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アイルランド紀行(17)
ブラーニーとキンセール周遊(1)
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第8日目:2002年6月21日(金)
<ブラーニーの古城を尋ねる>
■ブラーニーへ
例によって,深夜1時に目が覚める。まだ時差が残っているのだろうか。また,無理に眠るが,また5時30分に目が覚めてしまう。8時に朝食。何時もの通りコーヒー,パン,リンゴ1個,オートミール,ジュースで軽く済ます。いよいよ今日がコーク滞在最終日である。そして,私達の手作り観光では,いろいろ相談した結果,コーク近場のブラーニー(Blarny)とキンセール(Kinsale)の2都市を軽く一回りしてくる予定である。
<プラーニーとキンセール地図>
一同揃って,9時30分に昨日と同じようにレンターカー2台に分乗して出発する。最初にコークから北東約2キロメートルの所にある小さな街,プラーニーへ向かう。走り出してから間もなく,9時52分にプラーニーに到着する。駐車場に車を停めて,直ぐ近くにあるツーリスト事務所(Tourist Office)を覗いてみる。
ツーリスト事務所はとんがり屋根の小さな建物である。アーチ状に緑色で塗った入口から中に入る。正面に説明員が居る。その周りには地図や絵はがきが置いてある。とりあえず,プラーニーの地図を頂く。この地図によると,プラーニーの中央に「村の緑の広場(Village Green)」を中心に,アイルランド寺院(Church of Ireland),ブラーニー城趾(Blarney Castle),ローマカトリック寺院(Roma Catholic Church),土産店,郵便局などが広場を囲むように並んでいる。
<プラーニーツーリスト事務所> <プラーニー城の道案内版>
■緑の広場
緑の広場を横切ると,ブラーニー城趾の案内板がある。
城の入口近くに,大きな土産屋がある。中に入ってみる。Tシャツ,帽子,絵はがき,小物など,どこの土産屋でも,ほぼ同じ品物が陳列されている。沢山の人達が,品定めをしている,辺りを見回しても,日本人はどうやら私達だけのようである。私も店内を一回りしてみるが,特段欲しいものはない。そのまま店の外へ出る。
その頃,観光バスが到着したのだろうか,数十人の老人が,ぞろぞろと城の方へユックリ,ユックリと歩いている。もの静かな集団なのでアメリカ人ではなさそうである。それにしても,随分と太った人が多いのに驚く。私達も,この老人の集団に混じって城に向かう。
<プラーニー市街図>
10時丁度に,城の入口で入場料を支払って,城の中に入る。入口でキップ売りが,
“Are you senior?
と私に聞く。勿論“Yes”である。すると,入場料は一般人の半額,1.9EUになる。 中は博物館にもなっている。どうやら,この城は,スペイン戦争の時に監獄として使われていたこともあるようだ。実物より少々大きめの蝋人形が何体か陳列されている。
近くから城を見上げると,とてつもなく大きな建物であることが分かる。説明書によると,この城は,1446年,領主のコーマックレイダーマッカーシーによって要塞として建築されたという。マッカーシーという人が,どんな人か知らないが,凄いものを作ったものだと感心する。
<プラーニーの土産屋> <プラーニー城の説明版>
<プラーニー城外観>
■ブラーニー城の中に入る
入口近くに説明文が貼り付けてある。同じ内容のことが書かれていると思うが,下は英語なので読めるが,上の説明文は何語か分からない。ただ,アイルランドという土地柄から,多分,ゲール語だろう。
城の中は,狭くて急傾斜の階段がスパイラルに続く,うまく石を積み重ねながら,階段が作られている。私は建築のことは分からないが,凄い技術のように思える。見物人に年輩者が多いためか,階段を登る速度が偉く遅くて,先がつっかえたままである。
それでも,少しずつ,上へ上へと登っていく。すでに床が落ちていて,何階建ての建物か直ぐには分からないが,厚い石の壁が天空に向けてそそり立っている。壁の所々には狭いスリットが付いている。厚い壁に刳り抜かれたスリットから,緑一杯の明るい風景が,ちょっとだけ見えている。何という閉塞感だろう。いくら金持ちになっても,こんな所に住むのか真っ平ご免というのが率直な感想である。
城の中には苔が一杯生えている。案内板によると,教会,居室などが各階に割り当てられていたようである。窓には鉄格子が填め込まれている。これでは,この家の住人は正に囚人ではないかと率直に思う。
<城の窓から外が見える> <城の内部>
