クローバー 匍匐(ほふく) 福福

末梢神経鞘腫瘍で右前足と肩甲骨を切断したココのことや身の回りの出来事など日々感じたことを発信します。

ナナの旅立ち!

2021-06-26 14:15:53 | 
  

ナナが6月22日夜遅く、天国に旅立ちました。
前回のブログを書き終える少し前だと思います。

ブログを書き終え、
大好きなボーロを砕いて口に入れようとすると
口が開かないのです。
驚いて体をさわると、少し冷たくなっていました。

今夜が山かもしれないので、お風呂はやめて
ナナのそばで寝ようと考えていました。
息を引き取るときは私の腕の中でと思っていました。

最後に吐き気を催した時、すぐに体を撫でましたが、
声が今までとほんの少しですが違うなと感じました。
もしかしたら、その時に息を引き取ったのかも知れません。

処置をしてもらったので、こんなに早いとは、
思っていませんでした。

レントゲンでは心臓には水は溜まっていませんでした。
咳き込みもここ数日はほとんどなく、
心臓病からくる苦しさは余りなかったのではないかと思います。

ナナは私のために苦しんでいるところを見せないようにして
旅立ったのでしょう。



弟は肺がんでしたが肝臓の数値がとても悪く、
亡くなる前日、身体が重くALSになったようだと
言っていたそうです。

私も39歳の時、
乳がんになり抗がん剤治療で肝臓が悪くなりました。
その時の身体の重怠さは今でもはっきり覚えています。

ナナも薬をたくさん飲んでいたので
肝臓に負担がかかっていたのでしょう。

薬を飲まなければ、今の私はないでしょうし、
ナナももっと早かったと思います。
薬のことは今後よく考えてみようと思います。



千葉の弟が亡くなって、葬儀に行った時、
ついでに栃木のお墓参りに行って来たのですが、
三泊四日の間、ナナは動物病院で過ごしました。

行く前日は下痢をしていたのに、
動物病院では一度薬を飲んだだけで
下痢は止まっていたそうです。

途中で病院に電話をしましたが「元気にしてますよ。」と
聞いて安心して過ごせました。



帰ってきたら、また、下痢が始まりました。
そして、腹水です。
辛い身体であったにもかかわらず
耐えて待ってくれていたんだと思います。

とりあえず、皆さんにナナが旅立ったことを
ご報告させていただきます。
応援ありがとうございました。

今後、少しずつナナの思い出も綴っていけたらと思います。



この世に生を受けたナナ。
小さなことでも覚えていてくださると嬉しいです。

上の写真はナナと共に天国に行った庭の花々です。
ナナは庭で走り回れて幸せだったと思います。



我が家の庭の四つ葉のクローバーを
ナナの胸の上に乗せました。

🔶 🔶 🔶

ナナをいつもかわいがってくださっていた方から
頂いた花です。






ありがとうございました。

ナナ、苦しまないで!!

2021-06-22 23:37:47 | 
隣の部屋でゴショゴショと音がしました。
のぞくとナナが寝ていますが、特に変わったことはありません。
また、しばらくするとゴショゴショと音がします。
この時ものぞくと変わった様子はありませんが、
よく見るとタオルが丸まっていて、シートが見えています。
ふと、ナナが立とうしたのに立てなかったのではないかと
思いました。

