<草加の旧家>
歩いて巡る日光街道二十一宿(第2回)(2)
竹ノ塚→北越谷
(小田急トラベル)
2009年5月23日(土)(つづき)
<竹ノ塚駅から谷塚駅へ>
■足立区を北上する
竹ノ塚駅ビルのスターバックでコーヒーを味わいながら,時間調整をした後,集合時間10分前に,再び集合場所へ戻る.すでに,大半の参加者が集まっている.東海道五十三次宿場巡りでご一緒した懐かしい方々の顔も沢山見えている.何となく,東海道五十三次宿場巡りが,そのまま続いているような錯覚に陥る.
10時00分,定刻に,恒例の,
「エイ,エイ,オー~・・」
の蛮声を張り上げて,軽快に歩き始める.
駅周辺のインフラがとても良く整備されているなと思いながら,まずは広い駅前の道を,500~600メートルほど東へ進む.都道103号線との交差点を左折,進路を北に変える.それほど賑やかでもなく寂れている訳でもない商店街と住宅地が混在する平凡な市街地が続く.
何処までも続くと錯覚するほど長い真っ直ぐな道路をひたすら歩き続ける.およそ15分経った頃,道路が緩やかに右に曲がり,進路が次第に北北東の方向に変わる.10時25分,進行方向左手に西保木間小学校の前を通過する.次第に背の高い建物がなくなり,何となく空が広く感じるようになる.そして,周囲には緑も増えてくる.
旅行社が配布した地図を見ていると,この辺りに清掃工場があるようである.
「・・・清掃工場はどこだろう・・?」
と独り言を言いながら,辺りをキョロキョロ見回していると,今回初めてお目に掛かった男性が,
「あそこですよ・・・」
と指を指しながら教えてくれる.
なるほど,清掃工場は,道路から少し中に入った所にあった.
やがて,前方に私達が歩いている道を跨ぐように高架の高速道路が走っているのが見えてくる.国道4号線である.
10時32分,私達は国道4号線の高架下を潜り抜ける.そして,水神交差点で,日光街道(県道49号線)に合流する.そして,すぐに毛長川に架かる橋を渡る.
橋を渡って直ぐに,私達は東京都足立区とお別れして,埼玉県草加市に入る.
<ここから埼玉県>
■埼玉県に入る
埼玉県に入っても,街の様子には全く変化がない.相変わらず商店と民家が混在する市街地が続く.むしろ不思議なのは,地図を見ると東京都と埼玉県の間を流れている川の位置と県境が微妙にずれていることである.多分,長い間に川の位置がずれてしまったのが原因なのだろう.
また,ほぼ北に真っ直ぐ延びる道が,どこまでも淡々と続く.
歩き進むに連れて,何となく,ほんの少し賑やかになってくる.そして,進行方向右手に新緑が美しいこんもりとした森が見えてくる.富士浅間神社である.10時45分,神社の脇を通過する.旅行社の資料によると,この神社は,地元の布晒業者や冨士講の人達によって造営されたという.資料には「優美な彫刻は一見に値する」と書いてあるが,皮肉なことに,そのまま通過する.
<富士浅間神社>
■谷塚駅で休憩
富士浅間神社を過ぎて谷塚交差点で左折して,ほんの少し西に歩く.そして,10時49分,東武伊勢崎線谷塚駅に到着する.ここで,今日,最初の休憩を取る.
谷塚駅には広い駅前広場がある.駅舎は2階建て.新幹線の駅に匹敵するほど立派な建物である.この辺りの東武線は完全に高架になっているようである.
私は思わず人が過密に集まっていてゴチャゴチャしている大船駅付近と比較してしまう.
ここで,15分ほど休憩を取る.
少々,気温が高くなっている.私達は,日陰に入り込んで,思い思いに休憩を取る.
<谷塚駅>
<草加宿>
■草加宿跡
11時07分,また「エイ,エイ,オー~」の蛮声を発してから歩き出す.ご近所の人から見たら,いい年をした人の集団が,周囲を構わずに蛮声を上げるなど,飛んでもないことだと思っているかもしれない.毎回,私は気恥ずかしい気分のまま,声を出す仕草をする.
再び往路を辿って,日光街道に入る.また真っ直ぐ北に向かう単調な道を歩き続ける.
20分ほど歩き続けると,大きなビルが立ち並びはじめ,辺りが賑やかになる.この辺りが,日本橋から2番目の草加宿があった所らしい.ところが残念ながら宿場の跡を忍ばせるようなものは何もない.
旅行社の資料によると,草加宿は,宿内人口3,679人,宿内戸数723戸,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠67軒の規模だったようである.ただ,残念なのは,旅行社の資料には,何時の時点の数字なのかが明記されていない.
