レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

父のこと 8

2015年02月25日 | 父の話
父の人生は怒りで彩られていた。


私が思い出す父は大体怒っている。
顔を真っ赤にして怒鳴っている姿、
あの姿は嫌だったなあ。


父は短気だった、なんていう表現では収まらない。
父はある部分において病的に短気だった。
それは主に、父の考える「こうあるべき」が
そうでなかった時。
例えば静かにするべき場所で静かにしない人、
並ぶべき場所で正しく並ばない人、
そうするべき、をそうしない人。
そういう人相手によく爆発していた。


父は自分が正しいと思っていて、確かに正しい部分もあった。
父が怒る部分はモラルに関わる事が多く、
言うことが正しいか間違っているかといったら
そりゃあ、まあ正しい。
自分の中だけで何か思うだけなら、ただのモラルのある人だ。


...でも時々居るでしょう。
言っている事は確かに正しいけど
全面否定するような言い方で食ってかかり、否定される人。
ただ間違えているだけかもしれないのに
普段から何も考えていなくて気が利かなくて
まるでそれが悪気から、
あるいはその人の中のモラルの低さからきているかのような
理不尽な怒りを爆発させる人。


父はまさにその典型で、それが原因で敬遠される事が多かった。
小さい頃、そんな正しい自分が敬遠される世の中を
冗談交じりに嘆いている父を見て
父によく似ていた私は心底同情していた。
それから少し大きくなり、友達が出来た私は
「正しい、でもそれだけではない」という事も知り
父を見る目がその頃から少しずつ変わっていく。

父のこと 7

2015年02月25日 | 父の話
分かっていた事だけど
父は独り暮らしの中で不摂生をし続けだった。
家事や料理が一切出来ない、というのもあって
食事はインスタント、一日一箱の煙草は欠かさず
お酒は酩酊状態になるまで飲んだ。
体調を崩しては連絡が取れなくなり
病院からの電話で私が駆けつける、
といった事が二年くらい続いて
父は他界した。


多分父は一日も早い迎えを望んでいた。
そんな道を選んだのは他ならぬ父なのに
父は選ばされたと思っていただろう。


普段から私はちょいちょい父の不摂生を怒っていたから
父から治療について思うところなど
聞きもしなかった。
今回ばかりは許さない、
とにかく荒れた生活を立て直して
...言葉がちょっとおかしいかもしれないけど
父を生きさせなくては、その事しか頭になくて
ただただ自分のためだけに奔走していた。


父がこうなっている根本の原因
「この世で生き辛い理由」
を考えなかった。