クローバー 匍匐(ほふく) 福福

末梢神経鞘腫瘍で右前足と肩甲骨を切断したココのことや身の回りの出来事など日々感じたことを発信します。

ララを迎えるまで③

2025-03-06 20:51:37 | 


そんな中、みるぷるちゃんに出会いました。トイプードルでした。





みるぷるちゃんは今のララです。

前々日、保護犬カフェの鶴橋、寺田町、長居店を回って私の希望に近い子の情報を10匹くらい教えてもらう中、みるぷるちゃんにもう一度じっくり会ってみたいと思いました。






インスタグラムに「寺田町で1、2を争うほどの甘えんぼさんで一度お膝に乗ると降りません」とありました。

ココがずっと私にくっついてくれている子だったので、そんな子を望んでいました。

みるぷるちゃんは9月24日に保護犬カフェに来てから3ヶ月も新しい家族に会えずにいました。



「保護期間が少し長くなって来たみるちゃん💦素敵なご縁がありますように🏠🍀」の言葉がとても気になりました。

早く迎えてあげたいと思いました。

実はほとんどみるぷるちゃんと触れ合えませんでした。ずっと他の人の膝の上にいて、なかなか声がかけられず、やっと私のお膝に来たと思ったら、おやつに誘われてそちらの方へとんで行ってしまったのです。

「わんこが近付くとムキムキ、ヤキモチをしっかりやくタイプです」とも書かれていました。

私はみるぷるちゃんとあまり触れ合っていなかったのでその現場は見ていません。これがもしかしたら飼い主さんが見つからなかった一因だったかも知れません。


スタッフに「みるぷるちゃんはいっしょに寝てくれそうですか?」と尋ねると「甘えん坊なので多分大丈夫でしょう!」ということで「我が子」になってもらうことにしました。

みるぷるちゃんは繁殖引退犬でした。帝王切開をしていました。臍ヘルニアもありました。避妊手術はまだしていませんでした。

歯周病が酷く、パテラ(膝蓋骨脱臼)もありました。

当時6歳で少し若いかなと思いましたが、みるぷるちゃんを最期までしっかり見守られるように元気でいないといけないなと思いました。





ところがその手続きにとても時間がかかりました。12時にカフェに着いて、出たのは18時近くでした。

連れて来てくれたOさんにとても申し訳なかったです。

審査がとても厳しく、犬が飼える環境か、病気になった時など金銭的に大丈夫か、年金の額がいくらかと通帳も見せました

手続きを進める途中で名前を決めました。

我が家は最初の子がルル、次の子がナナ、そして、ココはココアでしたが2文字のココになってもらいました。

そして、みるぷるちゃんは笑顔で陽気なイメージだったのでララにしました。

私は二次的飼育者に金沢の甥になってもらいました。当日来れなかったので、甥に電話で飼える環境か、家族全員賛成しているか、年収はどれくらいかなど確認されたそうです。

あとで甥が我が家に来た時、甥と私とララと3人で写っている写真を送りました。

二度と飼育放棄されないように審査はかなり厳しいです。





ララといっしょに我が家に向かう車の中で‥

ほとんど外に出たことがないララ、どこへ連れて行かれるかとても不安だっだことでしょう!


