聖書VS日月神示[神の怒り」と「地獄」は存在するの家しないのか?「宇宙の知性」の真意が知りたくての中で、キリスト教では地獄があるとしているけれど、日本ではどうかという検証をしておられた。
それによると、日本では本来地獄という概念がなく、お釈迦様の説かれた本来の仏教にも地獄はないそうである。(仏教の地獄の話はヒンヅー教から来たものらしい)
それから物理学者の中に神仏(創造主)の存在を語る人が多いそうである。
その事に関するIn Deepの記事の一部を,以下に引用させて頂く。
やっぱり、ここまで緻密に計算尽くされた世界が、偶然形成される等有り得ないと私も思っていたので、わが意を得たりという感想である。
(以下引用)
ミチオ・カク著『パラレル・ワールド』 物理学者が考える「宇宙の意味」より
michio-kaku-03.jpg
創造主の問題は、「科学は神の実在について何かを語れるのか?」という問題も提起する。
かつて神学者のパウル・ティリッヒは、「神」という言葉を臆面もなしに語れる科学者は物理学者だけだと言った。
実際、人類にとって最大級の疑問 -- 大いなる設計は存在するのか? 存在するとすれば設計者はいるのか? 理性と啓示のどちらが真理に到達する正しい道なのか? -- に取り組んでいるのは、科学者では物理学者しかいない。(略)
ひも理論に見られるような、多くの宇宙の存在を可能にする理論を、だれかが設計したのだろうか? 宇宙が微調整された時計のようなものなら、それを作った時計職人はいるのだろうか。
この意味で、ひも理論は「神には選択の余地はあったのか」という疑問に解決の光を投げかけてくれる。アインシュタインは、宇宙論を考え出そうとするたびに、自分ならどう宇宙を設計しただろうかと問うた。
そのうちに彼は、神には選択の余地がなかったかもしれないという考えに傾いた。
ひも理論は、この見方の正しさを立証してくれそうに見える。
相対性理論と量子論を結びつけようとすると、目立たないが致命的な欠陥 -- 爆発的な発散と、理論の対称性を損なう異常性 -- に満ちていることに気づかされる。
この発散と異常性を解消するには強力な対称性を取り込むしかなく、その点でM理論にはなにより強力な対称性がひそんでいる。つまり、必要なすべての条件を満たす単一のユニークな理論が存在する可能性があるのだ。(略)
私をはじめ一部の物理学者が考えているように、いずれ現実世界を支配する究極の法則が -- ひょっとするとたかたが数センチの -- 式一本で表せたとしても、次にはこんな疑問がわく。
「この式はどこから得られたのか?」
ここにあります、
> 「この式はどこから得られたのか?」
というのは、上のミチオ・カクさんの文章では「宇宙を設計したもの」というニュアンスと関係するもので、つまり、「何がこの(あまりにも正確な)宇宙の法則をもたらしたのか」という意味です。
物理学の世界が究極的なレベルにまで達したとした場合、「式」そののものが完ぺきであればあるほど、この「この式はどこから得られたのか?」という、「深遠な疑問」はさらに強いものとなっていくと思われます。
晩年のフレッド・ホイル博士の著作にも「宇宙の知性」が記述されていました。
『生命( DNA )は宇宙を流れる』という、パンスペミア説や「進化論の否定」、「ビッグバンの否定」などについて記されている著書の最終章で、ホイル博士は以下のように述べています。
フレッド・ホイル著『生命( DNA )は宇宙を流れる』
第11章 コズミック・インテリジェンス より
興味深いことに、われわれが到達した結論、すなわち宇宙に知性があることをロジカルに要請することは、世界の主だった宗教の教義と整合性がある。
世界中のさまざまな文化の中で、「創造主」は独自のすがた形をとる。エホバ、ブラフマー、アラー、天の父、神……宗教の数だけ呼び名もある。
けれども、その根底に横たわる概念は、どれも一緒だ。それは、宇宙は -- 特に生命の世界は -- 想像もつかないほど強力な人間型の知性を持つ「存在」によって創造されたということだ。
地球に暮らしたことのある人間の圧倒的多数が、この概念を完全に、無条件に、本能的に受け入れていたことを忘れてはいけない。
生物にこんな意識を持たせるのは、遺伝子のはたらきである。ひょっとすると、その「存在」がわれわれの部品を創造することにあたって、自らの起源についての真実を本能的に悟るように、遺伝子に細工しておいたのかもしれない。
優れた科学者たちが、その時点で最も進んだ科学で宇宙を考えれば考えるほど、
「宇宙の設計者の存在」
と
「宇宙の永遠性の問題」
に突き当たる。
最高の科学の先に待ち受けているのは、いつでも「創造主の存在」だという感覚があります。
しかし、創造主がどのようなことを私たちにおこない、そして、私たちはどのように(思想的な意味での)対応をしていけばいいのかはまったくわかりません。
もしかすると、地球単位での大きな変化もそれほど先ではないかもしれない時代に、私たちは確実に存在するとしか思えなくなってきている「創造主」とどのように向きあうかを考える時に来ているのかもしれません。
イエメン戦争を巡って大変な事が起きようとしている様である。
事の始めは、下記マスコミに載らない海外記事の記述のように、イエメン大統領が辞任させられ、フーシがイエメン暫定政府を組織した事であった。
(紫字は引用部分)
ハーディー大統領が、ワシントンとサウジ王家に迎合しことで、イエメンで国民の大半から非常に不人気になっていた。二カ月後の、11月8日、ハーディー大統領の与党、イエメン国民全体会議も、指導者としてのハーディーを排除することになった。
1月20日、最終的にフーシはハーディー大統領を拘束し、大統領官邸や他のイエメン政府庁舎を占拠した。国民の支持を得て、2月6日、二週間をやや過ぎた時点で、フーシは正式にイエメン暫定政府を組織した。ハーディーは辞任を強いられた。
(中略)
フーシによるサナア占拠は、イラン、ヒズボラ、シリアや、彼らや他の現地勢力が集団的に形成しているレジスタンス同盟の一連の作戦成功や、地域での勝利と同じ時期に起きた。シリアでは、シリア政府が、自らの陣地の強化に成功しており、イラクでは、ISIL/ISIS/ダエシ運動は、イランと、テヘランと同盟している現地イラク人民兵による顕著な助力を受けたイラクによって押し返されつつある。
イランが、中東の安全保障機構と安定性の上で、中心的なものとなったことが明らかになり、中東における戦略的均衡が変わりはじめた。サウジ王家とイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフが、イランは、地域の四首都-ベイルート、ダマスカス、バグダッドと、サナアを支配していると泣き言を言い、文句をいいはじめ - イランの拡張を止める為に、何かをしなければならない。新たな戦略的均衡の結果、イランとその地域的同盟国を無力化するという目的で、イスラエルとサウジ王家は、戦略的に、完全に協力するようになった。
サウジアラビアは、イエメンが正式にイランと同盟し、アラビア半島で、
サウジ王家に対する新たな叛乱をもたらしかねないのを、あからさまに恐れていたらしい。
田中宇さんは下記記事を書いておられる
「米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ」
【2015年3月31日】 米国のイエメン撤退が隠れた意図を持っていたとしたら、その究極の意図は、フーシ派がイエメンの政権を取って内戦を終わらせて安定させることでない。米国のイエメン撤退は、サウジを標的にした戦略だろう。イランの影響下にあるフーシ派がイエメンを乗っ取ると、イランを敵視するイエメンの隣国サウジアラビアが、軍事介入せざるを得なくなる。サウジは、米国がイエメン総撤退によってフーシ派を強化した経緯を、隣国として詳細に見ている。だから、サウジはイエメンを空爆する際、米国に頼らず、直前まで米国に知らせずに挙行せざるを得なかった。
多分田中さんの「米国のイエメン撤退は、サウジを標的にした戦略だろう」との読み通り、
アメリカはサウジアラビアの立場を弁えた上で、イエメンから撤退したのだろう。
アメリカは、アメリカがイエメンから撤退したら、サウジは自国の責任でイエメン攻撃に出ると踏んで、
敢えてイエメンを総撤退したのだろう。
そうすれば、今回の戦争はアメリカ主導ではなく、サウジアラビア主導の戦争という事になり、
アメリカとしては責任を問われる事なしに、待ちに待ったイラン攻撃が出来ると踏んだのではないだろうか?
フーシがイエメン大統領を追って暫定政権が出来た時、
この暫定政権を非難するアメリカを揶揄して、
ウクライナの時には、クーデター政権を無条件で認め、イエメンでは非難するのでは、
アメリカはダブルスタンダードではないかと、
これらの政変がこんなにも似通った背景を持っているとは想像もしていなかった。
この二つの政変は、ロシア、イランと対象は違うけれど、
アメリカの当面の敵を排除する戦争を誘発すると導火線という意味に於いて、そっくりな政変であったのだと、
これらの記事を読んで、私は初めて気が付いたのだった。
花祭りの今日、関東甲信地方では観測史上最も遅い降雪となったそうで、東京に雪の降る様子が放送されていた。
今日は又、天皇皇后両陛下が太平洋戦争中の激戦地パラオを、戦没者慰霊の為ご訪問なさる予定の日である。
パラオでは1万人もの兵士が戦死したそうだから、
両陛下のパラオへの御思いも、並々ならぬものがあった模様である。
予定では今日午前中にご出発という事であったが、
空が荒れている所為だろうか?
それとも両陛下のご健康が、思わしくない所為なのだろうか?
未だにご出発されていないようである。
両陛下のパラオご訪問への御思いは、並々ならぬものであったそうだから、
是非今回の機会を逃さず、パラオ訪問を果したいと思っておられるのだろう。
しかし両陛下のご健康の事を思うと、
宮内庁長官はパラオご訪問を一ヶ月延ばす様計画変更をしてでも、
両陛下に無理なご旅行をされない様、お諫めするべきなのではないだろうか?
このパラオご訪問の日程には、初めから無理があったのである。
天皇陛下は4月3日風邪でこの日午前に予定されていた宮中祭祀を欠席されたというのに、
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000047703.html
宮内庁は両陛下のパラオご訪問の日程を、変更させようとしなかった。
元々、日程が発表された3月25日には、
両陛下共に、風邪気味になっておられたのは周知の事であった。
3月23日には、天皇陛下がお風邪でご公務を休んでおられるし、(こちら)
皇后陛下は3月26日に、お風邪でご公務を欠席なさっているのである。(こちら)
両陛下のお風邪が順調に快癒され、お二方ともに月末に完治されたとしても、
風邪は万病の元という格言もあるくらいで、予後無理をしたら風邪がぶり返す恐れがある。
まして両陛下は共に80歳を超えられたご高齢の方々である。
その両陛下が風邪が治られて、1週間程の4月8日出発予定で、パラオご訪問の計画を立てるなど、以ての外の事である。(その上、上記のように、実際は4月3日にも天皇陛下は風邪でご公務をお休みになっている。)
こんな無神経な計画をたてることを認可する宮内庁長官は、
何のために宮内庁長官として、税金から高給を頂いていると思っているのだろう?
