<ロビーで団欒する山旅スクール5期の方々>
ルートバーン(25):ルートバーントレッキング第2日目(8)
(湘南カラビナ隊)
2002年1月25日(金)~2月5日(日)
第6日目:2005年2月1日(火) (つづき)
25 ルートバーン滝小屋
<ルートバーン滝小屋に到着>
■痛い足を引きずって・・
16時48分,俄に捻挫して歩けなくなった私も,ようやくのことで,痛い足を引きずりながら,ルートバーン滝小屋に到着する.
小屋に入ると,いきなり登り階段がある.痛い足を引きずりながら階段を上がると,小太りした中年女性の係員が愛想良く出迎えてくれる.そして,小屋の施設を案内してくれる.私たち男性があてがわれた部屋は,食堂からの通路の一番奥,右手にあった.部屋の中に入ると2段ベッドが2台設置されている.私は,今日,下段に陣取る権利がある.下の段の側にリュックを置く.そして,小屋が混まない内に,いろいろしておこうと思う.
乾燥室以外の設備は2階にある.まずは,トイレ,ついで,シャワーを浴びる.そして,今日着ていた下着を全部手洗いする.洗濯をし終えた下着を,下の乾燥室に持っていくために,痛い右足をなだめながら,階段を下り始める.そのときに,仲間の連中が一団となって,ドヤドヤと小屋に到着する.ノシイカさんの黄色い声が一段と賑やかに聞こえてくる.
■捻挫を氷で冷やす
さらに遅れて,添乗員のSさんが,日本人ツアー客の遅い組を伴いながら,小屋に到着する.私がつい油断して右足首を捻挫したことを,Sさんに報告すると,
「すぐ氷で冷やした方が良いです」
と言いながら,ガイドから氷を分けて貰い,どこからか調達したビニール袋に入れて,手渡してくれる.私は,食堂の隣の談話室の椅子に座りながら,患部を氷で冷やす.なるほど,とても気持ちがよい.冷やし始めると,途端に,痛みも消える.
そうこうしていると,次々と外人のツアー客が小屋に到着する.
そういえば,師匠の西方ガイドが,常に,
「事故は何でもないところで,よく起きるものです.最後の最後まで,気を抜いてはいけません」
と常日頃言っていた.全くその通りである.
<ルートバーン滝小屋の団欒>
■小屋の様子
ルートバーン滝小屋は2階建ての建物である.
1階の入口を入ると,やや急な階段がある.階段を登ると,広間にでる.ここが食堂である.食堂から,1.5メートルほどの高さの階段を下ると広いロビーがある.大きな窓の明るいロビーには,壁に沿って椅子が並べられている.ロビーの片隅には,ルートバーン関連の書籍が置かれている.
1階には乾燥室がある.
2階食堂前の通路の左右には,客室がある.各客室には2段ベッドが2台置かれている(らしい・・全部の客室を確かめたわけではないが・・).階段を登って左手突き当たりに,トイレとシャワー室がある.
建物の内部は,極めて清潔で,小さなゴミ一つ落ちていない.
談話室は天井まで広いガラス窓で覆われた明るい空間である.私たち一行が片隅に集まって雑談している.反対側の片隅には,どこかの外人組団体が集まって楽しそうに雑談している.
■半裸の若い女性が駆け抜ける
談話室で雑談をしていると,目の前の通路を,白人のすばらしい美女が,放漫な肉体を後ろから前へバスタオルで被った半裸の姿で,小走りでシャワー室に向かって走っていく.
偶然にも,私たちの目の前で,ど派手なパンツを落としたまま,気付かずに通り過ぎようとする.わが隊のスケルトンさんが,パンツを拾って,彼女を追いかけて手渡す.彼女は,照れ笑いをしながら,会釈する.
われわれ日本人には,公共の場をバスタオルで身体を覆ったまま走り抜けるという発想はないだろう.文化の違いというか,とにかくビックリ.まあ,若い男性にとっては,素晴らしいショーであった.
