<モニュメント手前の広場からマウントクックを望む>
ルートバーン(36):マウントクック山麓トレッキング(2)
(湘南カラビナ隊)
2005年1月25日(金)~2月2日(日)
第8日目:2005年2月3日(木)
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早朝,クイーンズタウンを出発した私たちは,正午頃,マウントクック村ハーミ
テージホテルに到着した.一休みした後,フッカー谷の入口までのショートト
レックを楽しんだ.
翌,4日(金),名ガイドのフリンジさんの案内で,セアリーターンズトレッキング
に出かけた.
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36 フッカー谷ショートトレッキング
<トレッキング地図>
<フッカー谷を遡る>
■草木が密生する遊歩道
いよいよ,ホテル近くの散策,つまりショートトレッキングである.
13時少し前に,昼食を終えた私たちはホテルのロビーへ戻る.まだ時間が早いので,ホテルにチェックインすることはできない.そこで,ホテルの置いておく荷物と,散策に持参する荷物を仕分ける.
散策には菓子などのおやつ,飲料水,ウインドウブレーカー,地図だけを持っていくことにする.荷物の仕分けに,案外,手間取る.
13時40分,いよいよショートトレッキングに出発する.
ガイドのSさんが先頭に立つ.ホテル前の広場を抜けると,遊歩道はなだらかな下り坂になる.すぐに草木が密集している草原地帯に入り込む.
私たちが辿っている遊歩道はフッカー谷の西側の山麓に沿って,北北西の方向に続いている.
<草木が密生している遊歩道を行く>
■きれいな花
道の両側には,綺麗な花が咲いている.Sさんが花のことをいろいろ教えてくれるが,花がからっきし分からない私の頭にはなかなか入らない.それでも,特に綺麗だなと思った花の写真を撮り続ける.
道の両側に,可憐な白い花が沢山咲いている.コロミコ(Koromiko)というらしい.Sさんの説明によると,ゴマノハグサ科の植物である.虎の尾に似た形の花を咲かせている.葉は茎に対して左右対称に2枚ずつ付いている.それが交互に重なり合っている.マオリの人たちは,下痢止めの薬として,ミルクに混ぜて飲むそうである(Ryall, R., 2002, p.48).
ミンギミンギ(Mingimingi)も綺麗である.松の葉っぱのような尖った葉が密集している.葉の長さ約14センチメートル,幅約3ミリメートルである.白い小さな花がビッシリと咲いている.ミンギミンギは直径5ミリメートルほどの小さなピンクの実を着ける.この実は食べられるとのことである(Ryall, R. ,2002, p.32).
<花の名前はわからないが,きれいな花が咲いている>
■キャンプ場に到着
私たちは素晴らしく整備された小径を辿っている.ところどころにベンチが置いてある.ときどき長い木道が現れる.
14時22分,小径が二股に分岐する.分岐点に案内板が建っている.ここは明日トレッキングするケアーポイント往復コースとの分岐点である.
明日は左側の道を辿るが,今日は右側の道を進む.いつの間にか灌木帯を通り抜けて,広々とした草原の中を歩いている.天気がよいので,とても見晴らしがよい.
14時03分,草原の中をくねくねと続く道を進むと,キャンプ場に到着する.
14時35分,キャンプ場を横切った小高いところにある木陰のベンチで小休止する.気温がどのくらいあるのか分からないが,時折通り抜ける風が冷たい.
一同,おやつを食べたり,水を飲んだりしながら,のんびりした雰囲気を楽しむ.
<草原の中のキャンプ場に到着する>
■キャンプ場の片隅で休憩
キャンプ場には数張りのテントが見える.その先に唐松らしい立木が数本並んでいる.その先に雪を抱いた山並みが連なっている.私は綺麗な風景をすぐにスケッチし始める.スケッチの途中で,皆が何となく歩き出したので,私は1分ばかり遅れて,14時51分に歩き出して,皆の後を追う.