両陛下のご体調に対する配慮がなさ過ぎる宮内庁職員も、
宮内庁職員の怠慢を、安易に見逃している宮内庁長官も、
共に甚だしく職務怠慢な公務員揃いあると思う。
鳩山政権時、中国の習近平副(当時)主席が来日され、
天皇陛下に拝謁を願われている時、
陛下のご健康を守るために1ヶ月規定があるのに、それを無視して直前(約1週間前)に、
陛下に拝謁を願う等、民主党鳩山政権は陛下のご健康を何と思っていると、
当時の宮内庁長官と自民党議員達が、大反対をしていたものだった。
当時の陛下は別に何のご病気でもなかった。
それでも陛下のご健康を思いやって、習副主席の拝謁は断れと主張し、
それを無視した鳩山政権は、
陛下のご健康を軽んずる怪しからぬ内閣だと言って、
宮内庁長官と自民党議員は、民主党内閣非難の大合唱をしていたものだった。
そんな事を主張していた自民党の、極右政権の下で、
現在、こんなにも両陛下のご健康軽視が許されるなど驚きである。
先日迄温かかった気温が、一気に真冬並に下がったり、
時ならぬ雪が降ったり、
天も両陛下のお体の事を心配して、何とか思い直して頂きたいと思っているのかもしれない。
それでもパラオで亡くなったかたがたへの慰霊と、平和への祈りをなさりたいと、
両陛下はお思いなのだろうけれど・・・・・
追記
お昼前に両陛下はパラオへ出発されたそうです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150408/k10010041741000.html
グーグル・ニュースには載っておらず(見つけられず)、
検索したらNHKニュースが見つかりました。
お元気でご帰国なさいますように!
両陛下のパラオ訪問日程決まる 初めて海保巡視船に宿泊
2015年3月25日05時20分
4月に控えた天皇、皇后両陛下のパラオ共和国訪問について、宮内庁は3月25日付で詳細な日程を公表した。2日目に足を運ぶ激戦地ペリリュー島では、日本政府が設置した「西太平洋戦没者の碑」に加え、米軍の慰霊碑にも供花する。宿泊先には海上保安庁の大型巡視船を初めて利用するという。
両陛下は4月8日午後、羽田空港からのチャーター機でパラオ国際空港に到着し、夜は中心部コロールで歓迎レセプションと晩餐(ばんさん)会に臨む。パラオ側はミクロネシア連邦とマーシャル諸島共和国の大統領夫妻も招いており、両陛下は3カ国の大統領夫妻と懇談する。大統領夫妻らは翌9日、ペリリュー島での両陛下の慰霊にも立ち会う予定だ。
懸案だったペリリュー島までの移動には、1機につき十数人が乗れる海上保安庁のヘリコプターを利用。このため、両陛下の宿泊先には、このヘリ2機を搭載する海上保安庁の大型巡視船を選んだ。関係者によると、同船は一昨年に就航した「あきつしま」。全長150メートル、幅17メートル、6500トンで海保所有としては最大級。両陛下は船長室に滞在するとみられる。
宮内庁は当初、両陛下のホテル泊も検討したが、ヘリが発着できるパラオ国際空港から距離があるとして、「円滑な日程のため」と説明。初めて巡視船に宿泊することになった。パラオの交通事情を踏まえた極めて異例な措置。両陛下は9日夜、帰国する。(中田絢子)
天皇陛下は21日から風邪の症状があり、23日にも熱が少しおありでご公務を休まれたそうである。(こちら)
このような天皇陛下のご不例を知っていながら、4月の始めに予定を組むとは、
宮内庁は陛下のご健康を何と思っているのだろう?
ご高齢の天皇陛下のご健康への配慮を、サボタージュしているのではないかとの疑いさえ湧いてくる。
戦後70年に当たり、先の大戦に付いて安倍総理は、それがあの戦争で軍靴に汚された中国を始めとする関係諸国を、この上なく刺激すると知っていながら、
これまでの日本の歴史認識を変更して、
あの戦争は聖戦であり、日本に落ち度はなかったと主張しようとしているそうである。
しかしあの戦争で日本軍が、諸外国の人々をどれ程苦しめたか!
どれ程の迷惑をお掛けした事か!
そして戦争は外国人を苦しめただけではない。
挙国一致のスローガンの下、若者は厳しい戦線に出兵を強制され、大勢戦死させられている。
挙句の果てに大規模爆撃による戦災で、大勢の日本の一般国民が、
戦火の中殺されたのは紛れもない事実である。
天皇陛下は事ある毎に戦争への反省と、平和の尊さについて発言され、
安倍政権に反省を促すと共に、
大部分の日本人は平和指向であり、
戦争を忌まわしいものと思っているという事を、
世界に向かって発信して下さっている。
今回両陛下がパラオをご訪問なさるのも戦没者の慰霊と、迷惑を掛けた現地の方々へのお詫びをされるのが主な目的であろうとは思うが、
太平洋戦争中に、どんなに悲惨な戦いがあったかを、
国民にもう一度思い出させようとのお思いも、お有りなのではないかと拝察する。
敗戦後占領軍(米軍)は長年日本人をアメリカの手兵にしたいと望んでいる。
平和憲法はアメリカが日本に創らせたものだけれど、
新憲法が出来るか出来ないかの頃には、もう、アメリカは日本に平和憲法を創らせた事を悔やんでいたそうである。
それで、憲法にはあらゆる軍隊を持たないと謳ってあるのに日本政府は、
1950年(昭和25年)警察予備隊なら良かろうと警察予備隊を作らせられ、
2年後の1952年(昭和27年)10月15日には、警察予備隊は保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組させられたのだった。(こちら)
日本は仕方なく、アメリカの命令どおり自衛隊を創ったが、
天皇陛下から政府要人から国民の端々まで、
太平洋戦争で酷い目にあって、日本人は皆戦争には懲り懲りだったから、
アメリカの戦争への参加を最近まで、憲法を楯に頑として拒否し続けて来たのだった。
初めのころはアメリカには余裕があったから、日本への戦争協力要請はそれ程苛烈ではなかったのだろうが、
昭和天皇がお隠れになられた頃から、アメリカが段々ジリ貧に陥り始めて、
日本への要求も厳しいものになって来ていたようである。
それで姫ゆりの党事件での対応で、平和へのお思いの強さを内外に示しておられた両陛下に対し、
様々な圧迫が加えられたのだろう。
ご即位直後に皇后陛下が、言葉が出なくなるご病気になったりされたのも、
両陛下に対し、理不尽な圧迫が加えられたからだろうと、私は拝察しているのだけれど・・・・・
繰り返しになるが、今上天皇皇后両陛下は沖縄の姫ゆりの党事件の時のご対応にも見られるように、
先の戦争に天皇が加担された事への反省は、並々ならないもので、
天皇はもう二度と戦争に加担しないと、
固く決心しておられるのだろうと拝察される。
安倍政権の下、日本がこんな危なっかしい時代になっている事に、
両陛下はどんなにか危機感を持っておられる事だろう!
それで、お熱が下がられたら天皇陛下は、何が何でもとのお意気込みで、
お体が万全でなくても、パラオへお出かけになるのではないかと心配なのである。
その時お風邪はご快癒なさっていたとしても、
もう81歳のご高齢である。
予後充分養生されないまま、今回のような日程のご旅行を強行なさったら、
お体へのご負担は、限度を過ぎられるのではないかと心配なのである。
皇太子様もお誕生日のお言葉で、天皇陛下と同じお気持ちを表明なさったが、
天皇陛下がご健在で、その上平和主義者の皇太子様が居られるから、
天皇家が戦争屋勢力の希望の侭になられる心配が少ないけれど、
もし天皇陛下に何か起こったりしたら、
皇太子殿下だけだったら後は簡単と、
彼等が思いはしないかと取り越し苦労をしてしまうのである。
アメリカのオバマ大統領は、戦争屋勢力の希望を拒否せねばならない事が多々ある立場上、
戦争屋勢力に暗殺される恐れがあるので、
2期目の時の副大統領は(民主党員ではあるけれど戦争屋勢力の一員である)ヒラリー・クリントンを外し、
戦争屋勢力ではない人を副大統領にしたのだそうである。
ご高齢の天皇陛下に何時までも期待して申し訳ない事ではあるが、
天皇陛下にはくれぐれもお体を大切になさって下さいます様、願っている。
TPP反対と約せるも
厳しき外圧に屈せるが
裏切り初しはじめなり
やさしく白き手をのべて
国美しくせむと思えども
外圧怖く腰砕け
今では黒き手となりぬ
わが心なき悪政は
福島・沖縄etc
苦く濁りし杯を
民の哀訴に酌みしかな
平和を願う国民を
上から下迄押さえつけ
集団的自衛権とて彼の国に
加担の戦こそ哀しけれ
ほとんど総ての人に健康問題は避けられないかと思われます。
それで、出来るだけ元気に過ごす為に、
In Deepのこの記事は、(放射能の事は一切書いてありませんが、)
可也参考になるのではないかと思い、
長いものですが全文をコピーさせていただきました。
尚、色々の画像も見れるので、In Deepの当該記事をご覧になった方が分かりやすいかとは思いますが・・・・・
(以下引用)
パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性
自殺未遂を繰り返していたひとりの青年が導いた来世のヘブン
昨日、ものすごく感動する映画を見ました。
震えるほど感動した、といっても構わないです。
この感動は、最近、私が興味を持ついくつかのことのうち、
・真実の医療とは何なのだろう
ということと、輪廻転生という観念から見た際の、
・死ぬ時点で獲得すべき人間の意識や感覚
というふたつのことと、映画の内容が一致していたためということもあるのかもしれないですが、深夜にひとりお酒を飲みながら泣きながらその映画を見続けていたのでした。
そして、この映画は、とにかく、何がなんでも「医師や医療関係者、あるいは、これから医学を目指す人たちすべてに見てもらいたい」と思います。
映画は、昨年亡くなったロビン・ウィリアムズさん主演の『パッチ・アダムス』という 1998年の映画で、アメリカの実在の医師であるパッチ・アダムスの伝記映画です。
このパッチ・アダムスという人は、私はこの映画を見るまで知りませんでした。 パッチ・アダムス - Wikipedia という項目もありますが、この伝記映画の内容を箇条書きにした方がわかりやすそうです。
『パッチ・アダムス』
・若い時に何度も自殺未遂を繰り返し、任意で精神病院の閉鎖病棟に入院する
・精神病院で患者が薬漬けにされ、医者や看護師たちに威圧的に扱われる現実を患者として味わう
・精神病院の入院患者たちを笑わせている時に、彼らの心が開き、状態がよくなることに気づく
・精神病院の中で「人を笑わせて治癒する医者になる」ことを決意
・米国ヴァージニア医科大学に入学。映画は、実質的には、この医学部での最初の1年間(2年かも)を描いたもの。
・大学付属の病院を研修中に、病棟の人たちに笑顔がないことを知り、(本当は1年生は病棟に勝手に訪問してはいけないのに)病室を回り、日々、患者たちを笑わせる
・医学部での成績は常にトップだったが、アダムスの行為を快く思わない医学部の医学部長から病棟訪問の禁止の勧告を受けながらも、それでも、患者たちを笑わせる行動をやめない。
・実際に「笑う」ことにより、病棟の患者たちへの薬の投与量はどんどんと減り、症状が改善する人たちも増えていくうちに、最初は怪訝だった病棟のナースや、一部の医者たちもアダムスの支持者となっていく
・自分の目指す「笑わせる医療」」ができて、さらに完全無料の医療サービスを提供する病院「ゲズントハイト・インスティテュート」を設立(この時点では学生なので、無免許医)