やがて城の最上階に出る。見学路は,最上階を一回りして,反対側から下へ降りる仕組みになっている。最上階を半周したところに,有名な場所がある。ここで仰向けに寝ころんで,首を城壁の外へ出す。そして壁にキスをすれば幸運になるという。沢山の人達が寝ころぶ順番を待っている。その快挙を写真に撮って売る商売人も控えている。私は汚らしいキスなどしたくないし,何も好きこのんで怖いことをすることもないので,この場所はそのまま通り過ぎる。
<プラーニー城の内部>
■高い昼食
11時15分に城から外へ出る。そのまま,また土産店に入って,店内を一回りする。やはり何も買い求める気にならない。
12時05分に,緑の広場に面した「ミル食堂(Mill Restaurant)」で昼食を摂る。中に入ると200人程度が軽く座れるほどの大きなレストランである。カウンター横の陳列棚に沢山の食品が並んでいる。大きな皿を持って,自分の好みの食品を好きなだけの種類を皿に盛りつけて,カウンターへ持っていくと,盛りつけた量ではなく,食品の種類の多少で,値付けがされるという妙な仕組みである。私はこの値付けの要領が良く理解できなくて,サーモン,ハム,トマト,サラダとやや多い種類を選んでしまう。これにクラブチャウダースープ,コーヒー,パンを付けて,何と約1400円にもなってしまう。これだけの量があるので安いといえば安いが,昼食はせいぜい1000円程度以下で済ませたいと思っていた私には,一寸ばかり痛い出費となる。
とはいえ,楽しい昼食になった。
<ミルレストランの入口> <ミルレストランの昼食>
■すばらしいBGMの陶器店
昼食後,12時31分に,近くの陶器店(Pottery Shop)に入ってみる。洒落た2階建の建物である。高価な品物が並んでいる。見ているだけで楽しくなる。どこからともなく素晴らしいBGMが聞こえてくる。曲名は同忘れしたがクラシックの名曲が流れている。 12時51分に陶器店を出る。
そのまま,駐車場に戻り,自動車に乗車。12時54分に,午後の訪問地,キンセール(Kinsale)に向けて出発する。
(つづく)
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第8日目:2002年6月21日(金)
<ブラーニーの古城を尋ねる>
■ブラーニーへ
例によって,深夜1時に目が覚める。まだ時差が残っているのだろうか。また,無理に眠るが,また5時30分に目が覚めてしまう。8時に朝食。何時もの通りコーヒー,パン,リンゴ1個,オートミール,ジュースで軽く済ます。いよいよ今日がコーク滞在最終日である。そして,私達の手作り観光では,いろいろ相談した結果,コーク近場のブラーニー(Blarny)とキンセール(Kinsale)の2都市を軽く一回りしてくる予定である。
<プラーニーとキンセール地図>
一同揃って,9時30分に昨日と同じようにレンターカー2台に分乗して出発する。最初にコークから北東約2キロメートルの所にある小さな街,プラーニーへ向かう。走り出してから間もなく,9時52分にプラーニーに到着する。駐車場に車を停めて,直ぐ近くにあるツーリスト事務所(Tourist Office)を覗いてみる。
ツーリスト事務所はとんがり屋根の小さな建物である。アーチ状に緑色で塗った入口から中に入る。正面に説明員が居る。その周りには地図や絵はがきが置いてある。とりあえず,プラーニーの地図を頂く。この地図によると,プラーニーの中央に「村の緑の広場(Village Green)」を中心に,アイルランド寺院(Church of Ireland),ブラーニー城趾(Blarney Castle),ローマカトリック寺院(Roma Catholic Church),土産店,郵便局などが広場を囲むように並んでいる。
<プラーニーツーリスト事務所> <プラーニー城の道案内版>
■緑の広場
緑の広場を横切ると,ブラーニー城趾の案内板がある。
城の入口近くに,大きな土産屋がある。中に入ってみる。Tシャツ,帽子,絵はがき,小物など,どこの土産屋でも,ほぼ同じ品物が陳列されている。沢山の人達が,品定めをしている,辺りを見回しても,日本人はどうやら私達だけのようである。私も店内を一回りしてみるが,特段欲しいものはない。そのまま店の外へ出る。
その頃,観光バスが到着したのだろうか,数十人の老人が,ぞろぞろと城の方へユックリ,ユックリと歩いている。もの静かな集団なのでアメリカ人ではなさそうである。それにしても,随分と太った人が多いのに驚く。私達も,この老人の集団に混じって城に向かう。
<プラーニー市街図>
10時丁度に,城の入口で入場料を支払って,城の中に入る。入口でキップ売りが,
“Are you senior?