■来年はニュージーランド北島へ行こうか
夕食は19時からである.それまで,少し時間がある.私は,一旦,部屋に戻る.私のリュックの中は,メチャメチャに乱れているが,思わぬ捻挫で気後れしたのか,整理する気にならない.所在なく,また,談話室へ戻る(19時10分).参加者全員が談話室に集まって,和やかに雑談している.
私たちは,ツアーガイドSさんを囲んで,ニュージーランド北島,カナダなどのトレッキングコースのあらましを伺う.お話を伺いながら,ニュージーランド北島へ行ってみたいなと思い始まる.Sさんの話によると,ニュージーランド北島は,南島とは異なった魅力があるという.そんなに魅力的なところなら,是非,湘南カラビナ隊のメンバーと一緒に旅をしたい.
(注)この時の雑談が切っ掛けになって,湘南カラビナ隊は,2006年に,ニュージーランド北島のルアペフ山,タラナキ山登頂ツアーを実施した.
<夕食とパンケーキ投げの儀式>
■素晴らしい夕食
19時15分,食堂に移り,テーブルに座る.
バーダーが沢山のインスタントみそ汁を提供してくれる.これをお湯に溶かして,コップに分ける.味噌の良い匂いがする.具沢山である.久々のみそ汁は,懐かしくて美味しい.いよいよ食事である.まず,スープが出る.トマトの味がする.次いでメインディッシュである.肉料理にマッシュルーム,サラダ,ジャガイモが乗っている.それに,パンが美味しい.これだけの食事を,3人のガイドが作っている.本当によく働く人たちである.
<バーだ-さんから戴いた味噌汁>
■パンケーキ投げ
20時丁度,ガイドが,わたしたち全員を食堂に集める.
まず,英語と日本語で,明日の予定の説明がある.
「明日は8時から8時30分までの間に,各自,自分の昼食を作って下さい.8時30分から朝食です.9時30分に歩き出しです.山道を一気に1時間ほど下ると三叉路に出ます.そこを左に曲がると,ルートバーンフラッツ小屋(Routeburn Flats Hut)があります.そこでモーニングティーを楽しみます.そこから約1時間歩いたところで,お弁当を食べます.さらに1時間程歩くと,ルートバーンの終点に到着します.そこで,借りているシーツ類を,バスの運転手に返却して下さい.そこから,バスで約1時間,クイーンズタウンに戻ります.18時30分からホテルのレストランでお別れパーティを開きます」
説明会が終わって,参加者全員が自分の部屋へ帰ろうとすると,ガイドのサラさんが,テーブルの側に立って,
「皆さん.ちょっと聞いてください」
と言い出す.
一体何事が始まったのかと,わいわい騒いでいたグループも静かになる.英語と日本語で,このルートバーン滝小屋の歴史の話を始める.
「皆さん,今,この小屋はご覧のように食堂と,キッチンとの間には仕切がありません.それは,この小屋を改造したときに,仕切を取ってしまったからです.以前,仕切があったときには,食事にパンケーキを出していました」
私たちは一体何を言いたいのか真意が分からず戸惑いながら聞いている.
「それで,その頃の建物には,仕切の上に少し隙間がありました.いちいち焼いたパンケーキをキッチンから食堂まで運ぶのは手間が掛かって困ります.そこで,キッチンから,仕切の上の隙間を通して,パンケーキを投げ,食堂のお客さんにお皿で受けて貰っていました.この方法が,この小屋の儀式なのです.今は仕切がありませんが,儀式ですから,これから私たちスタッフがフライパンに乗せたパンケーキを後ろ向きになって投げ上げますから,それを皆さんはお皿で受け止めてください.一度に2人ずつお願いします」
「さきほど,食堂の床は綺麗に掃除しておきました.パンケーキを床に落としても,それを拾って食べて下さい.どうしても気持ちが悪いという方は新しいパンケーキに取り替えますから,お申し出下さい」
一同,
「うわ~ぁ」
と盛り上がる.
チャドとカレンが,それぞれフライパンを持って,食堂の片隅に後ろ向きに立つ.そして2人から5~6メートル離れたところに,参加者が交代で2人立つ.
