『アッラーは唯一神であり、ムハンマドは使徒である。』
主人との結婚の日、私はこの言葉を言い、イスラーム教徒になった。それ以前に、私はイスラームに惹かれる事はあった。
たまたま仕事で京王線方面に乗ることがあり、その際、電車の窓から代々木上原のモスクの屋根が見えた。私は興味本位で『あー、帰りにあそこ寄ってみよう。』と思い、夕方にフラフラと立ち寄ってみた。そこには今まで見たことのない装飾と、美しいアラビア文字と、そしてすごく美しい静寂な空気があり、私はそこで何だかすごく気分が良くなる気がした。そして何だかもっとイスラームを見たくなり、その後金曜日の昼間に、集団礼拝を見学した。そこには本当に美しい景色があった。私の心に衝撃のように響くアザーン、男性も女性も同じ方向を向いて頭を下げ、唯一神アッラーに向かって祈っている。
私だけかもしれないが、皆がサジダをしている時、本当にその先に光があり、神がいるように見えた。
それまでは私もイスラームについてあまりよく知らず、毎日祈ってばかりで、酒も飲めず、豚肉を食べれず、女性には権利はなく、という偏見的なイメージばかり持っていたが、その時に、イスラームはそれだけでなく、きっといい部分もあるのではないか、と思うようになった。もしかしたらアッラーはその頃から私を導いてくださっていたのかもしれない。その後、パキスタン人の男性と知り合い、結婚に至った。
それが現在の夫である。
ムスリマになって初めの頃は、夫が『勉強しに行け、勉強しに行け』としつこく言うので、モスクや勉強会に足を運ぶようにしていた。夫が言うからなー、という何ともやる気のない動機で足を運んでいたが、勉強すればするだけ、その知識の正しさ、何を求めてどう行動すれば良いのか、どうやって生きていけばいいのか、という答えを教えてくださる。
それは時にすごく勉強になり、時に怠惰になっている自分を叱咤し、時にはもっともっと善行しよう、と思わせてくれる。
今では自ら通うようになり、そしてアッラーは私の生活の中で欠かせない存在となっている。
一日に五回の礼拝や、ヒジャーブ、善いことがあった時、悪いことがあった時もアッラーと、彼からの恩恵を思うようにしている。
アッラーを思うようになってから、私はいちいちくよくよしなくなった。
全ての事柄はアッラーから与えられた運命であり、また全ての力もアッラーがお持ちである為、アッラーが私にふさわしいと思う運命や力を授けてくださるから、私たちは己の最善を尽くし、後はアッラーにお任せすればいいんだ、と思うようになった。
そして最期の審判の日、アッラーに受け入れられるように現世を生きていこうと思っている。
私は信じている、私がまだイスラームでない時に見た集団礼拝の時の光で、アッラーは私を導いてくださる、と。