・学部長はついにアダムスに大学の退学の命令を出すが、アダムスは、ヴァージニア州医師会に判断を要請し、公聴会での判断に委ね、退学命令は却下される。
文字では、その感動がうまく伝えられないですが、医療関係の方でなくとも、たとえば、「真実の医療とは何だろう」というようなことを考えていらっしゃる方には、ぜひとも観ていただきたいです。
レンタル店にあるかもしれないですし、なくても、ヤフオクや楽天などでいくらでも売られていると思います。私は、ヤフオクで 700円くらいで買いました。
何だか、「笑いで患者の元気を出す」というような話のイメージからは「愛と優しさの物語の映画」というような感じでとらえられそうですが、本人が映画の通りなら、この人は極めて過激な人です。
行うことのすべてが過激で極端です。
末期のガンで、ナースたちに怒鳴りまくり手に負えない男性患者の病室に、アダムスは「天使」の格好で訪問し、その男性に「死ぬ」ということを意味する単語を何度も繰り返すシーンがあります。
正確に台詞を書きますと、「将来の予告編を見せよう」と言い、「死」「死ぬ」「息が絶える」「果てる」「くたばる」・・・など、他にもいくつもね「死ぬことを意味する単語」を延々とその男性に対して語り続けます。
最初は怒りを示していたその患者は、しかし、次第に何事かを考えだし、自分でも「死むこと」に関連する言葉をつぶやき、それから、アダムスと「死を意味する言葉の掛け合い」を始めて、ついに患者は笑いだします。
「なるほど、自分はもうすぐ確実に死ぬ」ということを自分で始めて受け入れ、患者は、そこではじめて治療者に心を許したのでした。
この患者は、最期の時もアダムスに立ち会ってもらい、死の瞬間まで、アダムスはその男性患者にキツい冗談を言い続け、男性は「冗談を言われている中」で安らかに息を引き取ります。
これがなければ、彼は「人に怒鳴り散らしたまま」死んでいったはずです。
次の世に「怒り」を運んでいっていたわけです。
最高の終末医療とは
医学生アダムスの行うことは基本的に常軌を逸していて、それは(自身が精神病院に入っていた時の記憶も含めて)大学医学部と医療システムという「権威の場所」との「戦争」であるかのようにも見えました。
当然、医学部の学部長はアダムスのことを快く思わないのですが、学部長らが最も許せなかったのは、アダムスが「患者と同等の目線で接するから」でした。
学部長や多くの医師たちは、
「医師は患者より上の立場でいるべきで、同じ目線でいてはいけない」
という考えに立脚していたのです(これは日本も同じ部分があるかもしれません)。
その点、パッチ・アダムスは「医者と患者は同等」として、徹底的に患者の心に入り込もうとします。これが、医学部の立場からは許せなかったもののようです。この部分については、アダムスは絶対に意見を曲げませんでした。
しかし、実際のパッチ・アダムスは、映画以上に過激な人であるのかもしれないと思う面もあります。
冒頭の写真は、本物のアダムス医師で、治療中には、いつもこのような格好をしているということなんですが、ふだんの格好も「どこでそんなシャツ売ってんだ?」というような派手なのをいつも着られているようで、そんな写真ばかりです。
ところで、どうも、私は映画から、このパッチ・アダムスは「無意味な延命治療をするべきではない」と考えているのではないかと思う部分がありました。
下は映画での公聴会のシーンですが、かなりはっきりと「医者は死を遠ざけることが努めではない」と言っています。
・映画『パッチ・アダムス』
「パッチ・アダムスの本はないのかな」と探してみると、『パッチ・アダムスと夢の病院』という本があったのです。さっそく注文はしまして、まだ内容はわからないですが、 Amazon のレビューに、以下のようなものがありました。
現実のパッチは、映画の中よりも厳しいかもしれない。ユーモアが人の心や病気を癒す、と言う一方で、「すべての人に楽しい死を」と高らかに謳うのだ。
人は生まれ落ちた瞬間から死へと突き進む。100年先か、50年先かは分からない。
だから生きていける。限りある命だから今を精一杯生きよう。楽しみを見つけよう。痛みや苦しみを抱えていても、没頭できる何かに夢中の間、忘れることはできなくても、痛みが和らぐかもしれない。そんな瞬間をつないでいけば人生は楽しい。
でも、身近な者の死期を医者に宣告されたら? 残された時間はわずか。不安になるといつもこの本を読み返していた。
明日をも知れぬ身と言われた父は、それから2カ月を生きた。会えば少しでも笑って欲しかった。安心した顔が見たかった。赤い付け鼻は無かったけれど、「それでいい。がんばれ」とパッチに励まされているような気がした。
「ああ、やっぱり」と思いました。
アダムス医師は、治療と共に「最高の終末医療」を目指しているのだと思います。自身が精神病院の中で確信した「笑いは人を治して癒やす」ということの信念を、現在に至るまで曲げずにいるということのようです。
現代の医療は、
「とにかく少しでも長く生きていればいい」
という観点からのものが多く、その「状態」がどうであるとかには、あまり気をかけない面があることは否定できません。
しかし、アダムス医師は、同じ死を迎えるにしても、
「死ぬ人すべてに短くても楽しい生を」
と考えている。
これですよ、これ。
これが現実世界の話だけではなく、シュタイナーなどの輪廻転生の概念などと合わせてみても、「楽しい気持ちで迎える最期」が次の世にどれだけ素晴らしいものをもたらすかということも思います。
極端にいえば、「楽しい死を迎えることができた人が増えれば増えるほど、来世に控える無数の地球は少しずつ良くなっていく」ともいえるのではないでしょうか。
また、亡くなる方ではなく、見送る方にしても、亡くなった方が「最期まで笑顔でいられた」というのと、そうでないのとでは、残った方に与える影響も違いそうです。
ちなみに、映画の予告編に字幕をつけてアップされていた方がいました。
貼っておきます。
ちなみに、このパッチ・アダムスという人は、想像を絶するほど、いわゆる頭のいい人だったようです。映画にも出てきますが、医学部で「まったく勉強しないのに、常に成績はトップ」であったことが描かれます。医学部なんてのは学業的に優秀な人の集まりなわけで、その中でまったく勉強せずにトップというのは、何か「異常な頭脳」を感じます。
悪から善が生まれる
それにしても、こんな人がいたんだなあ、と改めて思います。
イエスとかお釈迦様とか、この世には、たまに本当にすごい人間が生まれ出てくるわけですけれど、多くの人たちは「何らかのキッカケ」で、人生の力強い変転を迎えるわけで、例えば、日本最初のヨガ行者、中村天風なら、そのキッカケは「重い結核」にかかったことですし、パッチ・アダムスなら、「自殺未遂を繰り返して精神病院に入ったこと」です。
天風の悪性結核、アダムス医師の精神病院入院、と、これらは、どれもネガティブなことばかりです。しかし、
そのネガティブな出来事がなければ、彼らは後世に何かを残すような考えに辿りつかなかったし、そのような人間にもなれなかった。
ということがわかります。
すなわち、それらはネガティブなことでありながら、まったくネガティブな要因ではなく、それどころか、彼らの人生に絶対必要だったことでことで、つまり、これらのことは「良い出来事よりはるかに重要なことだった」ことがわかります。
ここに、
この世の中に否定的な出来事は存在しない。
という真理を見ます。
あるいは、私自身の人生もそうです。
私も、病気を中心として、いろいろとネガティブなことを体験してきていますが、それこそが、その後の私のいろいろなことにつながっている。そういう意味では、それらはネガティブなことではあっても、必要なことでもあったと。
それに、私は何度か死にかけたことがありますけれど、気づいたのは、天風さんの
「死んでないだろ」
という言葉です。
死ぬ時は人間は死ぬのです。
しかし、私は過去の「死にかけた出来事」のどれでも死んでいない。
これは説明が難しいですが、とにかく死ぬ時は死ぬのです。
怖れるとは怖れないとかではなく、その時は来るのです。
この「死んでないだろ」を真に理解することが「悟る」ということなのだと思います。
私はもちろん理解していないですけれど。
そういう意味では、パッチ・アダムスは、精神病院の中で悟りを得たように見えます。
結局、人間は、様々な「悪い経験」で、少しずつ目を覚まさせられるという部分がありそうで、あまり悪いことが何もないまま過ぎていく人生は、その人を成長させないかもしれません。
そういう意味では、
悪こそ善
という、エクソシストのメリン神父の言葉も理解できるような気もします。
これは、
・ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係
2014年07月26日
という記事に、長編小説『エクソシスト』の中の登場人物、メリン神父の言葉を載せました。
少女リーガンに取り憑いた悪魔について、
このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな。
と語っています。
> 悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな
という意味が、今は少しわかります。
それにしても、パッチ・アダムスのような人の映画が作られてよかったなあ、と心から思います。これがなければ、私はこのような人の存在を知り得なかったです。
どんな人の存在も活動も、何らかの形で記録に残らないと私たちは知ることができません。
イエス・キリストの活動が 2000年も残り続けているのは記録があるからですし、あるいは、さまざまな宗教家や思想家の考えを私たちが知ることができるのも、記録があるからです。
このアダムス医師のことも、映画があったからこそ知ることができました。
ちなみに、この映画のことを知ったのは、天風に師事していた松本光正医師の『高血圧はほっとくのが一番』の中で、「笑いの重要性」について書かれていたセクションに記されていたものでした。
ちなみに、「笑い」はかなりストレートに体に作用することが、日本の医学実験で確かめられていることが書かれています。
笑いの現実的な治癒効果は実はかなり高い
最初に、笑いが医療に応用されるキッカケとなったのは、1970年代のアメリカだったようです。松本医師の本から抜粋します。
笑いが医療に取り入れられるようになったのは、1976年、ある医学雑誌に掲載された一人の患者の手記に端を発する。強直性脊髄炎という難病におかされた、アメリカの雑誌編集者、ノーマン・カズンズ氏が、笑いを取り入れた治療で病を克服するまでの記録である。
カズンズ氏は、ユーモア小説を読んだり喜劇を観たりして大笑いすると、痛みが和らいでぐっすり眠れるようになったという。難病を克服したカズンズ氏は、その後、カリフォルニア大学医学部教授に転じ、笑いの治癒力を説いた。
さらに、実験について記載されていますので、抜粋します。
松本光正『高血圧はほっとくのが一番』より
日本でも笑いの効用を科学的に解き明かそうとする研究が始まった。
中でも有名なのは、1991年に、大阪ミナミの演芸場で行われた実験だろう。
ガン患者 19人に吉本新喜劇を3時間見て大笑いしてもらい、その前後でガン細胞を直接攻撃するナチュラルキラー細胞(NK細胞)の活性度を調べたものだ。