トイレかと思い、庭に連れて行きました。



すると、首が異様に細くなっていて、
肩甲骨が浮き上がっているように思いました。


脇もへこんで、背中が盛り上がっているように見えます。
座り込んだので、立たせてみると体がフラフラして歩けず
また、座り込んでしまいました。


これはおかしいと思い、昨日も点滴で行ったところでしたが
病院に連れて行きました。

獣医さんは見てすぐ、腹水が溜まっていると言いました。
首が細くなったり、脇がへこんだのではなく、
腹水でお腹が膨らんでいるのだと。

すぐに腹水を抜きました。
700ccありました。見るとかなりの量です。

次に血液検査をしました。

驚くほどの悪い数値でした。
心臓、肝臓、腎臓・・・多臓器不全を起こしているとのことです。

肝性脳症も起こしていて、ボーッとした状態だろうとも。

肝臓が悪いとたんぱく質が作れなくなり、
体の中が薄くシャブシャブの状態になる。濃くしようとして
水分を出すと腹水が溜まる。点滴しても吸収できないのだそうです。






ここ1日、2日かもしれないとも言われました。

昨日、点滴に行った時、
7月7日がナナの14歳の誕生日だけど、
この分だと越せそうですねと獣医さんと話したところでした。

かなり、深刻な状態だけど、
ナナなら元気を取り戻してくれるかもしれない。

明日以降、どんな状態になったら病院に連れてきたらいいかを聞くと
吐き気があったり、痙攣をおこしたりすれば、注射が出来るので
連れてくるように言われました。

また、ナナは心臓が悪いので、呼吸が苦しくなるかもしれない。
病院で酸素を使うことは出来るが
ここで過ごさせるのはどうですか?
と聞かれたので、家で過ごさせたいと言いました。

以前、友人が自分の愛犬のために用意 した酸素発生器、
1日だけ使っただけで、旅立ったそうです。
良ければ使ってください
と言ってくださっていたので、メールをしました。
すぐに送ってくださると連絡がありました。

ナナは静かに寝ていますが、時々、吐き気を催しています。
ほとんど食べていないので、何も出ません。

ナナ、とにかく、苦しまないで!!

弟の死

2021-06-19 21:23:01 | 家族
6月12日、弟が旅立った。64歳、肺がんだった。

亡くなる少し前、「残念やけどお姉ちゃんより先逝くわ!」
と言っていた。
「残された時間は年単位だと思っていたけど、月単位だと思う。」
と言ってから約半月、呼吸を楽にするための入院だったが
家に戻ることは出来なかった。

父は肺気腫で酸素吸入の器機に慣れるためということで入院したが
あれよあれよという間に亡くなってしまった。

弟は今回の入院で
父のようになるかもしれないと口にしていたそうである。

前日、家族としっかり話が出来ていたのに次の日急変し、
息を引き取った。



弟は三人兄弟の末っ子として生まれた。
とても、しっかりしていて頼りがいがある弟だったが、
やはり子どもの頃は甘えん坊で、
よく上の兄と夜寝るときに母を奪い合った。


あだ名が『おったかパイパイちゃん』だった。



小さい頃、ねじ回しが好きで「ネジマーチュ」と言って、
何にでもねじ回しを差し込んでいた。

ある時、コンセントに突っ込んでしまい感電したことがある。

私も小学3年生までオネショをしていたが、
弟はもっとで、6年生の修学旅行は家族中ヒヤヒヤした。



後ろのサーフボードは兄のものだが、
本人も兄と一緒に波乗りをしていた。
スキューバダイビングは最近までやっていた。
釣りも好きだった。

中学校ではアマチュア無線のクラブに入っていたが、
コンピュータ等のハード系の会社に就職した。



恋をして…


家族が出来た。

忙しい中、よくスキーや遊園地や海水浴などいろいろなところへ
連れて行っていた。

子どもたちからは 他のどの家族よりも多かったと思うと。



これは17年前のUSJ。
私も一緒に行った。

一時期、ディズニーランドの近くに住んでいたことがあり、
私も何度か行くことが出来た。

弟は旅が好きで海外にもよく出掛けていた。
マチュ・ピチュやモン・サン=ミシェル、
アンコール・ワットなど。

何年か前、日本の世界遺産は全て行ったと嬉しそうに話していた。



毎日散歩し、いっしょに寝ていたきり丸。
世界遺産の旅の知床にも連れて行った。
私の家にもいっしょに来たことがある。



これは我が家が引っ越した記念の植樹。
単身赴任で隣接県に住んでいたのでよく母に会いに来ていた。
気前がよく、テレビやパソコンなどを買ってくれた。

とても器用でいろんな所の修理をしてくれた。
(自分の家では業者いらずで何でも直したが
ビルトインコンロを入れ替えて注意を受けたことも。)

料理も得意で、あるものでささっと作ってくれた。

とにかく、身が軽かった。
(体重は110㎏を優に越えていたが…)

