ダマスカス留学生有志による情報ブログ

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世界遺産 ボスラ(ブスラ Busra)

2010年04月17日 | シリア旅行ガイド

 預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)が、少年時代に訪れたボスラ(ブスラー Busra بصرىという町が、ダマスカスから車で2時間くらいのところにあります。
日本からの観光客の方たちには、ローマ劇場のある、世界遺産都市として有名なボスラですが、世界中のムスリムたちにとっては、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)が訪れた場所として、教会跡や、その近くのモスクが、とても有名な観光スポットになっています。
日本人にはあまり知られていない、ボスラと預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)にまつわる話をまとめてみました。

 預言者さま(彼に平安あれ)が9歳のとき、マッカからの隊商を引き連れた叔父さんと一緒に、シリアのダマスカスの郊外の町ボスラを訪れました。
ボスラには、キリスト教徒の牧師バヒラ(ブハイラー Buhaira بخيرا)
さんが、聖書(現在の聖書ではなく、まだ人の手によって改ざんされる前の本来の形のままの聖書)に書かれている最後の預言者の到来を待ち望みながら、暮らしていました。


ある日、彼が教会から窓の外を見ると、ある隊商の上を雲が覆っているのが見えました。
その隊商が動くたびにその雲も動き、止まると雲も止まります。
牧師は、聖書に書かれている最後の預言者の特徴から、あの中に最後の預言者がいるに違いないと確信し、最後の預言者に会うために、その隊商を食事に招待しました。

食事の間中、牧師は一生懸命、いったいどの男が最後の預言者だろうか?と、一人ひとりよく観察して探し回りますが、どうしてもそれらしい男が見つかりません。
ふと窓の外を見ると、彼らの乗ってきたラクダの群れが木につながれ、少年がラクダの番をしていました。
そして、なんと、あの雲が、その少年の上に浮かんでいたのでした。

牧師が、当時、ご両親に先立たれた預言者さま(彼に平安あれ)の保護者だった、叔父さんのアブー・ターリブを呼んで、尋ねました。
「あの少年は誰ですか?」
叔父さんは、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)が普通の子供でないことにすでに気付いていたため、彼を警戒して本当のことを隠してこう答えました。
「あれは私の息子です。」
牧師は、冷静にこう言いました。
「そんなはずはありません。彼は孤児のはずです。」

その応えに驚いた叔父さんが、
「あなたはなぜそれを知っているのですか?」
と尋ねると、牧師は、
「聖書に書かれている最後の預言者の特徴のひとつは、孤児として産まれることで、私はそれを聖書で読んだからです。」
と言いました。
そして、「あの少年は、私の探し求めていた最後の預言者に違いない」と断言し、こう続けました。
「ユダヤ人たちが、最後の預言者が自分たちの民以外から出たら殺す、と言って探し回っている。早く彼を連れてマッカに戻りなさい。」

叔父さんは、牧師の忠告に従い、すぐに隊商を連れてマッカへと出発し、預言者さま(彼に平安あれ)も無事にマッカに帰ることができました。

初めて、預言者さま(彼に平安あれ)の預言者性を認めたのは、キリスト教徒の牧師さんでした。
その時代のキリスト教やユダヤ教の啓典には、まだ、最後の預言者の特徴が書かれていたので、当時の人々にとっては、最後の預言者が現れる事は周知の事実だったのです。

このボスラという町には今もなお、牧師バヒラさんがいた教会跡(上の写真)や、彼が最後の預言者の到来を待って、礼拝をしながら過ごしていた牧師さんの家の跡があり、少年だった預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)がラクダと一緒に座っておられた場所は、現在はモスクとなって残っており、世界中から多くのムスリムたちが訪れます。


ダマスカスから、バスで簡単に行けますので、ダマスカスに滞在される方は、ぜひ足を延ばして、ボスラ観光に訪れてみてください。


ウィキペディア百科事典のボスラの歴史の項目にも、このことが書かれてにいますので、参考までに。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%A9

 

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