<この辺りに草加宿があった>
■数軒の旧家
11時26分,通りに面して建っている二階建ての旧家に到着する.急勾配で大きな切妻作りの屋根が印象的である.裏手には大きな蔵が続いている.この建物を見て,やっと日光街道らしくなったなと思う.
この二階屋を通過して,すぐのところに,「日光街道」と堀字のある石柱が立っている.
<このような旧家が数軒ある>
■草加センベイ発祥の地
11時32分,草加の中心街に入る.草加駅入口交差点の大きな十字路周辺には大きなビルが建ち並んでいる.私達は草加駅入口交差点を通過して,そのまま北進する.そして,11時38分,小さな公園「おせん茶屋」に到着する.道路に面して小さな待合室風の建家が建っている.若い女性が,建家のベンチに座ってアイスクリームを食べている.一行の中の数名が,若い女性と見てか,冗談交じりに,
「おいしいですか・・?」
と話し掛ける.女性達は当惑気味に笑っている.地元の方らしい.
近くに草加宿の案内板が取り付けられている.読んでいる暇がないので,とにかくデジカメに収める.写真を撮りながら,心の中では,
「どうせ,写真を撮っても,見ないだろうな」
と確信している.
道路の反対側を見ると,「元祖源兵衛せんべい」という看板を掲げたシックな作りのセンベイ屋がある.ちょっと寄ってみたいなと思うが,構わず先へ進む.
<おせん茶屋>
<草加せんべい発祥の地> <公園の施設?>
■札場河岸
暫く進むと,右手前方の並木の間に,何となく由緒がありそうな塔が見え出す.緑の四角錐状の屋根が付いている.私は,ガイドのKさんに,
「あの建物は何ですか・・?」
と質問する.
「ああ,あれですか,あれ,何でもないです.公園の施設として建てられたものです」
私はガッカリする.
<正岡子規の歌碑と説明文の碑>
■素晴らしい遊歩道
神明街交差点で県道49号線に合流する.道路は,直ぐに綾瀬川と並行する.県道49号線と綾瀬川の間が,とても綺麗でユッタリとした遊歩道になっている.遊歩道の両側には綺麗な松並木が続いている.
谷古字交差点で,県道29号線と交差する.ところが遊歩道は,優雅な太鼓橋の形をした歩道橋を渡るようになっている.歩道橋は両側が歩行者用の階段になっている.そして中央には自転車を押して通る坂道になっている.この坂道の所々に日光街道草加の風景を画いた浮世絵が填め込まれている.
私は太鼓橋を渡りながら,填め込まれた絵の写真を撮る.
<松尾芭蕉の像> <太鼓橋風の歩道橋>
<素敵な散策路>
<歩道橋に埋め込まれている浮世絵:数種類ある> <日光街道の碑>
■草加市文化会館の庭で昼食
遊歩道を700~800メートル進むと,次の太鼓橋が見えてくる.松原団地入口の交差点に架かる橋である.この橋の手前で右折する.そしてほんの100メートルほど進むと,草加市文化会館に到着する.ここで昼食である.
文化会館の構内は,公園風に整備されている.奥の方に文化会館の建物がある.建物に向かって左手には森林に囲まれた遊園地がある.それ程広くない遊園地の中に,滑り台,シーソー,鉄棒など雑多な遊具が並んでいる.沢山の子ども達が遊んでいる.子ども達の間に入って,内の孫と同じぐらいの年格好だなと思いながら,遊ぶ様子を眺める.すると,付添の男性が,私に向かって,
「こんにちは・・・」
と丁寧に挨拶をする.私は,
「薄汚い格好のまま,不用意に子ども達の中に入ったら,大人に警戒されるな・・・」
と思って,早々に引き揚げる.
遊園地の隣のベンチでは,東海道五十三次宿場巡りで一緒だった人達が昼食を摂っている.私も車座の中に入り込んで,昼食を始める.
長い間,同じ釜の飯を食べた仲間達と,食事をしながらの他愛のないお喋りは,女性でなくても,楽しいものである.
ここは素晴らしい施設である.私の住んでいる鎌倉には,旅行者がこんなにノンビリと過ごせる所は,全くない.それに加えて,東武沿線の駅も街も立派である.それに比較して,私の住んでいる鎌倉は,山へ入らない限り,沢山の人がゴチャゴチャとしていて,何処へ行っても鬱陶しい.インフラの違いをつくづく感じさせられる.