その結果、最初から低かった人、基準内だった人のいずれもが、活性度が上昇した。つまり、笑いはガンに対する抵抗力を高めることが判明したのだ。
その後の研究により、NK細胞はたった5分笑うことで活性化することが分かった。NK細胞は、注射で活性化させようとすると3日はかかる。
それだけ、笑いは体に大きな影響を与えるのだ。
その実験のグラフがネット上にありました。
お笑いを見る前と後のNK細胞の変化
・サワイ健康推進課
全員が上がっているわけではないですが、程度の差はあれ、笑っている間は、ナチュラルキラー細胞が活性化され続けるので、ガンの人は「とにかく笑っているのがいい」ということになりそうで、極論で言えば、「笑い続けることで、ガンが抑えられたり、ガンが治癒される可能性もあるかもしれない」ということも言えそうです。
ガンだけではなく、他に、笑うことにより、
・血糖値をとても下げる(2003年の国際科学振興財団の実験)
・脳の働きが活性化(笑うと脳の海馬の容量が増えるため)
・血行の促進や血圧の安定(笑うことが深呼吸と同じ状態のため)
・自律神経のバランスが整う(笑うと副交感神経が優位になるため)
・幸福感と鎮痛作用(脳内にエンドルフィンが分泌されるため)
などの作用があることがわかっているそうです。
しかし、これだけ効果があることはわかってはいても、たとえば、実際に、ガンや糖尿病の患者さんが、病院で医師から、
「今日から笑うようにして下さい」
と言われることがほとんどないというのが現実です。
それに、上に書きました「笑いが免疫を高める医学実験」も、その後は継続的におこなわれている感じがしないというのも・・・。
理由はいろいろでしょうけれど「医療の現場で笑いは不謹慎」という部分もあるのかもしれないですね。
たとえば、末期ガンの患者と共に「ウヒャヒャヒャヒャ」と笑うのは、現代の意識での図式では不謹慎に見えるということかもしれません。
私は以前、一度入院したことがあります。
東京新宿にある国際医療センターという大きな病院で、1週間ほど入院していましたが、入院病棟という場所は本当に「笑いのない場所」でした。
私の向かいのベッドの男性は、クローン病、隣のベッドのご老人は末期の膵臓ガンで、見舞いに来た人ごとに「もうダメらしい」と話していました。部屋の隅にいたご老人は、私がいた1週間の間ずっと寝たままで、体中にいろいろな器具やチューブがつけられていました。何の病気かはわかりません。
そんな雰囲気で笑いが出ないのは当然かもしれないとも思いますけれど、しかし、今だからこそ思うと、むしろ、「あれではダメ」なのです。
笑いがあれば、自己免疫力も上がるし、何より、もう治らない患者さんでも、パッチ・アダムスの意志である「すべての人に楽しい死を」という観点からは、末期の膵臓ガンの人にいかに笑ってもらえるかを考えることが、本当は重要なのだと今は思います。
いつか笑いと治癒の関係が科学的に証明されたり、あるいは、病院に「笑い指導員」とかが常駐するような時代になればいいな、とか。
笑い指導員といえば、2011年の記事ですが、
・1918年の「死のインフルエンザ」へのケロッグ博士の対処法
2011年11月22日
で、「ケロッグ博士」(原題: The Road to Wellville)という、20世紀のはじめに、アメリカで富裕層向けの診療所(バトルクリーク診療所)を開設していたケロッグ博士という実在の人物を描いた映画の話を書いたことがありましたが、その診療所に「笑い治療」が出てきます。
このバトルクリーク診療所では、1918年に世界中で流行した、非常に致死率が高かったスペインかぜ(鳥インフルエンザのパンデミック)で死者を出さなかったのですが、この際、ケロッグ博士は「医薬品を一切使わない治療法」で、患者の死亡ゼロという奇跡的な成果をあげています。
そのケロッグ博士の診療所では、「笑う治療」というものがおこなわれていて、リズムに合わせて「集団で無理矢理笑う」という治療法なのですが、この治療法の良いところは、無理矢理笑っているうちに、「馬鹿馬鹿しくなって本当に笑い出す」という集団心理につながるところです。
これは映画でも描かれていて、わりと有名なシーンとなっています。
下の30秒ほどのシーンです。
ケロッグ博士(1996年)
(このヴィデオはコピーできないので、In Deepでご覧ください)
ケロッグ博士は、古い時代の医療者ですが、笑いの効能を見抜いていたのかもしれません。
そういえば、最近、「薬が喜びの感情を抑える」というニュースがありました。「笑いの効能」という意味では、これも薬による別の弊害なのかもしれないなあと思います。
米オハイオ州立大学の研究チームは16日までに、市販の多くの鎮痛剤に含まれるアセトアミノフェンに、痛みだけでなく喜びの感情を抑える効果があることがわかったと発表した。
論文によると、アセトアミノフェンに心理的な苦痛を和らげる効果があることは以前から知られていたが、今回の研究で、喜びの感情を弱めるなど、感情の幅を狭める効果があることがわかったという。
シュタイナーが解熱鎮痛剤の出現に絶望したとき
上のニューにある「アセトアミノフェン」というものは、市販されている多くの風邪薬や解熱鎮痛剤に入っているものですが、人間の感情を抑えるという「副作用」を持っていたようです。
この解熱鎮痛剤というものについては、その出現の時に、シュタイナーは以下のように述べていました。
1908年のシュタイナーの講演「人体リズム」より医学において私たちは、今日まだ手探りをしています。病理学と治療の堅固な度台は、太古に遡るものです。解熱鎮痛剤フェナセチンの試験がなされたとき、私は知性と感情の殉教を体験しました。
道しるべもなく実験するのは、科学が精神とともに真面目さも失ったことを示しています。
と嘆いていましたが、このフェナセチンは、日本でも 1999年まで使われていて、非常に多く処方されていた解熱鎮痛剤です。
また、解熱鎮痛剤は、痛みを弱めると共に熱を下げる薬ですが、シュタイナーは「熱を下げてはいけない」として、以下のように述べています。
生体はその損傷に反抗し、防御力を用います。この反抗が通常、熱なのです。熱は、人間のなかの治癒力の呼び声なのです。熱は病気ではありません。損傷を直すために、人間が自分の生体全体から力を呼び集めているのです。損傷に対する生体全体の反抗は、一般的に熱として表現されます。
病気において、熱は最も慈善的で、最も治療的です。損傷を受けた個々の部分は、みずから治癒できず、他の側から力を得なくてはなりません。それが熱として表現されるのです。
として、「熱はすぐれた治療者だ」としているのです。
「熱」という存在がなければ、身体は回復できないとしています。
続けて、
「熱が抑えられるとき、生命は危険な状態になります」
とまで言っています。
松本医師の言う「人体の働きに無駄なものは一切ない」という言葉を思い出します。
この「熱」もまた人体の重要な作用であることになりそうで、その重要な作用を強制的に抑えてしまう解熱鎮痛剤の登場に、シュタイナーは「知性と感情の殉教を体験しました」というほどの絶望を受けたようです。
私も数年に一度、「不明熱」に襲われることがあります。
昨年もありました。
その時は 40度を越えたと思います。
そこまで熱が上がると、病院に行くわけですが、昨年も熱の原因はわかりませんでした。しかし、原因はわからなくとも、当然のように解熱鎮痛剤を投与されて、飲んで熱を下げる、ということになるわけですが、良くなかったのかもしれません。
私の中で、「体温を 40度以上にしなければならない何かが起きていた」と考えるのが妥当なようです。とはいえ、大人で 40度を越えてくると、さすがに不安感はありますが。
医療サイドも少しずつ変化してきている
それにしても、ほんの少し前に、
・基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由の理論的なメカニズムがわかったのです
2015年04月02日
という記事で、薬、つまり現代医療の根幹をなすものへの疑念、あるいは、現代の医療そのものへの疑念を持ち始めてから、怒濤のように次々と自分の前にあらわれる様々な人物や書籍や情報。
それらの「質」に圧倒されます。
いかに自分が何も知らなかったかを自覚せざるを得ません。
それでも、今、西洋医学の治療への概念も少しずつではありますれけど、変わりつつあるとも思っています。
相変わらず多くのお医者さんが「薬を出して終わり」という現状はあるでしょうけれど、そうではない方々も増えていると思います。
たとえば、自律神経免疫治療という、薬から離れるための西洋医学の療法をおこなっている病院の一覧を見ますと、鍼灸治療、温熱療法といった知られたものから、
・カラー(色彩科学)セラピー
・交流磁気療法
・無血刺絡療法
・波動療法
・水素温熱免疫療法
・オゾン療法
など、聞いたことのない治療法が並びます。
おそらくは、どれも薬を使わないものだと思います。
いろいろありますが、「波動療法」って何だ? と思って、それが書かれてある東京都の病院のサイトを見ますと、下のような図が載っていました。
・永野病院 エネルギー医学
これを見た途端、
「何となく、シュタイナーの言う、肉体と生命体(エーテル体)の関係と似ているなあ」
と思いました。
シュタイナーが説明する「人間」とは、4つから構成されていて、この
・肉体
・生命体
の上に、
・感受体(アストラル体)があり、それと「自我」があるとされています。
今までの西洋医学はこのうちの「肉体」を治療していたわけですが、そこから少し「上の階層」への治療もおこない始めているということですかね。
そして、これらも、現代の西洋医学のお医者さんたちがやっているわけですから、医学も少しずつ変化してきているのだと思います。あとは、私たちが「どの治療法を選ぶか」ということだけのような気がします。
今日は「笑いと治癒」の話でしたけれど、あるいは、私はあまりテレビは見ませんけれど、テレビにお笑いが蔓延しているのも、一種の社会の自己治癒作用的な部分もあるのかもしれないですね。「病気を治癒するために熱が出る」ように、「今の人々を治癒するために笑いがある」というような。
何か夢中で書き続けていたら、エライ長くなっている気がします。
どうもすみません。
実際は桜の花は3月29日頃からボツボツ開き始めていたらしいけれど、開花と言えるかどうか微妙なくらいの数の花しか開いてはいなかった。
それが昨日31日に、急に気温が上がって一気に花開いたのだった。
今日4月1日は一日中雨だったが、
桜はまだ4~5部咲き程度だから、散る恐れはないようである。
咲き始めて間もない今日の桜は、雨の中でも美しく、
匂うが如くと言いたくなる位に奇麗だった。
明日は少し晴れるそうだけれど、その後はずっと雨が続く予想だから、
毎年行っている近所の公園でのお花見に、明日行かなかったら、
今年はお花見が出来ないかも知れない。
でも地面は今日一日中降った雨で可也湿っているだろうから、
お花見が出来る状態ではないかも知れない。
あと何年、お花見が出来るか知れないけれど・・・・・
2月中に鶯の初音を聞くのは久しぶりの事である。
春ももうそこまで来ているという事なのだろうか。
今朝の新聞に坂東三津五郎さん死去のニュースが出ている。
まだ59歳だったそうである。
歌舞伎界の大物が亡くなるのは、これで何人目だろうか?