ララを迎えるまで②

2025-03-03 17:31:03 | 

保護犬の情報を集めました。

大阪府愛護管理センター(アニマルハーモニー)や保護犬シェルター(アニフェア大阪)など、ネットで5、6カ所を教えてもらったり見つけたりして毎日のように探しました。


保護犬カフェにも行きました。

大阪には長居、堺、鶴橋、寺田町、天神橋店があり、兵庫や千葉、東京にもあります。

保護犬カフェは大阪で誕生したそうです。


はじめのうちは保護犬カフェがどんなところか見に行っていました。

思ったより、ワンちゃんたちがのびのび明るい様子で安心しました。

隅っこやゲージで寝ている子もいましたが、お客さんのお膝が大好きな子もいました。

ゆっくりですが走り回っている子も多かったです。

この子たちを見ていると本気で「我が子」探しをするようになりまし




これはおやつをあげている時です。争奪戦はすざまじかったです。

押しのけられる子のことが気になりましたが、落ちたものを食べているとのことでした。


どの店もインスタグラムにそれぞれの子の様子が書かれているので気になる子の情報を集めました。

でも、やはり実際に会って、スタッフさんにいろいろ聞いてみないと分かりません。





保護犬カフェには繁殖引退犬やブリーダー崩壊、飼育放棄などいろいろ過酷な環境のところから来ています。

長い間ゲージに入れられっぱなしの子もいます。

歯周病やパテラ(膝蓋骨脱臼)、腫瘤や腫瘍のある子が多く、心臓病の子もいました。

出来るだけ病気などで判断したくないと思いましたが、私はココのこともあり、腫瘤や腫瘍のある子は受け入れることは難しいと言いました。






病院通いが難しいので、どうしても元気そうな子を迎えたいと思ってしまいます。

でも、今まで飼っていた子は10歳を超えるといろいろな病気が出て来ました。

だから、今は元気そうに見えてもそのままずっと元気でいられるかどうかは分かりません。

また、最初のルルはよく勉強しないでかわいそうだというだけで避妊手術をしませんでした。

子宮蓄膿症や乳がんなどホルモンが影響する病気になってしまい、最期は乳がんの転移でした。

保護犬は繁殖引退犬が多く、避妊手術をしていない子が多くいます。

また、私が高齢なので8歳から10歳くらいの子、抱き抱えられるように3kg前後の子を探しました。

出来ればココに似ていない子がいいと思っていました。

ココと比較してしまうような気がしたからです。

実際、ココにそっくりな子がいましたがやはり辛くなりました。





そんな中、ヨークシャーテリアのカイセイちゃんが目に止まりました。

とっても穏やかで人懐っこい子でした。つぶらな瞳が印象的でした。

考えに考えて迎えに行くと決めた前日の夕方、インスタグラムに「家族ができたよ!」とあるではありませんか。

力が抜けるようでした。

保護犬カフェは予約ができません。

当日、飼い主に何かあった場合の二次的飼育者と一緒に行き、審査に通らなければ譲り受けられないのです。

つづく



ララを迎えるまで①

2025-03-01 22:31:05 | 

ココが天国に行ったら、年齢のこともあるし、もう犬は飼えないと諦めていました。

ところが偶然、堺市のホームページ「犬猫の譲渡について」の欄にこのような記述を見つけました。


飼育希望者の登録者基準が一部改正されました。
 
単身もしくは65歳以上の方が飼育を希望される場合は、飼育困難な状況になった時に、代わりに飼育できる64歳以下で成人されている方の申立書および身分証明書が必要ですが、今回の改正で10歳以上の犬猫の飼育を希望する場合は、申立書が必要になる年齢が75歳に引き上げられました。


私の年齢でも飼うことができるのだと思うと途端に「我が子探し」モードに火がついてしまいました。


ココが亡くなってすぐに、悲しくて、寂しくて、そして、いつも私のそばを離れなかったココがいなくなり空虚感に襲われる中、以前Oさんの姪御さんからもらったトイ・プードルのキーホルダーが目に止まりました。握っていると少し心が落ち着きました。