<草加市文化会館の遊園地>
(つづく)
[加除修正]
2009/9/30 記事追加
「日光街道二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/df6aa7640a043eba573b9e9730071cc4
「日光街道二十一宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b3401d7f46b2313cbd73671719f49435
歩いて巡る日光街道二十一宿(第2回)(2)
竹ノ塚→北越谷
(小田急トラベル)
2009年5月23日(土)(つづき)
<竹ノ塚駅から谷塚駅へ>
■足立区を北上する
竹ノ塚駅ビルのスターバックでコーヒーを味わいながら,時間調整をした後,集合時間10分前に,再び集合場所へ戻る.すでに,大半の参加者が集まっている.東海道五十三次宿場巡りでご一緒した懐かしい方々の顔も沢山見えている.何となく,東海道五十三次宿場巡りが,そのまま続いているような錯覚に陥る.
10時00分,定刻に,恒例の,
「エイ,エイ,オー~・・」
の蛮声を張り上げて,軽快に歩き始める.
駅周辺のインフラがとても良く整備されているなと思いながら,まずは広い駅前の道を,500~600メートルほど東へ進む.都道103号線との交差点を左折,進路を北に変える.それほど賑やかでもなく寂れている訳でもない商店街と住宅地が混在する平凡な市街地が続く.
何処までも続くと錯覚するほど長い真っ直ぐな道路をひたすら歩き続ける.およそ15分経った頃,道路が緩やかに右に曲がり,進路が次第に北北東の方向に変わる.10時25分,進行方向左手に西保木間小学校の前を通過する.次第に背の高い建物がなくなり,何となく空が広く感じるようになる.そして,周囲には緑も増えてくる.
旅行社が配布した地図を見ていると,この辺りに清掃工場があるようである.
「・・・清掃工場はどこだろう・・?」
と独り言を言いながら,辺りをキョロキョロ見回していると,今回初めてお目に掛かった男性が,
「あそこですよ・・・」
と指を指しながら教えてくれる.
なるほど,清掃工場は,道路から少し中に入った所にあった.
やがて,前方に私達が歩いている道を跨ぐように高架の高速道路が走っているのが見えてくる.国道4号線である.
10時32分,私達は国道4号線の高架下を潜り抜ける.そして,水神交差点で,日光街道(県道49号線)に合流する.そして,すぐに毛長川に架かる橋を渡る.
橋を渡って直ぐに,私達は東京都足立区とお別れして,埼玉県草加市に入る.
<ここから埼玉県>
■埼玉県に入る
埼玉県に入っても,街の様子には全く変化がない.相変わらず商店と民家が混在する市街地が続く.むしろ不思議なのは,地図を見ると東京都と埼玉県の間を流れている川の位置と県境が微妙にずれていることである.多分,長い間に川の位置がずれてしまったのが原因なのだろう.
また,ほぼ北に真っ直ぐ延びる道が,どこまでも淡々と続く.
歩き進むに連れて,何となく,ほんの少し賑やかになってくる.そして,進行方向右手に新緑が美しいこんもりとした森が見えてくる.富士浅間神社である.10時45分,神社の脇を通過する.旅行社の資料によると,この神社は,地元の布晒業者や冨士講の人達によって造営されたという.資料には「優美な彫刻は一見に値する」と書いてあるが,皮肉なことに,そのまま通過する.
<富士浅間神社>
■谷塚駅で休憩
富士浅間神社を過ぎて谷塚交差点で左折して,ほんの少し西に歩く.そして,10時49分,東武伊勢崎線谷塚駅に到着する.ここで,今日,最初の休憩を取る.
谷塚駅には広い駅前広場がある.駅舎は2階建て.新幹線の駅に匹敵するほど立派な建物である.この辺りの東武線は完全に高架になっているようである.
私は思わず人が過密に集まっていてゴチャゴチャしている大船駅付近と比較してしまう.
ここで,15分ほど休憩を取る.
少々,気温が高くなっている.私達は,日陰に入り込んで,思い思いに休憩を取る.
<谷塚駅>
<草加宿>
■草加宿跡
11時07分,また「エイ,エイ,オー~」の蛮声を発してから歩き出す.ご近所の人から見たら,いい年をした人の集団が,周囲を構わずに蛮声を上げるなど,飛んでもないことだと思っているかもしれない.毎回,私は気恥ずかしい気分のまま,声を出す仕草をする.
再び往路を辿って,日光街道に入る.また真っ直ぐ北に向かう単調な道を歩き続ける.
20分ほど歩き続けると,大きなビルが立ち並びはじめ,辺りが賑やかになる.この辺りが,日本橋から2番目の草加宿があった所らしい.ところが残念ながら宿場の跡を忍ばせるようなものは何もない.