と私に聞く。勿論“Yes”である。すると,入場料は一般人の半額,1.9EUになる。 中は博物館にもなっている。どうやら,この城は,スペイン戦争の時に監獄として使われていたこともあるようだ。実物より少々大きめの蝋人形が何体か陳列されている。
近くから城を見上げると,とてつもなく大きな建物であることが分かる。説明書によると,この城は,1446年,領主のコーマックレイダーマッカーシーによって要塞として建築されたという。マッカーシーという人が,どんな人か知らないが,凄いものを作ったものだと感心する。
<プラーニーの土産屋> <プラーニー城の説明版>
<プラーニー城外観>
■ブラーニー城の中に入る
入口近くに説明文が貼り付けてある。同じ内容のことが書かれていると思うが,下は英語なので読めるが,上の説明文は何語か分からない。ただ,アイルランドという土地柄から,多分,ゲール語だろう。
城の中は,狭くて急傾斜の階段がスパイラルに続く,うまく石を積み重ねながら,階段が作られている。私は建築のことは分からないが,凄い技術のように思える。見物人に年輩者が多いためか,階段を登る速度が偉く遅くて,先がつっかえたままである。
それでも,少しずつ,上へ上へと登っていく。すでに床が落ちていて,何階建ての建物か直ぐには分からないが,厚い石の壁が天空に向けてそそり立っている。壁の所々には狭いスリットが付いている。厚い壁に刳り抜かれたスリットから,緑一杯の明るい風景が,ちょっとだけ見えている。何という閉塞感だろう。いくら金持ちになっても,こんな所に住むのか真っ平ご免というのが率直な感想である。
城の中には苔が一杯生えている。案内板によると,教会,居室などが各階に割り当てられていたようである。窓には鉄格子が填め込まれている。これでは,この家の住人は正に囚人ではないかと率直に思う。
<城の窓から外が見える> <城の内部>
やがて城の最上階に出る。見学路は,最上階を一回りして,反対側から下へ降りる仕組みになっている。最上階を半周したところに,有名な場所がある。ここで仰向けに寝ころんで,首を城壁の外へ出す。そして壁にキスをすれば幸運になるという。沢山の人達が寝ころぶ順番を待っている。その快挙を写真に撮って売る商売人も控えている。私は汚らしいキスなどしたくないし,何も好きこのんで怖いことをすることもないので,この場所はそのまま通り過ぎる。
<プラーニー城の内部>
■高い昼食
11時15分に城から外へ出る。そのまま,また土産店に入って,店内を一回りする。やはり何も買い求める気にならない。
12時05分に,緑の広場に面した「ミル食堂(Mill Restaurant)」で昼食を摂る。中に入ると200人程度が軽く座れるほどの大きなレストランである。カウンター横の陳列棚に沢山の食品が並んでいる。大きな皿を持って,自分の好みの食品を好きなだけの種類を皿に盛りつけて,カウンターへ持っていくと,盛りつけた量ではなく,食品の種類の多少で,値付けがされるという妙な仕組みである。私はこの値付けの要領が良く理解できなくて,サーモン,ハム,トマト,サラダとやや多い種類を選んでしまう。これにクラブチャウダースープ,コーヒー,パンを付けて,何と約1400円にもなってしまう。これだけの量があるので安いといえば安いが,昼食はせいぜい1000円程度以下で済ませたいと思っていた私には,一寸ばかり痛い出費となる。
とはいえ,楽しい昼食になった。
<ミルレストランの入口> <ミルレストランの昼食>
■すばらしいBGMの陶器店
昼食後,12時31分に,近くの陶器店(Pottery Shop)に入ってみる。洒落た2階建の建物である。高価な品物が並んでいる。見ているだけで楽しくなる。どこからともなく素晴らしいBGMが聞こえてくる。曲名は同忘れしたがクラシックの名曲が流れている。 12時51分に陶器店を出る。
そのまま,駐車場に戻り,自動車に乗車。12時54分に,午後の訪問地,キンセール(Kinsale)に向けて出発する。
(つづく)