■モニュメント
14時58分,モニュメントに到着する.モニュメントは立方体の台座に4角錐を重ねた形をしている.このモニュメントは,マウントクックで遭難した人たちの慰霊のために作られたものだという.
1914年に遭難した2人の登山家の服が,16年後に見つかったという.2002年の犠牲者は175人,その内,7人が日本人だとのことである.
<モニュメント> <フッカー谷の道標>
■ビューポイント
私たちと東京組10名がフッカー谷のショートトレッキングをしている間に,大阪組の2人は,ヘリコプターで氷河見物に出掛けたために,私たちとは別行動をしている.これから私たちが向かう吊り橋より,さらにずっと高いタスマン氷河まで,ヘリコプターで一気に登ってしまうらしい.
私たちが,今,散策しているフッカー谷は,マウントクック村の西側に聳えるマウントセプトン(Mt.Septon,標高3151メートル)を正面に,広々と広がる谷である.
ハーミテージホテルを出発した私たちは,長い木道歩いた後,このモニュメントに到着した. ここで小休止した私たちは,15時21分に再び歩き出す.そして,ミューラー氷河(Mueller Glacier)の末端にあるモレーンの丘陵を登り,見晴らしの良いビューポイントに到着する.
ここはホワイトホースヒル(White Horse Hill,標高922メートル)の山麓に位置している.ここから登山道は左に曲がりながら,斜面をトラバース気味に,やや急な下り坂になる.この下り坂を下りきると,第1番目の吊り橋がある.
<ビューポイントからの眺望の説明図>
<仲間が吊り橋を渡っている>
■第1の吊り橋
15時27分,第1の吊り橋を渡る.例によって吊り橋は良く揺れる.私はこの揺れが苦手である.吊り橋を渡りきると,ちょっとした広場がある.ここが,今日のショートトレッキングの終点である.ここから先に,まだトレッキングコースは続いているらしいので,行けないのが少々残念である.
私たちは,広場のあちこちに適当に座り込んで小休止する.日陰に入らないと,強い日差しがじりじりと肌を焦がす.しかし,日陰に入ると,とても涼しい.時折,そよ風が吹き抜けて,ほてった肌を心地よく冷やしてくれる.
私は橋のたもとに座り込んで,手前の山を見上げる.白い氷河で斑に覆われたごつごつとした岩稜が連なっている.どうやらフットストール山(Mt.Footstool,標高2464メートル)のようである.
<第1の橋の袂がトレッキングの終点>
■俄スケッチ
素晴らしい風景である.広場で寝ころんだり,座ったりしながら,美しく荒々しい山稜を飽きもせずに眺めている.その内に,私は急にスケッチをしたくなった.そこで,15時45分頃から急いでスケッチを始める.この美しい風景だけは,少し時間を取ってスケッチをしたかったが,無情にも15時50分頃,全員が立ち上がって帰り始める.
私は,Sさんに,
「少し遅れて参ります.後からすぐに追いかけます」
と許可を貰い,描きかけのスケッチを,急いで仕上げる.
しばらくすると,仲間達が1列になって,吊り橋を渡り,対岸のトラバース道を登っていくのが見える.1人残った私は,少々心細くなる.そこで私は,山の輪郭と吊り橋の橋脚を大急ぎでスケッチしただけで,仲間の後を追うことにする.
15時56分,私も帰途につく.そして,吊り橋を半分ほど渡りながら前方を見ると,400メートル程先の峠道を,列の最後の人が反対側に消えようとしている.吊り橋をもどかしく渡り終えた私は,早足で仲間の後を追う.そして,メモリアル付近で,やっと仲間に追いつく.
「あれ,もう,追いついたの・・・」
と仲間達が私をからかう.
「あなたは,捻挫して丁度良い早さですよ」
とフクロウが私を冷やかす.
