何故そこまで頑張り続けることができるのか、疑問に思うことも多々あった。議員にチャレンジするも何度も落選、でも全く諦める素振りが全くない。それどころか俄然やる気を出している様、自分が政治家をやらなければ誰がやるのだと言わんばかりのその熱さ。そして何を言われても、どんな時もぶれない「自分が好き」というさじ加減。これまた自分に無いものを多分に持っていて、それに感化されそうで相当怖い。あの、どれだけ頑張っても時の風に左右されてしまう、運の作用も非常に高い選挙に出続ける姿勢も含め、感心すること頻りである。
そんな、自分に無いものを持つ身内に囲まれて、私も少しだけだが変わりたい気持ちが強くなっているようである。諦めるのが早い私にとって、子どもや代議士の存在は貴重かもしれない。
あのひっそりとした治療院の一室で一人で何時間も勉強していたのを思い出してしまい、電柱の影で号泣してしまったのを覚えています。
(息子には恥ずかしい思いをさせてしまいました^^;)
そう…、彼の頑張りは本当にすごかったのです。
受かったにせよ受からなかったにせよ、その頑張りに感情をおさえる事ができませんでした。
でも結果は「不合格」
準備期間が短いだけでなく、目標設定も曖昧だったと思います。
そりゃぁそうですよね。
中学受験のために何年もかけて勉強してきた子と勝負するわけですから。
(息子には恥ずかしい思いをさせてしまいました^^;)
そう…、彼の頑張りは本当にすごかったのです。
受かったにせよ受からなかったにせよ、その頑張りに感情をおさえる事ができませんでした。
でも結果は「不合格」
準備期間が短いだけでなく、目標設定も曖昧だったと思います。
そりゃぁそうですよね。
中学受験のために何年もかけて勉強してきた子と勝負するわけですから。
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