2023年もいろいろ、いろいろありました。
<母>
上の写真は母が30代の頃でしょうか?こうして働きながら3人の子供を育ててくれました。
酷い対応の施設から新しい施設に変わることにしました。
1月末、施設を探している時にたまたま我が家の近くで母の面接があったので、1年8ヶ月ぶりに我が家に2泊3日で泊まることになりました。外泊できることは知りませんでした。
早く知っていれば、もっと外泊できたのにと思います。
母は玄関に入るなり、人懐っこく側に寄ってくるココを見て大感激!
「ココは可愛い!」と言ってずっと抱っこしていました。
でも、寝る時、私は母に抱かれているココを自分の方に引き寄せてしまいました。
どうして我慢できなかったのか、今となっては一晩中ココを抱かせてあげたら良かったととても悔やんでいます。
4月に新しい施設に移りました。
2階の奥の部屋でした。
東南の角で日当たりもよく、窓から見えるのは広い駐車場で圧迫感のないところでした。直接は見えませんが母が前に住んでいた家の方向です。
食べなくなったと施設から連絡があり、好きなものを持って行きましたが、全く手をつけず、様子がおかしいことから病院で検査を受けました。
食道と胃の接合部に4cm大ステージⅢのがんが見つかりました。
91歳だけど元気そうだということで手術をすることになりました。
手術の目標は『お寿司を食べること!』
何とか食べられるようになってほしいとの願いも叶わず、10月2日に旅立ってしまいました。
6月13日手術をする8日前の母です。とても美味しそうに全部飲み干しました。
急性期病院は必要な治療が終われば、長くはいられないと言うことで長期療養型の病院に移りました。
主治医の言っていること、やろうとしていることがよく分からず、コミュニケーションがうまく取れませんでした。
亡くなった日も14時頃、喉の下が大きくへこみ、息が苦しそうだったので看護師に伝えると酸素濃度を増やしてくれました。その後4回呻き声をあげたので、主治医に「今にも逝きそうに思う。」と伝えると「出来ることはもうない。」と言われ、帰ることにしました。
16時41分に「もう危ないので至急来るように。」と電話があり、用意をしていると45分に「もう、間に合わないかも分からない。」と。
タクシーで病院に向かいましたが、母の顔を見て、もう生きていないと直感しました。
その後、主治医が脈を取り、「17時11分、ご臨終です。」と言われました。死因は老衰でした
人が死ぬ時がいつかはなかなか判断のつくものでないことは分かりますが、今までの医師とのやり取りもあって、14時過ぎにそろそろだと思うので、もう少し残ってはどうかと促したり、もっと早く息を引き取りそうか判断できなかったのかと無念な思いが今でもあります。
また、亡くなったところは、今までいた病室でカーテンだけで仕切られた4人部屋でした。
医師や私たちの声が同室の人にも聞こえていたと思います。どんな思いで聞いていたのでしょう?自分だったら、どんな気持ちになるでしょう?
終末期の人たちだからこそ、配慮が必要なのではないかと思いました。
施設に入った後、コロナであまり面会ができなかったからか、亡くなった今でも、母がいなくなった実感がどうしても湧いてきません。
今も4月に転居した施設にいるようで、ベッドで手を振る母の姿が思い浮かびます。
<ココ>
2022年9月、悪性腫瘍で右前足を断脚したココ
[5月]
ココを抱いて寝ている時に心臓が小刻みに震えたことから病院に連れて行くと「ペースメーカーをつけなければいけないかも分からない。」と言われました。
去年、ホルターをつけるなどして心臓の検査をしたと伝えるとそれ以上言われませんでした。
[6月]
1月ごろから時々キャンと小さな悲鳴をあげるようになり、気になるたびに動物病院に連れて行っていましたが原因がよく分かりませんでした。
ココの痛がっている場所が分かる動画を見せると足を手術した病院でMRI検査を受けるように言われました。
検査の結果、「再発の可能性がある。」と言われ、その上、ココと同じような病気で手術した犬20頭のうち半数は1年以内に亡くなる。短くて3ヶ月、長くて43ヶ月と言われました。
病院からの帰りのココ
[7月]
ココの後ろ脚がフラフラするようになりました。
しばらく、あまり歩かせないように言われ、なるべく歩かせないようにしているとだんだんフラフラしないようになってきました。
その後は、吐いたり下痢をすることはたまにありますが元気です。
食欲がとても湧いてきて完食することが増えてきました。
ブログに何度も書かせていただいていますが、ココを可愛がったり、応援したりしてくださっている皆さんのお陰と心から感謝しています。
<私>
今年もいろいろなことがありましたが私の精神疾患は少し不安定になったことはありますが、ほとんど発症していません。
でも、正常な状態だったらもっと辛い思いや悲しい思いをするだろうと思う場面でも心が動かないというか平坦な感じがします。
母が癌になったことを親戚に伝えたときも「どうして、こんな時にそんなに声が元気なの?」と言われました。人としての感情が希薄で悲しく思うこともあります。
精神科の医師に何度か薬を減らしてほしいと伝えましたが「何かあったときに発症しないように薬を飲んでいる。」と言われます。
また、ふらつきや手の震えもどんどん強くなってきて、不便なことや怖いと思うことがあるのですが「ふらつきは自分で気を付けられるが、精神の症状は薬でないとコントロール出来ない。」とのこと。
物忘れがあまりにも酷くなって、日常生活に支障が出て来たので、希望してテストを受けましたが、認知症かどうかを判断するもので私が日頃困っている物忘れについては判定されないものでした。
医師からは「70代でそれだけできたら上等!」「努力が足りない。」と軽くあしらわれてしまいました。
あとは脊柱管狭窄症などの整形外科のことですが、自転車を意識的に乗ることで少しですが楽になって来て希望が持てて来ました。ただ、がんばりすぎて腰痛が強くなって来たので、少し加減をしなければと思います。
最近、背中の右側が痛くなって来たので、紹介され、急性期病院へ行きました。腎臓を調べることになり、検査を受けました。結果、腎臓には問題がないことが分かりホッとしました。
CTの画像から側湾症からの痛みだろうとのことでした。
いろいろ、次から次とありますが心は穏やかです。
私はココとこうしている時が一番幸せです。
ただ、こうしてぬくぬくとしていると戦時下の人たちのことがとても気になります。
とくに精神疾患のある私としてはいつ死んでしまうかも分からないという恐怖の中でどのような精神状態なんだろうとか薬が手に入らないことで症状は大丈夫だろうかとやるせない気持ちになります。
来年は希望の年になりますように!
<二つ葉のクローバーの花言葉は平和、調和、素敵な出会い>
今年も一年、読んでくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。