レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

萌え

2005年12月13日 | ぼそぼそ
 「モエって何だ」と
しばらく日本を離れていた彼に聞かれた。


ピコの下で
放射線を計る単位だと答えておいた。
あながち間違っちゃいないだろう。

金は天下の

2005年12月11日 | ぼそぼそ
 私の働いている会社、今年企画が当たって
大忙しだった。
連日大賑わい、プリンターはフル稼働。
詳しくは分からないが、大変に儲かったようだ。

浮かれている社長に申し訳ないのだが
プリンターの調子が大変に悪い。
五年ものですから、そろそろ買い換えて頂かないとね。


千七百万円ですって。



世の中ってそんなもんです。


そんな病気って

2005年12月08日 | そんな病気の話
 数年前に喧嘩別れをした知人が、どうやらある
精神的な病だったようだ。
別れるにあたり、あまりに不思議な事を言われたので
これはちょっとおかしいんじゃないかと思い
気になる点をグーグルにぶち込み、検索ボタンを押したところ
どんぴしゃの病気があったのだ。
とは言っても勝手に調べた結果、
症状が九割方あてはまる、というだけで
彼女がそうと言っていた訳ではない。
私の憶測に過ぎないので、
実際病気でないといいなと思う。



病名を出すのは避けるが、その特徴的な症状として

●誰かに病的に依存する、或いは誰かを病的に崇める
●崇め依存する割にはその人をこきおろしたりする
●「良い自分」と「悪い自分」がいる
●現実を見ていない、自分の事でもどこか他人事
●自分をすべて受け入れて欲しがる
etcetc...

ただの性格に問題がある人だと思っていたが
これはれっきとした病気らしい。
詳しく調べていて私がショックを受けたのが
これは 医者が診たがらない病気の一つだ、という事だった。


色々な要因が絡み合ってこの病気を発症するのだが
大きな原因の一つに親がある。
親が同じ病気だった場合、子供はその影響をもろに
受けてしまうので(遺伝・刷り込み等)
外で医者が薬やセラピーによる治療に精を出しても
内で(家庭内で)元の状態に戻ってしまうのだ。
本来ならそんな病人を支え、治療を助けてくれるはずの親が
原因であり、治療を困難にしている。


この病気の治療は困難だが、本人が自分の病気を自覚し
治したいと強く願う事が大事だという。
そのためにはそんな症状のすべてを引っさげて社会に出、
嫌われたり失敗したり挫折したりする事も
時には必要だと記されている。

そんな病気って、あんまりじゃないだろうか。



*******************


 件の知人とトラブルがあるたび、私は友人達に相談していた。
「そりゃあおかしいねえ」と笑って聞いている友人だが
そのおかしさが どうも病気から来ているみたいだよと報告すると
友人は急に怪訝そうな顔をして
「え、それってさ、病気って言うの?」と言った。


それこそが恐らく、一番厄介な問題なのだ。
ただ性格が悪いだけ、というなら笑い話ですむのに
それが病気だと言われると
途端に笑い事では済まなくなる。
聞いた相手は「じゃあ」 と思うのだ。
じゃあ 仕方ないね、ではない。


じゃあ 早く治しなよ。


それは多少の苛立ちや怒りを含んだ言葉になる。
なぜならその症状は、頭痛や腹痛といった
本人が痛み、苦しむものではなく、
周囲を試し、疲弊させ、振り回して傷つけるものだからだ。
周囲にしてみればたまったものではない。
病気という言葉が言い訳のように聞こえ、
病気だったらじゃあ、治せばいいと思うのだ。



不愉快なその行動は、
実は頭痛や腹痛と何ら変わらない。
病から来る症状の一つなのだ。
その苦しみは本人にしかわからないだろう。
他人の理解を得がたく、同情されることもなく
医者も診たがらない。
何と孤独な病だろうか。



書けば書くほど出口の見えない病だが
この病気を調べている段階で、
患者を取り巻く家族や友人が
情報を交換したり、励ましあったりするサークルを
いくつか見つけた。
医者が診たがらない病気だとはいえ
すべての医者が診たがらない訳ではない。
積極的にこの病気の原因や治療法を
解明しようとする医者も沢山いるだろう。
患者と手を繋ぎ、共に闇をさまよい、
手探りで出口を探している人達が確かにいるのだ。



何度かこの話の結論を書こうとして消してしまった。
私の中では答えは出ているつもりだったが
いざ書いてみるとひどい違和感を感じた。
多分私の中では、まだ終わっていない問題だからだ。
だからもう幾日か、幾月かの夜を費やして
どう考えたらいいのかを考えてみようと思う。

重い話は一旦〆。
読んで下さり ありがとう。

ブヒブヒ

2005年12月06日 | ぼそぼそ
 近所で暴走行為が盛んだ。


ヤンキーブームが去ってしばらくの頃はめっきり減り、
大晦日の夜か元旦にしか聞かなくなっていた。
それが最近は何だかよく走っている。
バイクが安いのだろうか。

ここらは一帯団地群なので、その中を走ると大変によく響く。
ひとふかしすれば風呂場で歌っているかのように
周囲の団地に反響した、気持ちのいいエコーがかかる。
暴走中の彼も響きに気をよくしてか
ブヒブヒと余計なサービスをしながら走ってゆく。
が、ここら一帯は坂がきつい事で有名だ。
あまりにサービスをしすぎてよくエンストしていたので
最近は地味に一気に坂を登りきってから
頂上で到達のブヒブヒをしているのが聞こえる。
人は登りつめるとつい雄叫びをあげてしまうものなのだろう。


私がまだ小便くさい中学生だった頃
一クラスに三人は真ヤンキーがいた。
今でもそうかもしれないが、当時はもっと熱く
ヤンキーブームだったのだ。
半ヤンキーやヤンキー風なんてのはまずいない。
男ヤンキーは尾崎豊を聞き、すごく真面目に先公と戦い、
女ヤンキーはホットロードという漫画の影響で
多かれ少なかれアンニュイな雰囲気を醸し出していた。
学校の廊下をバイクで走り回る彼ら、
だけど私はその下準備で 三階の廊下まで
三人がかりで単車を押し上げている彼らを見ている。
彼らは学校やら組織やら権力やら先公やらと
そのようにして戦っていたのだ。
坂の頂上でブヒブヒを聞くと彼らの事を思い出して
何となくへその辺りが痒くなってしまうのだ。
「ああ、(照れ笑い)いたね」という感じで。


坂の上の彼も、見えない何かと爆音で戦っているのだろうか。
願わくばその何かに打ち勝てるように、
そしてもう少し静かな方法で、戦う術を見つけられるように。