「柱に身体をぶつけないで下さい.では,行きますよ」
後ろを向いたまま,
「ワン,ツー,スリー」
でパンケーキを天井すれすれに放り投げる.受け手は,真剣になって,お皿でそのパンケーキを受け取る.殆どの人は,パンケーキを受け取れずに,床に落としてしまう.私もパンケーキを床に落としてしまった.
「新しいパンケーキに変えますか」
とサラさんが言う.
「変えなくても良いですよ」
と私は答える.
床に落ちたパンケーキを拾い,そこに蜂蜜をタップリかけて味わう.今夜もオーバーカロリーながら,とても美味しくて満足する.
<こうしてトレッキング2日目は終わる>
■捻挫の貼り薬
20時40分頃,パンケーキ投げのセレモニーが終わる.
Sさんが私の所へ来て,ロビーの椅子に座れという.
「捻挫の応急処置をしましょう」
と言って粘着テープ(正式な名前は知らない)を取り出す.
「ちょっと痛いでしょうが,足首を内側に曲げて下さい」
確かに捻挫した側を伸ばすので少々痛い.その状態で,足の裏,くるぶし,膝下まで真っ直ぐにテーピングする.
「反対側に足首を曲げて下さい」
言われるままに,今度は足首を外側に曲げる.すると,外側の患部の付近に貼ったテープに弛みができて,テープに2~3本の皺がよっている.
「この皺によって,患部の皮膚が弛み,血行が良くなります.今日は,この上に冷却湿布をしてお休み下さい」
といいながら,片面にゲル状の薬が塗布してある貼り薬を一枚分けてくれる.有り難い.
■漸く就寝
22時頃,自分のベッドへ戻る.
明日の支度を,ザッと済ませて,ベッドに横たわる.楽しくて長い1日だった.ニュージーランドの美しい風景を充分に堪能することができた.正に充実の1日であった.
22時30分頃就寝.捻挫した足首が少しうずく.明日1日歩けるかなと,少し心配になる.
こうして,長い,長い,ルートバーントレッキング2日目が終わった.
(つづく)
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[編集後記]
2011年4月29日(金)
今日は「昭和の日」で祝日.これから大型連休が始まる.
一昨日,昨日よりは大分マシだが,まだ,多少のクラクラ感が残っている.まだ,安全に塔ノ岳を往復するところまでは回復していない.体調が思わしくないのは実に焦れったいものである.
北鎌倉に住んでいる長女が孫娘を連れて,突然,お昼に我が家に押しかけてくる.そういえば,今日から連休で学校も休みだった.親子三代揃っての昼食も悪くはない.
いくらクラクラ感が残っているからといって,終日家に籠もっているのもシンキクサイので,午後から近くの鎌倉中央公園を一回りする.
今日は鎌倉中央公園で催し物「「春の谷戸まつり」が開催されている.ご近所の方々が沢山集まっている.活気に満ちた子ども達を見ていると,こちらの気分も高揚してくる.
公園の湖畔には沢山の鯉のぼりが泳いでいる.もう直ぐ風薫る5月である.公園の緑が,一層鮮やかになっている.
「やっぱり,春は良いな~ぁ・・!」
<鎌倉中央公園>
気分が滅入るクラクラ感が,明日になったら,少しは軽くなるだろうか.まあ,ここは医者の言葉を信用するしかないが,このままズルズルと老け込んでしまうのではないかと不安になる・・・が,それも人生だなと,一方では達観した気持ちにもなる.
こんなとき,ふと,「走馬燈のように・・」という慣用句を思い出す.現在,復刻編集中のルートバーントレッキングは,もう今から9年前のことである.あの頃,私はまだ現役.山旅スクールに通っている最中だった.
ルートバーントレッキングから帰国して直ぐに,山旅スクールの地図読山行「タヌキ山」(栃木県)登山に参加した.ところが,捻挫した右足の調子が悪くて,途中でギブアップ,1人で帰宅したことなど,それこそ走馬燈のように思い出す.
「走馬燈」なんていう古語は,今の若い人には分からないだろうな.こういう古語が何の抵抗もなく頭の中から湧き出てくること自体,自分が前世紀の遺物なんだと実感する.
(愚痴おわり)
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