耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

いとこ会

2016年04月02日 11時44分43秒 | 世相今昔
 いとこ会の集まりで、花見をした。

 新宿御苑に集まって、昼に天麩羅食って昔話をしよう、と言う趣向である。

 朝10時に御苑新宿門の切符売り場に集まろう、と言う事にしたが、年寄り
のことだから早めに来るかもしれないと思い、9時半に行ったら、もう二人が
来ていた。5人の内4人が30分前には集まってしまった。

 10時前に入場するときは、殆ど並んでなくてすんなり入れたが、11:30に
出るときには、新宿門は入場制限されていて、長蛇の列が待たされていた。
シーズン中は早めの行動がお薦めである。

 桜は、やっと咲き出したところで、花モモや雪柳も綺麗であった。



 私の母は、2男4女の4番目で、いとこ達は全部で22人居る。昔はみんな
多産であった。
 故郷は福岡県の南部の田舎で、大きな藁葺屋根の家に夏休みなど親族
一同が集まっていた。その後叔父叔母はみんな出て行って、藁葺屋根の母
の実家は既に無く、いとこ達も半分以上が関東圏に住んでいる。戦後の
家族形態の変化の、縮図を見ているみたいである。

 我々の共通の祖父は俳人で、虚子やホトトギス一派とも親交があったようだ。
教職にあって、当時日本であった朝鮮半島に派遣され、かの地でホトトギス
俳句の普及に尽力したようである。その影響で叔父叔母にも俳句をたしなむ
人が多く、いとこ同士で毎月句会を持っていたとのこと。これが我々の先代の
いとこ会で、句集も残っている。

 これまで何回か、いとこ会で食事をした事が有ったが、今回もその例に
もれず、みんなが写真やメモや昔の句集などを持ってきて、昔の思い出話を
我勝ちに話して、収拾がつかないまま、大盛況であった。
 不思議と自分の近況や子や孫の話は少なく、カビが生えたような昔の思い出
ばかりで、盛り上がった。



 最近は遠くの親戚より近くの他人、と言うより日常的に接している仕事や
遊びの仲間以外との交流が薄くなっている気がする。
我々の親たちの世代では、血がつながった親族が身内で、それ以外は世間と
して、身内で結束して対抗する相手だった。だから身内の結束は固く、田植えだ、
稲刈りだと言っては集まって、飲み食いと花札で親族の絆を確かめていた。

 今では核家族化により、身内の範囲が親兄弟に狭まり、3親等以上の遠い
親戚は近くの他人より疎遠な位置づけになってしまった。たまに会って昔話を
するのは楽しいが、子や孫の話をする相手ではない。




 新宿御苑の桜は綺麗だった。
春風に花びらが舞う風情は詩になるが、咲き初めたばかりのまだ初心な花も、
新鮮で良い。

     花に来て若かりし日の話して
     我もまた日本人なり花に酔ふ
     これも良し桜の下のいぬふぐり 蛙蝉



 次回は紅葉の頃になるだろうか。
 今回参加できなかったいとこ達も含めて、又同じ話の繰り返しを楽しむこ
とになるだろう。




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