旅行社の資料によると,草加宿は,宿内人口3,679人,宿内戸数723戸,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠67軒の規模だったようである.ただ,残念なのは,旅行社の資料には,何時の時点の数字なのかが明記されていない.
<この辺りに草加宿があった>
■数軒の旧家
11時26分,通りに面して建っている二階建ての旧家に到着する.急勾配で大きな切妻作りの屋根が印象的である.裏手には大きな蔵が続いている.この建物を見て,やっと日光街道らしくなったなと思う.
この二階屋を通過して,すぐのところに,「日光街道」と堀字のある石柱が立っている.
<このような旧家が数軒ある>
■草加センベイ発祥の地
11時32分,草加の中心街に入る.草加駅入口交差点の大きな十字路周辺には大きなビルが建ち並んでいる.私達は草加駅入口交差点を通過して,そのまま北進する.そして,11時38分,小さな公園「おせん茶屋」に到着する.道路に面して小さな待合室風の建家が建っている.若い女性が,建家のベンチに座ってアイスクリームを食べている.一行の中の数名が,若い女性と見てか,冗談交じりに,
「おいしいですか・・?」
と話し掛ける.女性達は当惑気味に笑っている.地元の方らしい.
近くに草加宿の案内板が取り付けられている.読んでいる暇がないので,とにかくデジカメに収める.写真を撮りながら,心の中では,
「どうせ,写真を撮っても,見ないだろうな」
と確信している.
道路の反対側を見ると,「元祖源兵衛せんべい」という看板を掲げたシックな作りのセンベイ屋がある.ちょっと寄ってみたいなと思うが,構わず先へ進む.
<おせん茶屋>
<草加せんべい発祥の地> <公園の施設?>
■札場河岸
暫く進むと,右手前方の並木の間に,何となく由緒がありそうな塔が見え出す.緑の四角錐状の屋根が付いている.私は,ガイドのKさんに,
「あの建物は何ですか・・?」
と質問する.
「ああ,あれですか,あれ,何でもないです.公園の施設として建てられたものです」
私はガッカリする.
<正岡子規の歌碑と説明文の碑>
■素晴らしい遊歩道
神明街交差点で県道49号線に合流する.道路は,直ぐに綾瀬川と並行する.県道49号線と綾瀬川の間が,とても綺麗でユッタリとした遊歩道になっている.遊歩道の両側には綺麗な松並木が続いている.
谷古字交差点で,県道29号線と交差する.ところが遊歩道は,優雅な太鼓橋の形をした歩道橋を渡るようになっている.歩道橋は両側が歩行者用の階段になっている.そして中央には自転車を押して通る坂道になっている.この坂道の所々に日光街道草加の風景を画いた浮世絵が填め込まれている.
私は太鼓橋を渡りながら,填め込まれた絵の写真を撮る.
<松尾芭蕉の像> <太鼓橋風の歩道橋>
<素敵な散策路>
<歩道橋に埋め込まれている浮世絵:数種類ある> <日光街道の碑>
■草加市文化会館の庭で昼食
遊歩道を700~800メートル進むと,次の太鼓橋が見えてくる.松原団地入口の交差点に架かる橋である.この橋の手前で右折する.そしてほんの100メートルほど進むと,草加市文化会館に到着する.ここで昼食である.
文化会館の構内は,公園風に整備されている.奥の方に文化会館の建物がある.建物に向かって左手には森林に囲まれた遊園地がある.それ程広くない遊園地の中に,滑り台,シーソー,鉄棒など雑多な遊具が並んでいる.沢山の子ども達が遊んでいる.子ども達の間に入って,内の孫と同じぐらいの年格好だなと思いながら,遊ぶ様子を眺める.すると,付添の男性が,私に向かって,
「こんにちは・・・」
と丁寧に挨拶をする.私は,
「薄汚い格好のまま,不用意に子ども達の中に入ったら,大人に警戒されるな・・・」
と思って,早々に引き揚げる.
遊園地の隣のベンチでは,東海道五十三次宿場巡りで一緒だった人達が昼食を摂っている.私も車座の中に入り込んで,昼食を始める.
長い間,同じ釜の飯を食べた仲間達と,食事をしながらの他愛のないお喋りは,女性でなくても,楽しいものである.
ここは素晴らしい施設である.私の住んでいる鎌倉には,旅行者がこんなにノンビリと過ごせる所は,全くない.それに加えて,東武沿線の駅も街も立派である.それに比較して,私の住んでいる鎌倉は,山へ入らない限り,沢山の人がゴチャゴチャとしていて,何処へ行っても鬱陶しい.インフラの違いをつくづく感じさせられる.
<草加市文化会館の遊園地>
(つづく)
[加除修正]
2009/9/30 記事追加
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