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アイルランド紀行(20)(最終回)
エピローグはプロローグ
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左の『CATEGORY』欄から
『アイランド紀行』をクリックして下さい。
<エピローグ>
■連載を終えて
こうして,アイルランドの旅は終わった・・・・が,旅行記を纏めよう,纏めようと思っている内に,ズルズルと歳月が過ぎ去り,もう旅行をしてから5年も経過してしまった。今,やっとあのときの記録をひとまず纏めることができて,正直なところ,ホッとしている。
ただ,残念ながら旅の途中で撮った写真が殆どないために,下手くそなスケッチだけで,旅の記録を綴らなければならなかった。スケッチだけで旅の印象がうまく記録できたかどうかが気がかりである。
振り返ると,ついこの間のことだと思える,この旅行記の舞台は,5年も昔の2002年のことである。あのとき生まれた孫娘と,つい先日,金時山へ登ってきた。あれからもう5年。5年という歳月は,短いといえば短いが,長いといえばとても長い。
振り返ると,5年前の私は,まだ現役バリバリであった。今思い返しても,あの頃は充実したなあと懐かしく思いだす。
その翌年,2003年,私はノールウェーで開催されたInSITE(今回の学会と同じ)の大会に論文を提出した。苦心しながら英語で書き,ネーティブに筆を入れて貰って提出した。そして,レフリーの審査も無事パス。発表するばかりになっていた。
ところが,運悪く世界的に大流行していたSARSの影響で,勤務先から,海外渡航を自粛するように要望された。折角論文が審査にパスしたのに,まことに残念,意気消沈した。今振り返ってみると,この頃が研究者としての私の絶頂期だったような気がする。そしてSARSとともに,研究者としての第一線を引退してしまったようである。
<大船→成田乗車券> <ダブリンの1日観光乗車券>
<ダブリン→コーク1等乗車券>
<1等着席券の領収書>
<ダブリン→コーク予約乗車券>
■山に転身
これ以降,私が然るべき学会で発表する論文の数は激減した。その代わりに,それまで余り興味を持っていなかった登山に,だんだんと,のめり込むようになっていった。そして,2002年9月,私は近畿ツーリスト(現:クラブツーリズム)横浜支社主催山旅スクール(以下登山学校と略す)第5期生として入学した。この登山学校で,3年間にわたり,西田,西方両山岳ガイドの訓導を受けたことが,その後の私の人生に実に大きな影響を与えた。
2004年秋に3年間にわたる登山学校を皆勤で終了した。その後も,この登山学校の「挑戦コース」には,可能な限り参加している。その傍らで,私は天候さえよければ,週に1~2回の頻度で,大倉尾根経由で,丹沢の塔ノ岳(標高1491m)に登り続けている。
<オランダで見掛けた花>
■年相応にガタが来ている
登山を続けているためか,私は表面的には,応分のレベルの体力を保っているように見える・・・が,人間ドックに入ってみると,年相応に,身体のあちこちが相当「ガタ」付いて来ている。例えば,白内障という程ではないが,水晶体も年齢相応に濁っているようだし,無症状ながら,どうやら胆石もあるようである。
ただ,心肺機能や脚力は,まだ現役並みのようなので,まだ当分は登山を楽しめそうである。
<エピローグは新たなプロローグ>
■記録を早く纏めたい
身体にガタが来ると,スタミナもなくなる。特に老眼混じりの眼で,長時間パソコンを見詰めるのが辛くなる。目先がチカチカして,我慢ならない。気力がある内に,これまで貯まっている未整理の旅行記録を早く纏めたい。
「纏めて,どうするの・・・?」
確かに纏めたところで,それがどうなるものでもないし,誰かに積極的に見てもらおうというわけでもない。ただの自己満足に過ぎないかもしれないが,それでも私は引き続き未整理の資料を纏めてみたいと思っている。それは誰にためのものでもなく,全く自分のためだけの面倒な作業である。
■新たなプロローグ
今度は,未整理の旅の記録の中から,このブログを使って,どの旅を纏めようかと,楽しみにしている。
とはいえ,連日,長文を纏め続けるのは,結構辛い。今回の連載が完了したのを機にして,数日の間は,ごく短文を載せるか,お休みするかで過ごしたい。そして,気力が再び充実してきたら,次の旅行記の纏めに取りかかりたいと思っている。
