ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

第二回イスラームコンクール作文の部入賞作品発表(入信記)

2006年06月30日 | ムスリムになるって?(入信体験記)
 私の入信記
   
「試練の裏にあるもの」 Iqraさん 

イスラームを信仰するようになり、現在数年が経ちました。
それまでは、ごく普通にクリスマスも祝えば神社にも行く、仏教徒のような無宗教のような、「神」に対して何でもありの生活でした。
神という絶対的な存在がそういくつもあるわけがない、と薄々感じてはいたのでしょうが、イスラームに出会って初めて「神」というものはアッラーであり、絶対的な存在は他にはないんだということを素直に実感できました。そして、それが一番自然だなと、とても安心でき心地良く感じたのです。
 徐々にクルアーンを読み、祈りを捧げ、願いを請うことも日常に染み付いてきた頃、私は私生活である壁にぶつかりました。
それは、子供を授からなかったことです。
結婚当初は全く気になりませんでしたが、二年三年経つうち、周囲から頻繁に「子供はまだ?」などと尋ねられ、度重なるうちにそれが重荷になってしまったのです。
子供は好きなので、私たち夫婦もそのうち真剣に考えるようになり、とりあえず病院に行くことにしました。
しかし、検査をしても特に問題は無く、私たちは原因もハッキリと分からないまま治療を始めました。
 その頃、礼拝後に特別よく読んでいたのがクルアーンの「マルヤム章」です。
それは、年老いたザカリーヤーと不妊の妻や、貞節のマルヤムが、ただアッラーがお決めになっただけで、アッラーのお力によってそれぞれ子供を授かったことなどが記してある章です。
この章を毎朝礼拝のあとに読み、心からのドゥアーを欠かしませんでした。
それでも授かることは無く、明確な原因もないまま治療を続けるのは心身や金銭的な負担が大きいことから止めることにしたのです。私は精神的にも弱っていたのだと思います。
「どこも悪くない上に治療までして、こんなに祈っているのに、どうしていつまで経っても子供を授からないの?」
と夫に八つ当たりしたこともありました。
 夫は言いました。
「本当に心から祈っていれば、いつか絶対にアッラーは願いを聞いてくれる。」
「アッラーは世界で1番優しいのだよ。絶対、絶対、私たちに赤ちゃんをくれるから。信じて待っていよう。」
 力強い、でもとても温かい言い方でした。
夫だってきっと辛いでしょう。それなのにこんなにアッラーのお力を信じ続けているのかと衝撃を受け、励まされました。その時に、私は実際に見たことや納得したことでなければ完全に信じきれない部分がどこかにあったということに気付きました。アッラーは唯一、絶対的な存在と頭では分かっていても、きっとまだ本当はどういうことなのかを分かっておらず、アッラーの万能のお力を信じきれていなかったのです。
今はそれが人間の、というより私の弱さであり未熟さであり傲慢さであったと実感しています。

「35.アッラーに子供が出来るなどということはありえない。かれに讃えあれ。かれが一事を決定され、唯「有れ。」と仰せになれば、即ち有るのである。」

私たちが何をしようとも、アッラーがお望みにならなければ不可能で、逆にアッラーさえお望みなら何事も可能になってしまうのだというこのマルヤム章の一節がとても印象深く心に残っています。当時は、本当に私にもアッラーは子供をお与え下さるのだろうかと、弱気になり卑屈になっていましたが、夫の言葉で私の気持ちに変化が起き、この一節が強く強く心に入り込んでくるようになったのだと思います。 
それから夫と一緒に礼拝をしたり、祈ったりする時間を多く持つように心がけました。
そして、「一切をアッラーに委ねよう」という気持ちに変わっていきました。肩の力を抜いてただ祈り、待ってみることにしたのです。医療や何ものにも優るアッラーのお力で必ず私達にも、と信じて。
 治療もせずのんびりと過ごしていたラマダーンの翌月、本当に私たちはアッラーからのご褒美を頂きました。全く予期しないことに驚きもありましたが、嬉しさでいっぱいでした。アッラーは私たちが人の親になることをやっとお許しくださったのでしょう。
アッラーのお授けくださった命は、まだこの世に生れてきてはいませんが、お腹の中で一生懸命に生きているのを感じられるだけで既に幸せを齎してくれています。
 今までの辛い事は、この喜びのためにアッラーが与えてくださった試練とさえ思えてきます。
同じ悩みを持つ方や同胞に出会い、励まされ、そして様々な人間の感情も、治療というのがどんなものなのかも知ることが出来たのですから。アッラーは私がそういう事に気付き理解する機会を設けて下さったのでしょうか。
あるシスターはこんな事を言って下さいました。「アッラーは大好きな人にこそ、ムスリムであり続けさせようと、たくさん祈るように試練を与える。だからアッラーはあなたのことが大好きなのですよ」と。涙が出そうになりました。もしそうなら、辛い日々の奥にはとても幸せなアッラーの愛が隠れていたのですね。
 アルハムドゥリッラー。
簡単に授かっていたら知ることのできなかった「辛い時こそアッラーに縋り、願い続けることの大切さ」を私は今回のことで学ぶことができました。また、イスラームを知るという事には「知識を深めること」そしてもうひとつ「心で感じ得るもの」があるのだと感じました。
まだまだスタート地点に立ったばかりなのかもしれませんが、アッラーのご意思のまま前進していくことが最善で最高の道なのだと気付けただけでも幸せだと思います。試練をお与えになるのもアッラーなのだから、それを取除いて下さるのも簡単なはず。だとしたら、私は試練の裏にあるアッラーの意図をしっかりと見定めアッラーがお望みになるのを待ち、祈り続けるしかないのです。
きっとこれからは辛い出来事にぶつかっても、今までよりはダメージの少ない私でいられるのではないかと思います。
               終わり