関東地方で人がどんどん亡くなっているという噂を聞いたが、本当の事なのかも知れない。
福島原発事故からもう少しで丸4年になる。
新聞は有名人の死しか知らせないけれど、
恐ろしい事が始まっているという噂は、本当の事なのかもしれない。
遺伝子組み換え植物(GMO)製品で世界を脅かしていたモンサントの業績が、低下し始めているそうです。
モンサントは、“特許を得ている同社の種子を不適切に再使用したかどで”農民に対し、過去16年間に、145件の訴訟を起こしており、モンサントは、アメリカ全土で、GMO表示策との戦いに、何百万ドルもつぎ込んでいるのだから、さほど遠くない将来に、モンサントが突然操業停止しても驚くべきことではない。
という事で、遺伝子組み換え植物の脅威は何とか収まるのでしょうか?
12月1日 5時36分
皇太子ご夫妻の長女の愛子さまは、1日、13歳の誕生日を迎えられました。
宮内庁によりますと、ことし学習院女子中等科に進学した愛子さまは、初等科時代と比べて授業の科目数や課題の量も増え、これまで以上に勉強に励むなど、忙しい日々を過ごされています。
疲れなどのため、学校を休んだり遅れて登校したりすることもありましたが、頑張って通学され、初等科からの友達に加え、新しい友達も増えたということです。
4月には、学習院で開かれた演奏会で皇太子さまと3度目の共演を果たしたほか、球技大会のドッジボールで自分のチームが優勝し、記念に授与されたバッジを今でも大切にされているということです。
夏には、さまざまな所作を事前に学んだうえで、皇太子ご夫妻と一緒に初めて伊勢神宮に参拝したほか、全国高校総体のサッカー女子の試合なども観戦されました。
お住まいのある赤坂御用地では、9月1日の防災の日に皇太子さまと初めて防災訓練に参加して防災意識を高めたほか、休みの日などにテニスを楽しまれることもあるということです。
愛子さまは、学校生活や皇太子ご夫妻と一緒に活動するなかで、さまざまな経験を積みながら、健やかに成長されているということです。
愛子さまは、1日夕方、天皇皇后両陛下のお住まいの御所を初めて1人で訪れ、両陛下にあいさつされることになっています。
最近も一部週刊誌が、愛子様の悪口を書いていたようですが、
事実は、愛子様はお健やかに、
ご勉学や学校行事に励まれておられるご様子で、
何よりの事と思いました。
愛子様はこれからティーン・エイジャーになられ、
世の中の事が色々と見える様になって来られ、
煩悶なさる事も増えるかと思われますが、
ご両親の両殿下が、聡明で誠実な方々ですから、
愛子様もきっと、
聡明で包容力のある優しいレディーになられるに違いないと思います。
特秘定密保護法の運用基準を閣議決定 あいまいさ残し
久木良太
2014年10月14日10時43分
政府は14日、安全保障に関する機密情報を特定秘密に指定し、情報を漏らした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法について、運用基準と政令を閣議決定した。施行日を12月10日とすることも正式に決めた。
【特集】特定秘密保護法
特定秘密保護法運用基準(全文)
特定秘密保護法施行令(全文)
菅義偉官房長官は14日の記者会見で「隠蔽(いんぺい)目的の指定の禁止、チェック機関の設置など、適正さを確保するための仕組みを整備した。今後とも国民に丁寧に説明して懸念を払拭(ふっしょく)したい」と述べた。
運用基準などによると、特定秘密には防衛、外交、スパイ活動防止、テロ防止の4分野、55項目が該当する。国家安全保障会議、原子力規制委員会、防衛省など19の行政機関の大臣らが指定する。内閣府に新設する独立公文書管理監が不正な情報隠しをチェックし、内部通報の窓口にもなる。
運用基準に対するパブリックコメント(意見公募)には約2万3千件集まった。これを受け、政府は運用基準を一部修正したが、指定基準のあいまいさやチェック機関の権限の弱さなど、制度の根幹に対する指摘は反映しなかった。(久木良太)
そして昨夜は中秋の名月であった。
昨夜の中秋の名月は素晴らしい天気に恵まれていた。
月の色は黄色の濃いときと白っぽい時とあるが、
昨夜の満月は黄色の濃い、満月らしい満月であった。
お月さんの中で兎が餅つきをしていると言われているが、
そう言われたらそう見えないこともないね~と言いながら、
家族で月を見て、その明るさ美しさを堪能させてもらった。
真夜中(午前2時ごろ)に目覚めた時も、空は相変わらず晴れ渡っており、
煌々と照る満月に、あたり一面が照らされて、
大げさに言えば、まるで昼のように明るい月夜であった。
「又見んと思いし時の秋だにも 今宵の月に寝られやわする」という道元禅師最後のお歌が思い出される。
このお歌を読まれたのは道元禅師が70歳の時だったそうで、
父が70歳になった時、この歌をしきりに口ずさみ、自分の年齢に感激している風だったが、
いつの間にか私もその70歳になっている。
70歳の時に見る明月が、こんなに素晴らしいものであった事に、私も感激しきりである。
小泉・細川+鳩山・菅 元首相の4氏 脱原発会合そろい踏み
2014年7月19日 朝刊
小泉純一郎、細川護熙両元首相らが脱原発を目指して設立した一般社団法人「自然エネルギー推進会議」の会合が十八日、東京都内で開かれ、小泉、細川両氏に加え鳩山由紀夫、菅直人両元首相も出席した。菅氏は脱原発が持論で、鳩山氏も首相官邸前の脱原発デモに参加したことがある。四人の首相経験者が、脱原発でそろい踏みした形だ。
推進会議事務局によると、鳩山、菅両氏は「サポーター」としての一般参加。会合後、菅氏は小泉、細川両氏との連携について「それぞれの立場で協力できるところは協力する。原発ゼロに進むということでは共通した考え方を強く持っていると思う」と記者団に語った。
九州電力川内(せんだい)原発が新規制基準を満たすとした原子力規制委員会の合格判断について、細川氏は「引き返すのはいつでもできる。後々、幾世代にもわたって悔いの残らないような判断をしてもらいたい」と指摘。小泉氏も「あれはおかしい」と批判した。
会合では、脱原発や脱化石燃料に向けたビジネスモデルを提案した「新しい火の創造」の著者で、米ロッキーマウンテン研究所のエイモリー・ロビンス博士が講演した。
4人の元総理大臣が脱原発を唱えて結集しても、安倍総理は無視を決め込んでいる。
安倍総理は如何してそんなに原発を続けたいのだろう?
福島原発事故の前にも、
総理在職時、巨大地震による原発事故の危険に関する国会質問に対し、
「我が国において非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、
必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない。」
と福島原発の防災対策を怠った安倍晋三であるが、
安倍総理は日本人に何か恨みでもあるのだろうか?
やたらと安全無視の原発行政を強行する政治家である。
業界の凄まじい妨害を乗り越えて、遺伝子組み換え製品の健康への影響を動物実験した、南オーストラリア州のフリンダース大学の准教授であり、健康と環境に関する研究所(IHER)の所長を務めておられるジュディー・カルマン博士の事や、遺伝子組み換え食品の問題点の数々を書いたものを翻訳して下さっている。(全文を続きを読むに複写させて頂く)
遺伝子組み換え食品を開発し、全世界に普及しようと全力を注いでいるアグリビジネス企業は、
モンサント、デユポン、シンジェンタなどが最大手らしいが、
世界第3位のアグリビジネス企業シンジェンタ社(英国・スイスの多国籍企業)が自社の製品で被害を負った農家に何をしたか、
シンジェンタ社のBt176 GMO(遺伝子組み換え作物)トウモロコシだけを乳牛に給餌し始めてから、乳牛が不妊の事例を初めて観察し、死亡した乳牛も何頭かあり、深刻な先天異常の子牛もあった。
それで土壌やGMOトウモロコシのサンプルを持ち込んで、公的な検査を行って貰った。
何回も検査を行った検査結果は、致死的な影響の原因はGMOトウモロコシにあるということを示していた。
シンジェンタがノースカロライナの研究所で行った検査では「Bt毒性物質」を発見しなかったが、
同一のサンプルに関して同一の検査手法を用いて、ドイツの研究所で行った検査では、Bt毒性物質が8300 ng/㎎も検出されたのだった。
ドイツの研究所で行った検査によると、必須アミノ酸の量がトウモロコシ穀粒では重量比で24%も低く、サイレージ用トウモロコシでは8.8%も低下していた。この低下は乳牛用の餌としては致命的な問題である。
これらの結果から、EU委員会による認可の基礎となっていた従来の作物と「実質的に同等」あるいは等しいというのは嘘であることが判明した。
損害賠償を求めたら、10分の1にも満たない金額しか提示せず、会社として反省(GMO製品からは毒性物質の問題を排除するという決意)のそぶりもなかったことから、
政府の高官や地方政府ならびに民間のグループに招かれ、ヨーロッパ中でシンジェンタBt176についての自分の体験談の話をして回った後、
この人は別の問題で、シンジェンタに酷い目に会わせられたのだった。
丁度離婚訴訟中だったこの農夫の妻に、シンジェンタが弁護士を世話したのだが、
婚姻中 、彼が妻に強姦を働いたという判決を出させたと言う。
それで彼は2年間の懲役刑を課せられたのだそうである。
GMO作物に敵対(その害を調べようとしたり、被害者が社会に訴える)するものに対する、
アグリビジネス企業の制裁の仕方は、シンジェンタだけでなくどの会社も徹底的で、
その告発者は告発後殆どの者が、その後の人生を狂わせられていると言う。
この冷酷なアグリビジネスの制裁をも覚悟して、GMO食物の実態を実験する科学者は、僅かしかないけれど、
その実験結果は乳腺腫瘍、腎臓や肝臓の損傷、早期死亡、等を含む深刻な健康障害が起こるなど、恐ろしいことを教えている。
アグリビジネス企業ははそういう事を承知の上で、GMO食品を店頭に並べる時、
商品の内容(遺伝子組み換え食品であるかどうか)を記載させないよう、各国政府に政治的圧力を掛けている。
現在日本では加工食品に、遺伝子組み換え食品が入っているとか、いないとかが記入できるけれど、
もし、TPPが締結されたら日本でもISD条項が楯に取られて、アメリカ並みに一切記載できない事になるだろうと言われている。
ミリタリー業者(戦争屋)たちだけでなく、
アグリビジネスでも多国籍企業は、
情け容赦なく、人類の命をちじめるとり組をやっている。
何もかもを、お金儲け優先にした為人類は衰退したと、
後世の人は思うのではないだろうか?