(おわり)
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■連載を終えて
こうして,アイルランドの旅は終わった・・・・が,旅行記を纏めよう,纏めようと思っている内に,ズルズルと歳月が過ぎ去り,もう旅行をしてから5年も経過してしまった。今,やっとあのときの記録をひとまず纏めることができて,正直なところ,ホッとしている。
ただ,残念ながら旅の途中で撮った写真が殆どないために,下手くそなスケッチだけで,旅の記録を綴らなければならなかった。スケッチだけで旅の印象がうまく記録できたかどうかが気がかりである。
振り返ると,ついこの間のことだと思える,この旅行記の舞台は,5年も昔の2002年のことである。あのとき生まれた孫娘と,つい先日,金時山へ登ってきた。あれからもう5年。5年という歳月は,短いといえば短いが,長いといえばとても長い。
振り返ると,5年前の私は,まだ現役バリバリであった。今思い返しても,あの頃は充実したなあと懐かしく思いだす。
その翌年,2003年,私はノールウェーで開催されたInSITE(今回の学会と同じ)の大会に論文を提出した。苦心しながら英語で書き,ネーティブに筆を入れて貰って提出した。そして,レフリーの審査も無事パス。発表するばかりになっていた。
ところが,運悪く世界的に大流行していたSARSの影響で,勤務先から,海外渡航を自粛するように要望された。折角論文が審査にパスしたのに,まことに残念,意気消沈した。今振り返ってみると,この頃が研究者としての私の絶頂期だったような気がする。そしてSARSとともに,研究者としての第一線を引退してしまったようである。
<大船→成田乗車券> <ダブリンの1日観光乗車券>
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■山に転身
これ以降,私が然るべき学会で発表する論文の数は激減した。その代わりに,それまで余り興味を持っていなかった登山に,だんだんと,のめり込むようになっていった。そして,2002年9月,私は近畿ツーリスト(現:クラブツーリズム)横浜支社主催山旅スクール(以下登山学校と略す)第5期生として入学した。この登山学校で,3年間にわたり,西田,西方両山岳ガイドの訓導を受けたことが,その後の私の人生に実に大きな影響を与えた。
2004年秋に3年間にわたる登山学校を皆勤で終了した。その後も,この登山学校の「挑戦コース」には,可能な限り参加している。その傍らで,私は天候さえよければ,週に1~2回の頻度で,大倉尾根経由で,丹沢の塔ノ岳(標高1491m)に登り続けている。
<オランダで見掛けた花>
■年相応にガタが来ている
登山を続けているためか,私は表面的には,応分のレベルの体力を保っているように見える・・・が,人間ドックに入ってみると,年相応に,身体のあちこちが相当「ガタ」付いて来ている。例えば,白内障という程ではないが,水晶体も年齢相応に濁っているようだし,無症状ながら,どうやら胆石もあるようである。
ただ,心肺機能や脚力は,まだ現役並みのようなので,まだ当分は登山を楽しめそうである。
<エピローグは新たなプロローグ>
■記録を早く纏めたい
身体にガタが来ると,スタミナもなくなる。特に老眼混じりの眼で,長時間パソコンを見詰めるのが辛くなる。目先がチカチカして,我慢ならない。気力がある内に,これまで貯まっている未整理の旅行記録を早く纏めたい。
「纏めて,どうするの・・・?」
確かに纏めたところで,それがどうなるものでもないし,誰かに積極的に見てもらおうというわけでもない。ただの自己満足に過ぎないかもしれないが,それでも私は引き続き未整理の資料を纏めてみたいと思っている。それは誰にためのものでもなく,全く自分のためだけの面倒な作業である。
■新たなプロローグ
今度は,未整理の旅の記録の中から,このブログを使って,どの旅を纏めようかと,楽しみにしている。
とはいえ,連日,長文を纏め続けるのは,結構辛い。今回の連載が完了したのを機にして,数日の間は,ごく短文を載せるか,お休みするかで過ごしたい。そして,気力が再び充実してきたら,次の旅行記の纏めに取りかかりたいと思っている。
(おわり)