それならばともう少し大きなぬいぐるみを迎えました。





ココピーと名付けました。

ココピーのお陰で抱いて寝るとよく眠れました。

こんなに心が落ち着くのには何かあるのではないかと思い、調べてみるとぬいぐるみにはこのような効果があることが分かりました。

ストレスの軽減
リラックス効果
安眠効果
精神の安定
孤独感をなくす
安心感の向上
オキシトシンも出るそうです。

なるほど、そういうことだったんだと思いました。


精神科の診察の時、「ココが亡くなり次の子を迎えようと思うがあまり早く迎えると周りから何か言われないかがとても気になる。」と言いました。

医師から「早いか遅いかではなく、動物でも人間でも亡くなったものは残された人が元気でいてくれることを一番願っている。」と言って背中を押してくれました。


さっそく堺市動物指導センターの保護犬たちに会いに行こうと電話をすると、「猫はいるが犬はいない。」とのこと。

新しい飼い主さんを募集中の猫たちは3ページにわたって紹介されていますが犬は1匹も紹介されていません。

飼育希望申出書を出せば紹介するとのことでしたがとても時間がかかるようです。

つづく




ココの思いやり!ココの最期の記録②

2025-02-21 12:59:56 | 

夕方から夜にかけて、Oさん、Sさん、そして、Fさんが駆けつけてくださった。


18時頃、寝ながら歩いているような動作。これもてんかんの発作らしい。


一人ではどうしてよいか分からない中、いろいろ助けていただき、とても心強く感じた。


どんどん、経過が悪くなっていく中、かかりつけの動物病院に相談すると、夜間救急病院に行くように言われたが電話をすると休診日。あと二つは遠かった。


19時半頃、舌を血が滲むほどきつく噛んでいた。


どうしたら良いか考えあぐねている中、ある病院を思い出した。


以前、先代犬のナナが一度だけトリミングでお世話になった際、とても好感の持てる獣医さん。


ココは診てもらったことはない。診療時間を過ぎていたが、相談に乗ってくれた。


「その状態でココを動かすのはリスクが大きい。時間をあけて使うように言われた薬は発作が起きたら何度でも使いなさい。」


「出来るだけそばにいてあげてください。」と言われ、とても安心した。


そばで聞いていたSさんがなんて癒される話し方だろうと感心。


皆さんが帰られた後、ココは長い間大きないびきをかいて寝ていた。


私はココの横でずっと手を握って寝ていた。


21時頃、オムツを見ると真っ黒な便が出ていて驚いた。消化器の上の方で出血すると黒い便が出るそう。


23時50分頃、発作が始まったので薬に手を伸ばしている時、大きく体が痙攣し、あっという間にガクッと体が落ちた。23時52分だった。


しばらく大きな目で私を見てくれていた。目を閉じさせても何度も何度も目を開いた。




いつまでも私を見てくれているように思ったが、動物は瞼の皮膚のたるみが少ないため目を閉じにくいそう。


0時過ぎ、清拭し、毛をとかして綺麗にした。


一緒に寝たが明け方のココの冷たさに愕然とした。


11月23日

ココに会いに来てくださった方が私を労ったり、励ましてくれ本当にありがたかった。もちろん、ココの健気さや頑張りもたたえてくださった。


11月24日
千手院動物霊園で葬儀。
その前にOさんが来てくださり、ココの棺をこのように・・・
霊園にも付き添ってくださった。




ココはこんな小さなお骨になって帰って来た。




ココは痛みが出て私が苦しんだり、安楽死という決断をしなくてもいいように自分から天国に行ったのだと思っています。

でも、突然のお別れはとても辛いです。今でもココのことを思い出す度泣いてしまいます。

そんな中、ごま☆母さんとゆめちゃんがきれいなお花とココの笑顔の写真を素敵なフレームに入れて持って来てくださいました。美味しいクッキーやケーキと共に新しく迎えたララにも・・・
とても嬉しく思いました。

皆さん、本当にココのことを応援してくださり、ありがとうございました。






今までありがとう!ココの最期の記録①

2025-02-19 17:37:00 | 
長い間、ご無沙汰しました。

ココのことでは大変ご心配をおかけしました。

なかなか更新できなかったのはココのこともありますが、ココがいなくなった辛さに耐えられず、新たに迎えた保護犬ララの思いがけない行動に目が離せなかったこともあります。

また、私が暮れからお正月にかけて長い風邪を引いたこと、その後、1月10日頃より脊柱管が炎症を起こし、いまだに腰を牽引していることなどがあります。

他にもあるのですが、それは次の機会に。

でも、どうしてもココの最期を記録したいと思い、書かせていただきます。

辛い内容の文や動画なので苦手な方はスルーしてください。

カバー画像は仲良しのハイルくんと。

11月22日


8時頃、 散歩に行こうと声をかけるといつもなら、飛び起きるのに寝たまま。どうしたのかと体を持ち上げるとだらんと力が入らなかった。

とりあえず、玄関まで連れて行き座布団の上に乗せた途端、激しい発作。




かかりつけの動物病院の時間外に対応する医師に状態を説明したが、いつも通りネット予約を取るように言われ釈然としなかった。

お向かいさんにお願いして病院へ連れて行ってもらった。

病院でも診察台に乗せた途端、発作が起きた。

悪性抹消神経鞘腫が脳に影響しててんかん発作を起こしたのだろうとのこと。

入院することや別の病院でMRIを撮ることを勧められたがココの容態からココが辛い時そばにいてあげたいとの思いでやめた。

ココの体の外側にできた悪性抹消神経鞘腫が10cm近くになり、最近、たまに鳴くようになって来ていた。

以前、体の外に出来た腫瘍が悪性だと分かった時、「痛み止めが効かなかったら麻酔のような注射。それが効かなかったら安楽死。」と言われており、そろそろ覚悟をしなければならないかと考えていた矢先だった。

血液検査の結果、糖分が少なく、足りないとまた発作を起こすということでブドウ糖液を処方された。

抗てんかん薬や鎮静剤なども処方された。

家に帰るとほとんど意識がないのではないかと思う中、キャンと鳴いたり、うめき声を出したり、いびきをかいたりした。

そして、何度か発作を起こした。

そんな中、寝ているココを撮影しているとそうっと目を開けて、私に語りかけてきた。最期のメッセージを伝えてくれていると思った。



私には「今までありがとう!」と言っているように思えた。


つづく