遺伝子組み換え食品による著しい炎症反応 - 豚を使った試験で
最近、「豚を使った大規模な研究によると、遺伝子組み換え食品によって著しい炎症反応が起こる」と題した記事 [注1] が目についた。
この研究を行った研究者は、遺伝子組み換え食品の安全性に関して研究を行う場合、遺伝子組み換え種子を生産する企業の思惑から完全に独立して研究を始めることが結構大変であると報告している。どうしてか?それは、遺伝子組み換え種子を入手することがそう簡単にはできないからだ。バイオテク産業は自衛のために、どちらかと言うと、外部に対しては非常に高度で巧妙な制御機構を設けており、これによって彼らの製品が独立した研究に供されることがないように備えている。
研究者の立場から彼女は下記のように言っている。
『農家の人たちが作付けのために必要な種子を購入する場合、購入者は「技術使用者合意書」に署名しなければなりません。購入した種子に関して購入者が何らかの研究をすることは許されず、研究のために他人へ譲ることも許されないのです。基本的には、何か別の合法的な方法を模索する必要があります。私たちはそうしました。でも、かなりの時間が必要となりました。種子の入手の進め方としては、業界へ出向いて、「種子を少し分けていただけませんか?」と依頼する必要があります。私たちもそうしてみました。しかし、種子を入手したい私たちに提示された条件を見ると、ほとんどの場合、企業から公正に種子を入手できるような条件ではなかったのです。』
著者の言によると、「種子を入手するために企業側が私たちに提示した条件は、ほとんどの場合、企業から公正に種子を入手できるような条件ではなかった」という。著者は「公正に」と表現しているが、これは実際には何を意味するのかと言うと、「種子を生産する企業から独立した研究を行い、それをは発表する」ことが著者の最大の目標であることを考えると、研究結果を専門誌上で報告する段階で企業側から何らかの干渉があるかも知れないということだ。たとえば、遺伝子組み換え(GE)種子の企業にとって不都合な結果が出た場合、科学的な試験結果さえもが改ざんされる懸念がつきまとう… 著者は、そういった状況を避けながら研究用の種子を入手することは現実にはなかなか困難だと言っているのだ。
♞ ♞ ♞
多国籍企業を相手にして、この研究者は頑張って研究を継続した。彼女の努力に関してその詳細を読むと、われわれのような部外者にとってはまさに目を見張るばかりである。この記事はこの研究者の体験や意見をふんだんに紹介している。
それでは、この記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。現在の種子産業を取り巻く現状を学んでみようではないか。
<引用開始>
もしあなたが私と同様の立場にあったならば、多分、あなたも友人や親戚の人たちから「どうしてGE食品は安全ではないと考えるのか?」と度々質問されているのではないだろうか。ジュデイ・カルマン博士はこいった質問を注意深く、そして、独立した立場で評価を行った、世界でも非常に数少ない研究者のひとりである。あなたの友人や親戚の人たちに対して返事をする際、彼女の報告は大きな手助けになることだろう。
カルマン博士は疫学と医学のふたつの分野で学位を持ち、特に栄養学的な生化学や代謝調節と癌との関連性を専門としている。GE食品に関する彼女の研究によると、自分自身の健康を重要視し、子供さんたちの健康を守りたいとするならば、GE食品を避けることが非常に重要だ。そのことを示す証拠が見つかったのだ。
彼女の専門的な背景には癌の研究が含まれ、オーストラリア政府では上級疫学者として勤務し、伝染病の発生に関する調査にも携わった。現在、彼女は南オーストラリア州のフリンダース大学の准教授であり、健康と環境に関する研究所(IHER)の所長を務めている。
遺伝子組み換え生物(GMO)に関して独立した研究を行おうとする研究者には数多くの難題が…
GMOの影響を研究する研究者のひとりとして、カルマン博士はこの種の研究にまつわる数多くの難題について、「我関せず」として自分を素通りさせてしまうことはできなかった。バイオテク産業は自衛のために、どちらかと言うと、外部に対して非常に高度で巧妙な制御機構を設けて、これによって彼らの製品が独立した研究にさらされることがないようにしている。
「その通りです。研究をしようとする人にとってはさまざまな困難がつきまといます」と彼女は言う。「通常は、研究を実施するための資金の確保に集中します。でも、試験の対象である材料を確保しなければなりません。この場合は、遺伝子組み換え種子となりますが、試験用のGE種子を入手すること自体が結構難しいのです。」
『農家の人たちが作付けのために必要な種子を購入したい場合、「技術使用者合意書」に署名しなければなりません。購入した種子に関して署名者が何らかの研究をすることは許されず、研究のために他人へ譲ることも許されないのです。』
『基本的には、何か別の合法的な方法を模索する必要があります。私たちはそうしましたが、かなりの時間が必要となりました。他の手法としては、業界へ出向いて、「種子を少し分けていただけませんか?」と依頼する必要があります。私たちもそうしてみました。しかし、種子を入手するために私たちに提示された条件は、ほとんどの場合、企業から公正に種子を入手できるような条件ではありませんでした。』
研究対象のGE種子は特許法によって固く守られていることからハードルが非常に高いことに加えて、GMOの研究を目指す研究者はその研究領域で個人的、ならびに、専門的にさらされるかも知れない信用の失墜や嫌がらせに対して十分に備えておかなければならない。
偽りなく、この種の研究を行う人は聖人に近いに違いないと思う。と言うのは、GMOについて否定的な研究結果を公表することは、現実には、自分たちの研究結果にわざと「汚名を着せる」ようなものだ。 ほとんどの場合、研究者は個人攻撃や中傷に耐えなければならなくなる。また、このような過程で自分の専門的職業をはく奪された研究者が多く存在する。
たとえば、カルマン博士は、過去6年間に、大学での地位をはく奪されそうになったことが6回もあるという。このインタビュウで彼女が後に述べているように、彼女はこの研究ではこういったことが起こるかも知れないということを知っていたからこそ、自分の身を守ることができたのだ。彼女は給料を貰うことを辞退し、その研究に対して助成金を受けることを辞退したほどだ。
研究のための資金を得ることは大きな難題だ。これらの研究を行う農業大学の多くはよりによって種子を生産する企業から研究資金を得ている。大学側にとっては産業界との間にある資金を潤沢に入手できるこの関係を台無しにしてしまうような研究にはおよそ興味が沸いてはこない。カルマン博士の場合、幸せなことには、彼女のチームには南オーストラリア州政府から研究資金を取得することができた。
どうして業界の安全性評価では本当のことを見出すことができないのか?
米国の養豚場で育てられている豚は、今日、多くの場合はGE飼料が給餌される。典型的には、GE大豆とGEトウモロコシの混合物である。この研究論文の共著者であるハワード・ヴリージャーはGE飼料で育てられた豚には、非GE飼料で育てられた豚と比べて、違いがあることを認めていた。こうして、彼はこの研究を熱心に推奨するひとりとなった。カルマン博士はどうしてこの研究を始めることになったのかを下記のように説明している。
「彼はふたつのことを発見していました。GE飼料を給餌された豚は腸に問題を引き起こします。特に、胃にひどい炎症を引き起こしていました。また、腸管の壁が薄くなって、大腸からの出血を起こして15分程度で失血してしまうのです。
彼のもうひとつの発見はGE飼料を給餌された雌豚は受胎率が低下し、流産の率が増加するという点です。今でも雌豚にイノシシを交雑させている米国の養豚産業の地域においては生まれてくる子豚の数が減少していることを彼は発見していたのです。」
彼らはこうした現象についてもっと詳しく観察することにした。カルマン博士はGE食品の安全性に関してGE 食品業界が行う試験方法については卓越した批評家でもあることから、彼女は自分が行う試験の方法も非常に慎重に扱った。
一般的に、業界が行う安全性試験はふたつのグル-プに大別される。
1. カルマン博士によると、業界が言うところの「安全性の評価」とは家畜の生産性を研究するだけであって、それ以上のものではない。かなり多くの家畜を用いて、彼らはひとつのグループにはGE飼料を給餌し、他のグループには非GE飼料を給餌する。
しかし、業界の研究者が求めようとする試験の結果は典型的には人の健康とは無関係である。これらの研究は、基本的に、このGE飼料を家畜に給餌した場合家畜を市場へ送り出すまでの長い期間を家畜が生存し、立派な成果を上げるということを畜産農家のために立証しようとするものだ。
2. 2番目のタイプの研究は畜産物製品が人の健康に悪影響をあたえるかどうかを見る動物試験である。GMO業界においてはこの種の研究が行われることは非常に稀である。通常、この種の研究に供される家畜の数は少なく、GE飼料が給餌される。時には、研究対象であるGE飼料を給餌しないこともある。その代わりに、「有効成分」が用いられる。そのような場合には、そのGE飼料に組み込まれている特定のタンパク質が用いられる。
たとえば、少数の動物にGEタンパク質が与えられ、一回の投与によって7日間とか14日間の間にどのような影響が生じるかを記録する。その動物(通常はネズミ)が死亡しない場合はすべて良しとする。これでは余りにもひどいと思うかも知れないが、時にはこういった手法が業界が実施する安全性評価の試験であったりする。さらに驚くべきことがある。試験に供されるたんぱく質は実際のGE作物から得たものではなく、同たんぱく質を生産するバクテリアから得たものであったりする。カルマン博士が特記しているように、このような試験では何年にもわたって、あるいは、生涯にわたってGE作物を摂取した場合の長期的な健康影響を見出すことは不可能だ。
統計的な有意性を求めて
カルマン博士のチームはネズミの代わりに豚を用いることにした。GE飼料を給餌された豚にはすでに悪影響が認められていた。そして、豚の消化器系は人の消化器系と非常によく似ているのだ。実際に悪影響があるとすればそれらが見つかるようにと十分に長い期間にわたって給餌することにした。子豚が乳離れした時点から、子豚を無差別にふたつのグループに分けた。ひとつのグループにはGE飼料が給餌され、他のグループには非GE飼料が給餌された。これらの豚には同一の飼料が商業的な寿命期間(約5か月)の間ずっと給餌された。
豚がすっかり成長し切った時点で、業界基準にしたがって食肉処理された。本研究に従事する人たちは、最後の段階で解剖を行う獣医も含めて、全員が目隠し処理を受けた。つまり、どの豚がどちらの飼料を給餌されたのかは誰にも分からない様にして、すべての作業が進められた。2年前に、全寿命期間にわたってGEトウモロコシ飼料を給餌するこの動物試験が実施されたが、それによると、乳腺腫瘍、腎臓や肝臓の損傷、早期死亡、等を含む深刻な健康障害が起こることが判明した。
ギレス・エリック・セラリーニによって率いられた例の研究はグリホサートの影響を分離して抽出しようとした。そうするために、ひとつのグループのネズミにはグリホサートを噴霧してはいないGEトウモロコシを与え、他のグループにはグリホサートを噴霧したGEトウモロコシを与えた。そして、もうひとつのグループにはグリホサートの水溶液を与え、GE飼料は与えなかった。すべてのグループに深刻な健康障害が発生したが、グリホサートとGEトウモロコシとの組み合わせが最悪の結果を示した。