■ホテル跡
モレーンの丘から後ろを振り返ると,素晴らしい光景が広がっている.眼下にフッカー谷の上流と氷河湖が見下ろせる.その向こうに氷河を頂く巨大な山々が連なっている.なんという美しさ,神々しさであろうか.私は暫くの間,息を飲むような気持ちで,この美しい光景を眺めていた.
峠を下る.また,先ほど通ったキャンプ場を通り抜ける.この辺りに,元のハーミテージホテルがあったという.いつ頃のことか定かでないが,この辺りが大洪水に襲われ,ホテルも流出した.そのために,再建された現在のホテルは,洪水の恐れのない高台に建てられたとのことである.この経緯を説明する看板が,ホテルのあった場所に建っている.
<急いでホテルへ戻る>
■急ぎ足
キャンプ場を抜けると,登山道は灌木と草原が繰り返し現れる平坦な小径に変わる.はじめは,私たち全員が団子になって歩いていたが,何時しか消防署長,消防署員,それに私の3人が先頭を急ぎ足で歩いている.
三叉路を過ぎる頃から,なぜか先頭の消防署長の歩く速度が極端に速くなる.山登りの後半にめっぽう強い消防署長のことだから,例によってラストスパートを掛けたのだろうと思っていた.
「それにしても,今日はやけに速いなあ・・・」
私は必死に追いかけながら,消防署長の強い脚力に改めて感心した.
消防署長の歩く速度はますます速くなる.ついには、まるで駆け足のような速度で先を急ぐ.その後を、消防署員が上体を斜めに傾け,フラフラらしながら必死に追いかけている.私も捻挫していることも忘れて後に続く.
フラフラと追いかける消防署員の後ろ姿が何とも珍妙で、可笑しくてたまらなくなる.
やがて,前方にハーミテージホテルが見えてくる.ホテルに向かって、真っ直ぐに長い登り坂が見通せる.それを見ると,まだあんなに遠いのかとウンザリする.
この辺りで,消防署長が,歩く速度を急に遅くなる.そして,
「何とか治まりました.実は・・・」
と,はにがみながら言う.要するに「自然が呼んでいた」のである.
「なぁんだ.そうでしたか.言っていただければ,追いかけなかったのに・・」
と吹き出しそうになるのを押さえて返事をする.
■混雑するロビー
もうこうなったら,惰性で速く歩くことにする.3人は猛スピードのままホテルを目指す.そして,16時43分,ホテルに帰着する.私たち3人が帰着してから約5分後に,仲間が帰ってきた.
ホテルのロビーは団体客でごった返していた.日本人観光客もかなり多い.ロビーの入口付近には,胸にバッジを着けた現地ガイドや添乗員が何人も並んで客を迎えている.入口からロビーに入ってくる客に笑顔を振りまいている.
私はロビーの片隅で,壁により掛かるようにして,雑記帳を開く.そして,先ほど描きかけのままになっているスケッチの手直しをしながら,仲間の到着を待っている.
私の雑記帳を覗き込んだ見知らぬ添乗員が,
「すごいですね・・・」
と私に声を掛けてくる.
褒められると恥ずかしいが,下手でも書き続けているスケッチが,見知らぬ方々との会話の切っ掛けになるのは嬉しいことである.
<橋のたもと:カメラでは超広角でないと,この風景は映らない>
(つづく)
「ルートバーン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/caf519368d2cae2093149cecf8f89cd7
「ルートバーン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8046c1868223f4e8fce8b1b6a0018d06
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[編集後記]
2011年5月14日(土) 晴
早朝,登山家の尾崎さんが,エベレストで遭難したというニュースを聞いた.私はモンブラン山登頂訓練のために,尾崎さんのガイドで,雪の富士山を五合目から山頂までピストンで日帰りしたことがある.
尾崎さんは底知れないスタミナをお持ちの素晴らしい方であった.
これで,私がお世話になった山岳ガイドのうち,5人もの方々が遭難したことになる.あんなに素晴らしい方々が・・・私は悲しい.
これ以上,愚痴をグダグダと書く気にならなくなった.
(愚痴おわり)
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