弟は会社で役員になったがその任が重かったのか、
長い間、「辞めたい、辞めたい」と言っていたが、
ある日、突然仕事に行けなくなった。


これは4年前の家族写真。
二人とも母のところからは遠く、別々にはよく来てくれていたが、
久しぶりに揃った。

 
        2020.8.15
田舎のお墓参りも毎年行ってくれていた。
結構、遠くて大変だったと思う。



おととしの次男の結婚式の時の写真。
まさか、2年後にこの世からいなくなっているとは
誰も思っていなかった。
でも、癌はこの頃には出来ていたと想像する。

タバコを吸っていたのでよく咳込んでいた。
間質性肺炎ということで治療を受けていた。



昨年11月、弟からメールが来た。
肺癌が見つかったがすでにステージ4で抗がん剤治療を開始したと。

何度も辛い抗がん剤治療を受けたが、
酷くなるばかりで
最近では「息が苦しく溺れているようだ。」と話し ていた。



今月8日に呼吸が楽になるように理学療法を受けるからと入院。
少しでも楽になることを期待していた。

食べられなくなって
みるみる体重が落ちていった時、
「喜んでいる自分がいて複雑な心境だ。」と言っていた。

入院して4日後に突然旅立ってしまった。

友人が「死はあっけらかんとやって来る。」
と言っていたがまさにその通りだった。



母には弟の病気のことは言っていなかった。
その事を本人に言うと
「いいよ。僕が少しでもよくなったら、
そっちに行って僕から話すよ。」
と言っていた。
そう出来ることを励みに病と向き合っていたのだろう。

今年の母の日には動画でメッセージを送ってくれた。
治療で浮腫んだ顔を見て、母は「太ったねえ。」と言っていた。
こちらからも弟に母のお礼のメッセージを動画で送った。

亡くなったことを母に伝えるかどうか、もう一人の弟に相談すると
「今は施設に入ったばかりで落ち着いていないので
言わないでおこう。
そちらに行った時、僕から話す。」
と言ってくれた。



さて!これからどう生きていけばよいか、
否が応でも突きつけられらる。

私は延命治療は受けないと公言しておこう!
前の犬ルルは乳癌が鼻、そして、歯茎に転移した。
獣医師に安楽死を勧められたが決断できなかった。

でも、今ならナナが苦しみだし、手の施しようがなくなったら
安楽死を受け入れようと思う。

苦しい状態で生き長らえるのは辛い。



自分のことが出来ないようになり、回りのことに
思いをはせられなくなる前に何をしなくてはならないか、
今はこれが大きな課題。

健康寿命をいかにのばすかを真剣に考えよう。

いい思い出をたくさん作ろう。
それが最期の自分を支えてくれると思うから。

達成感や充実感を味わえるように努力したい。

世の中に対してもアンテナを張って
出来ることは少しでも力を出したい。


今回、お通夜で甥たちから弟のことについて、たくさん話が聞けた。

「父を尊敬している。」との言葉が嬉しかった。

物知りで知らないジャンルがないぐらいだと
子どもたちから見えていたそうだ。
芸能から芸術、政治・経済まで。

「勉強をしなさい。」とは言わなかったが、
何でも知っていて、何でも出来る父を見ていて格好いいと思ったと。

自分もそうなりたいといろんなことに向き合ううちに
勉強が好きになっていたそうだ。

父の欠点をあげるとすると?
大きなイビキ!

好きな音楽はイーグルスのテイク・イット・イージーの曲と
フジコ・ヘミング演奏のラ・カンパネラだった。










あじさいロード(1)

2021-06-07 17:17:09 | 写真
6月5日、泉北ニュータウンの赤坂台にある
あじさいロードに行ってきました。
電車に乗るのは2ヶ月ぶり・・・

自転車でも行けない距離ではないのですが
ニュータウンは丘陵に造られており、坂がとても多いのです。
特に赤坂台に行く手前の坂は長くて急なので断念しました。

私はブログを書くのにとても時間がかかるので、
眼精疲労や肩こりなど、今、とても調子が悪いです。
今回、写真だけで失礼します。

皆さんは目が疲れないように
工夫していることはありますか?
あれば、教えていただけると助かります。