「私の考えでは、統計的な有意性を見い出すためには彼はもっと多くの動物を使うべきでした。」と、カルマン博士は言う。「その点こそが私たちの豚の研究で実行したことなんです。数多くの豚を使えるように私たちは手配しました。もし生物学的に有意な何らかの事象が起こった場合、その事象を統計学的に抽出できるようにしたのです。全部で168頭の乳離れしたばかりの子豚を準備しました。それらの子豚をふたつのグループに分け、ひとつのグループにはGE飼料を給餌し、他のグループには非GE飼料を給餌しました。各グループは84頭です。これによって、大きな違いが現れました。より複雑な統計処理を実施することが可能となったのです。事実、われわれが使った統計処理の枠内でいくつかの仮定をさらに掘り下げることができた次第です。」
消化器系の炎症が有意に生じることが豚を使った動物試験によって判明
嘆かわしいことには、現実に豚に給餌されるGE飼料は一種類だけではない。すでに述べたように、典型的にはGE大豆とGEトウモロコシの組み合わせである。カルマン博士は、ふたつの互いに違うGEトウモロコシの他に、ラウンドアップ耐性大豆(ラウンドアップという除草剤に耐性を持つGE大豆。これを作付すると、除草剤は周囲の雑草のみを退治し、このGE大豆には影響を与えない)を飼料として準備した。「私たちは3種類のGE遺伝子を給餌し、それらのたんぱく質を含む飼料を同時に与えたことになります。」と、彼女は説明した。
この組み合わせは、伝統的な養豚場では何種類かのGE飼料が用いられていることから、一種類だけのGE飼料を用いるのではなく、米国で通常用いられている給餌法をモデル化するためのものでもあった。GE飼料としては「ラウンドアップ耐性」や「Bt(バチルス・チューリンゲンシス)」といったそれぞれ異なる種類があることに加えて、米国ではGE飼料の37%は「二種類以上の遺伝子」が同時に組み込まれている。これらにはラウンドアップの耐性だけではなく、さらにもうひとつ、あるいは、ふたつのBt遺伝子が組み込まれている。つまり、米国における典型的な飼料においては、2種類あるいは3種類の遺伝子が組み込まれた飼料を給餌することは極めて当たり前のことだ。
「これらの豚はラウンドアップ耐性遺伝子とそのタンパク質製品、および、2種類のバチルス・チューリンゲンシス遺伝子とそれらのたんぱく質製品を食べたのです。後者は殺虫効果を持ったたんぱく質を生産することを目的としたものです。強度な消化器系の炎症が生じることを発見しましたが、これはこれらの動物が食べたタンパク質の間に生じた相互作用のせいではないかと考えています」と、彼女は述べた。
本研究の結果、カルマン博士のチームはGE飼料を給餌された豚の胃には深刻な炎症が有意に増加することを発見した。全体としては、GE飼料を給餌された豚では炎症の発生が2.6倍も高まり、雄豚は雌豚よりも炎症の発生率がより高かった。雌豚の場合はGE飼料を与えると深刻な胃の炎症は2.2倍となり、雄豚の場合は胃の炎症は4倍にもなった。
『私が「深刻な」という言葉を使う場合、この言葉は、胃が腫れあがって、胃の表面全体がサクランボのように真っ赤になった状態を指しています。このような胃の状態は私にとっても、あなたにとっても、決して望むべきものではありません』と、彼女は言う。
ご自分でこの研究結果を詳しく覗いてみたい方はGMOJudyCarman.orgへアクセスして欲しい。GE飼料を給餌された雌豚の子宮は25%も重量が増加していた。これらのふたつの発見事項はそれぞれが生物学的にも統計学的にも有意である。カルマン博士らは論文中でこの種の子宮の肥大が示唆する病状に関して論じている。
「私たちが注目していたふたつの事項がここに報告されています。また、ハワード・ヴリージャーが問題として提起した家畜に関するふたつの事柄は、特に、豚に関してですが、統計的には有意であることが分かりました。(1)消化器系の問題、特に胃の炎症、ならびに、(2)生殖能力に関してです。今回の研究では、子宮の肥大が観察されました」と、彼女は言う。
一旦商業化されたGE作物はもう中止することができないのか?
人々がGE食品を長期にわたって摂取した場合、健康障害が劇的に増加するのではないかと私は思う。私自身が努力して達成したいことは何としてでも被害者の数を減少させることだ。私が推奨したいことは明白である。GE食品を避けることに尽きる。GE食品のラベル表示が行われてはいない国では、GE食品を避けるためには証明書付きのオーガニック食品を購入することだ。ラベル表示がない国では、あなたの選択肢として残されているのはそうすることだけで、他にはない。
カルマン博士が記述しているように、化学業界はGE製品を食品として供給する前に安全性に関して十分に立派な仕事をして来たとはとても言えない。不幸なことには、何億人もの人たちがすでにリスクにさらされている。また、そのリスクを認識することもなく、安全性に関しては非常に疑わしいGE食品を毎日のように子供たちに与えているのが現状だ。多分、すでに何年にもなっている。
米国では、慢性疾患の増加に対して、特に、子供たちの慢性疾患の増加に対してGE食品が貢献しているのではないだろうか?業界は「ノー」と言うが、さまざまな証拠を見ると、それらはまったく別のことを語っている。人の寿命は約80年だ。GE食品というこの巨大な実験が始まったのは20年前のことである。GE作物が加工食品にふんだんに使用されるようになった時期から数え始めるとこの期間はもっと短くなる。被害者の数を表にして掲げることができるようになるまでには今後何十年も必要となるだろう。このことこそが安全性の評価のためには長期にわたる動物試験を是非とも行なわなければならない理由である。人の寿命に比べて、ネズミや豚の寿命ははるかに短い。
科学的な反論を否定
セラリーニ博士ならびにカルマン博士の研究は、われわれは予防原則を実践し、GE食品を避けなければならないことを示唆している。言うまでもなく、これらの作物を開発した化学会社はビジネスを保護し拡大しようとしており、自主的に自分たちのビジネスを閉鎖しようとはしない。利益を守るためには彼らはどんな苦労も惜しまないということがすでに証明済みだ。一介の研究者の名声や生計を破壊することなどはモンサントのような多国籍企業にとっては巨大な計画を実行する上で何の苦痛にもならない。
「コルベット・リポート」は、産業界が自分たちの決定に対して異論を唱える科学者を黙らせようとして用いるいくつかの不名誉な手法を論じている。特に業界があらかじめ考えた内容と合致しない研究を行った科学者がその対象だ。業界の利益に損害を与えるような研究を発表した研究者は産業界の犠牲となり、そのリストはすでに結構長く、今後もさらに長くなるばかりだろう。
上述したように、セラリーニが試験動物の生涯にわたって給餌を行った研究から得た知見は論文審査が行われているエルゼビア社の専門誌、「Food and Chemical Toxicology」に発表された。これは驚くべき内容であった。この研究はGE食品の毒性を示す強力な証拠であった。また、今でもそうである。セラリーニの研究でもっとも重要な点は実験開始から13ヶ月目になってからさまざまな病気に見舞われるということを発見したことだ。一方、業界が資金を提供した研究では、あまりにも短かい期間での研究であることから問題が表面化することはなかったのだ。次のことを考えて貰いたい。ネズミの寿命は24ヶ月である。これをあなたのお子さんの寿命である80年と比べてみよう。ネズミの13ヶ月はあなたのお子さんの40歳代の始めから中頃に相当する。
業界は直ちに反撃に出た。厄介な研究結果は排除するという意味では、最後の砦とも言える状況が出現した。出版者であるエルゼビア社が論文を撤回したのだ。セラリーニの研究で得られた知見は「決定的ではない」との理由だけだった。知見が決定的ではないというだけでは論文の撤回の理由としては有効ではない。エルゼビア社の行動は大きな反発を引き起こし、「招かれざる」研究結果に対しては検閲をかけるという現実は、少数とは言え、識者の目を見張らせるには十分だった。国立衛生研究所さえもがその「決定的ではない知見:それらを見たが、もう見ることができない!」と題する社説でエルゼビア社を叱りつけた程だ。
嫌がらせ、良くあること
特定の研究者が正常な心の動きを維持できるぎりぎりの限界まで嫌がらせを受けた好例はタイロン・ヘイスでなないだろうか。彼が行ったアトラジンの研究は彼の人生を被害妄想の悪夢に変えてしまった。レイチェル・エイヴィヴが2月10日発行のニューヨーカー誌の記事で彼の悪夢について報告した。1990年代の後半、ヘイスはある除草剤に関してそのメーカーであるシンジェンタ社のために実験を行った。
エイヴィヴの報告によるとこうだ。
アトラジンはカエルの性的発達を損なうかも知れないということをヘイスが発見した時、彼のシンジェンタとの付き合いはぎくしゃくしたものに変わって行った。2000年の11月、彼は同社との関係を断った。ヘイスは独自にアトラジンの研究を続けた。間もなく、ヘイスはシンジェンタの代理人が国際会議に出席しようとする彼を世界中何処でも追跡していると確信するに至った。自分の名声を破壊しようと同社が行動を起こしたのではないかとして、彼はひどく心配した。
今から2年前、アトラジンに関する彼の研究はシンジェンタ社に対して米国の23の地方自治体が起こしたふたつの集団訴訟において科学的な根拠として採用された。これらの訴訟は同社が「アトラジンが持つ危険性を隠匿した」ことによって飲料水が汚染されたとして訴えを起こしたのである。これらの訴訟手続きの間に、ヘイスが抱いていた心配は事実であることが関連文書によって判明した。確かに、同社の有毒な除草剤を過去15年間にわたって真剣に研究していたヘイスについて、シンジェンタ社も負けず劣らず彼のことをあれこれと調査していたのである。
その後、事態は誰にも耐えることができないような、身の毛がよだつような状況にさえ達した。広く使われている除草剤に関してひとりの科学者が研究を行い、そこで得られた真の情報を皆と共有しようとしていた。何と言っても、この除草剤は強力で、われわれの誰に対してでも、また、生態系に対しても影響を与え得るのだ。
エイヴィヴの報告はこう述べている。
シンジェンタの対外宣伝チームは四つの目標を書き留めていた。まず最初の目標は「ヘイスの信用を崩すこと。シンジェンタの対外報道担当のシェリー・フォードのスパイラルノートに書き留められている内容によると、彼女はヘイスのことを彼のイニシャル(TH)だけで引用し、「彼は信用できないのでTHのデータが参照されることは阻止する」と記している。シンジェンタは「ヘイスの失敗や問題点を悪用する」手立てを探ろうとした。「THが何らかのスキャンダルを起した場合は、世間は彼を見捨てる」とフォードが書いている。ヘイスはノースカロライナで育っているので、「ノースカロライナは彼を受け入れることはないだろう」、「誇大な賞賛が必要」、「眠れない」、「生涯にわたる疵」、等が彼女の記録の中に見られる。「一体何が彼にやる気を起こさせているのか? - これが基本的な問いだ」とも記している。
あなたは誰の言葉を聞くべきか? 大企業?それとも、企業からは独立して自由に研究を行っている研究者が言うこと?
自分の同僚からは疎外され、個人的あるいは職業的な名声に泥を塗るような、あるいは、ことによると将来の家計さえもが破壊されるかも知れない研究であるのに、研究者にとっては一体何が研究に駆り立てているのであろうか?カルマン博士の場合は、それは真実を見出そうとする情熱だ。そして、人間同士に対する深い思いやりだ。これにはあなたご自身の子供たちやまだ目にしたこともない孫たちも含まれる。彼女は自分の収入の道を閉ざし、職場での嫌がらせに耐え、真実を追求した。まさに彼女はわれわれ全員にとって立派な手本となるような存在だ。
そうした研究を行うことにはリスクが付きまとうことを彼女は十分に心得ていた。この専門分野の研究者たちは否定的な知見を公表することになった場合、仕事から追放されることがあることを彼女は認識していた。こういった科学者たちは世間では恥を忍び、失職し、将来の研究からは排除されかねない。この種の可能性を回避するために、カルマン博士は前向きに対処し、何らかの反発があってもそれが彼女の仕事を中断することがないように備えたのである。
「当初は資金がまったく集まらいことは明白でした。この分野では研究を開始するために資金援助をする団体へ出向き、必要な資金を入手することはまず不可能です。人の健康に悪影響を与える可能性があることから、私はそれを心配していました。しかし、どうしてもじっくりと観察する必要があると決心しました。動物に悪影響が認められた場合、そのような知見が人に対しても適用できるかどうかを見極めることが可能な動物実験を実施することが必要でした。」
「それを実現するには給料を貰える雇用関係からは離脱しなければならないと自覚しました。事実、この研究では外部からは資金の提供は受けてはいません。45歳になっており、私には十分な投資利益があり、基本的には無料でこの研究を続けたのです。経費も僅かでした。数年間は貧乏暮らしを続けました。でも、研究は不可避でした。遺伝子組み換え作物は食用に供することができるのかという火急の課題を私は抱いていたのです。
多くの人たちは研究を継続するよりも、むしろ、自分の家族の面倒を見ることを選択することでしょう。この研究を実施するための資金を得ることは困難であるばかりではなく、研究の後にやって来る嫌がらせ対して生き延び、将来の生計に対する脅威に打ち勝たなければならないのです。事実、この分野で研究をしている人たちの多くは賃金を得る雇用関係からは離脱しています。そうすることによって、生計に対する脅威を受けないようにするためです。」
資金源を追う
約20年前にGE種子が導入されてからというもの、これらの化学品依存作物の市場は何十億ドルにも達する産業を生み出した。より多くのGE作物の開発のために必要な資金は主に民間の殺虫剤業界から流れて来た。この15年間、科学の領域における利害の衝突は指数的に増加している。現時点では、どのような研究を行うべきか、どのような情報を公表するべきか、どういった情報は公表しない、といったさまざまな点に関して利害の衝突が起こっており、それらが主役を演じている有様だ。
GE作物に関して実施された研究はすべてが産業界、あるいは、農業大学に対して直接あるいは間接的に与えられた資金によって支えられている科学者たちによって行われている。したがって、結果がどのようなものになるのかは予想可能だ。科学者としての適格性を十分に備え、かつ、「十字架を背負う」覚悟ができている人は現実には非常に少ない。でも、この現実はあなたが独立した研究者としてGE作物を研究する場合、今や、標準的なものであるとも言える。
科学に対する私の賞賛は是非ともカルマン博士にお送りしたい。ここに紹介した非常に重要な研究は彼女の個人的な犠牲を通じて初めて可能となった。この研究が行われなかった場合、これらのGE食品が長期的にはわれわれの健康にどのような影響を及ぼすのかに関してはまったく何も知らされずに、何の手掛かりもなしにGE食品が横行し続けることになる。誰も告げることのなかったこの大規模な人体実験の悪影響に関して、今や、われわれはこの研究成果に基づいて十分に根拠のある推測をすることが可能となった。また、GE食品を受け入れるのかどうかを自分で決定することも可能となった。私の側からのお勧め?もちろん、GE食品は出来るだけ避けたほうがいい。
毎日支払うお金を通じて自分たちの選択をしよう
下図 [訳注:図は割愛しています…] の左側の欄に列記されている食品関連の会社はカリフォルニアとワシントンの両州で行われた「食品ラベル表示」運動に反対して何百万ドルものお金を注ぎ込んだ企業である。つまり、あなた方の食品に何が含まれているのかをあなた方が知ることがないようにと彼らは目論んでそうしたのだ。 [訳注:図中に掲載されている主だった団体や企業を挙げると、アメリカ保存食品製造者協会(GMA)、モンサント、デユポン、バイエル、ダウ・アグロサイエンス、BASFプラントサイエンス、等。] 右側の欄に示す各種のブランドに乗り換えることによって、スコアを平坦にすることが可能だ。 [訳注:現状では、巨大企業側にスコアが偏ってしまっている。] 右側の欄に示す企業は「I-522知る権利」の運動に参画してくれた企業だ。個々の食事毎にあなたのお金を使う相手を選ぶことが重要だ。そうすれば、大きな違いがやがて現れてくる。GMAのメンバーであり反逆者でもあるブランドをボイコットすることによって、生活の場に存在するデコボコを平坦にし、自分たちが食べる食品に関する制御権を自分たちの手に取り戻すことができる。
遺伝子組み換え食品に関しては引き続き自己研鑚をするようお勧めしたい。ご自分が学んだ内容を家族や友人たちと共有して欲しい。あなたが手にする食品が証明書付きのオーガニック食品ではない限り、砂糖大根由来の砂糖が含まれていればその食品にはGE食品が含まれていると想定することが妥当だ。大豆やトウモロコシについても同様である。
<引用終了>
世界は、目下、遺伝子組み換え食品を受け入れるのか、受け入れないのかで大きく二分されている。世界中で約60か国が遺伝子組み換え食品にはラベル表示を義務付けている。中には、遺伝子組み換え食品を禁止している国もある。米国はその何れでもない。この米国の現実がここに引用した記事の著者に米国では「誰も告げることのなかった人体実験」が進行していると言わせた。
日本ではGE食品原料の記載が義務付けられている。しかしながら、産業界からの抵抗圧力が高くなる一方で、このままでは消費者の安全性が無視されてしまうのではないかとする懸念がいや増しに高まっている。
カルマン博士の献身的な研究によって、自分たちが食べるGE食品は長期的には健康障害を起こす可能性が高いことが初めて判明した。これは掛け値なしに画期的な研究であると言えよう。この研究を突破口として、第二、第三の研究が続いて欲しいと思う。
また、GE種子の業界が見せてきた商業的倫理は最悪だ。上述のように、今、その実態がカルマン博士や他の献身的な科学者によって明らかにされ、衆人の目にさらされつつある。
日本の大手メデイアでは報道されてはいないかも知れないが、この種の情報はインターネットで容易に入手できる。ただ情報源が英語であるので、翻訳が必要となる。毎日が日曜日である私の出番が回ってきたと自覚した次第だ。
♞ ♞ ♞
日本における遺伝子組み換え食品のラベル表示との関連性をここでちょっと考えてみたい。
環太平洋経済連携協定(TPP)が成立した暁には、米国の企業は下記のように主張するのではないだろうか。
「日本の食品表示に関する法律は米国の企業にとっては非関税障壁となっている。そのせいで自分たちはこれだけの経済的損害を被っている。ついては、TPP条約に規定されているISD条項に基づいて日本政府はこれだけの賠償を支払って欲しい…」といった訴訟が今後現れるかも知れない。
あるいは、日本の国内法規を変更して表示義務をなくすようにと米国は日本政府に圧力をかけてくるのかも知れない。
以前のブログで私の個人的な意見として「米国にとってはTPPとは日本の富を収奪するための手段である」と記した。
食品のラベル表示だけを取り上げても、米国がやろうと思えば何十億円、何百億円もの賠償金額を日本政府から奪い取れるのではないかと推測される。それはあなたや私が収める税金からだ。これで成功した暁には、味をしめて他の分野でもISD条項を適用することによって次々と富の収奪が繰り返されるのではないだろうか。そのような状況が起こることは米国、カナダ、メキシコによる北米自由貿易協定(NAFTA)で証明済みだ。
今愛国右翼を名乗っている者たちの方が、本当の日本人の魂を放棄していると私には感じられます。(一部には本当に国を愛した行いをしている人たちのグループもあるかもしれませんが・・・・)
だから貴方が真に国を憂えるのだったら、自分から反日と言うのは、間違っていると思います。
貴方が憂えておられる相手こそ、反日と言えるでしょう。
以前ネットで読んだ事がある話なのですが、
人類はどこの国でも、人間性に置いて優秀な者と、非常に劣っている者が、パーセンテージは忘れましたが、10%か20%ずつ居り、残りの大部分の人々が中間的な人間性の人になっているそうです。
不思議な事にどんな団体に置いても、人はこういう割合に分かれるのだそうです。
これは何を意味するのでしょう?
思うにこの世を面白くする為(又は人間性を磨く為)に、造物主が事前に設定されていたからではないでしょうか?
私は以前春夏秋冬の時「仏教徒として考えたら」という文を書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/fenetre39/e/7fed1545d16eee38746b0458669395cfこんな世の中に生きているからと言って、絶望したりイラついたりしないで、
今与えられている命を、存分に生きるのが良いのではないでしょうか?
慌てなくても人間は必ず極楽浄土に戻る事が約束された存在なのですから・・・・・
人に迷惑を掛けない範囲内で、自分がやりたい事を思う存分やって行けば良いのだと思ったら、ちょっと楽になるのではないでしょうか?
現状を改革する為に動く(出来ることをする)のでなく、人を憎んでいるだけでは、気が塞がるだけだと思います。
私達は出来る範囲で、やるべきだと思うことを存分にやって、阿弥陀様の所(又はハライソetc)に、戻してもらおうではありませんか。
[2014/05/18 13:54] URL | 和久希世