(前回掲載した、「人間関係②」の続きです。)
初期のムスリムたちは、兄弟関係を結ぶ相手、というのが存在しました。最初は預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)の時代から始まった兄弟関係というのは、イスラームにおける人間関係の理想的な姿となっています。私たちの時代には、こういった兄弟の契約を結ぶということがほとんどなくなってしまっていますが、初期のムスリムたちがどういう関係を保っていたのか?を知る事で、私たちが、現在、信仰上のムスリム兄弟姉妹と、どう関わっていくべきか、の理想的な姿、また、一般的な人間関係の理想的な姿までが見えてきます。
人間関係の中で、私たちが行っていくといいこと、というのが、全部で8個あります。前回は一つ目のポイント、物質的援助をすることを学びましたが、これからご紹介するのが、2つ目のポイント、沈黙を守ることです。
沈黙というのは、兄弟のいないところでも、彼の前でも、彼の欠点を口に出して触れないようにすることです。 むしろ欠点については知らないふりをするよう心がけましょう。また、プライベートについて詮索したり、興味本位で、質問しないように注意しましょう。もしかしたら、そのことを話すのが彼にとって困難かもしれないし、彼がそのことについて、嘘をつかなければならないかもしれないからです。あえて尋ねなくても、言いたければ自分から言い出すものなので、相手が言い出さないことを、根掘り葉掘り聞き出さないように注意しましょう。
また、彼が、あなたに打ち明けた秘密について沈黙を守り、絶対に第三者や、彼女の親密な友人にさえも、一言ももらさないようにしましょう。たとえ離れ離れになってしまったり、けんかをした後でも気をつけましょう。
また彼にとって、大切な家族に対する批判や子供たちの批判についても、彼にも別の人にも話さないようにして、沈黙を守りましょう。他の人が、彼に対してする批判についても、彼や別の人の前で、それを言わないよう沈黙を守りましょう。
例えば、Aさんが、私に、Xさんの悪口を言ったとします。悪口を聞いた私が、Xさんに向って、「あなたについてこんなことを言っている人がいるよ」、と伝えてしまうことは、Xさんにとっては、私が直接Xさんを侮辱をしたことになってしまいます。そして、実際に悪口を言ったAさんからは、間接的な中傷が、Xさんにもたらされます。つまり、私が、Xさんのためにと思って、それを伝えていたとしても、結果として、Xさんを傷つける中傷を、倍増してXさんに伝えてしまうことになるのです。ですから、イスラームでは、これを禁止しています。自分が聞いた姉妹に関する非難、中傷は、自分のところだけで、留めておいて、本人にも他の誰にも伝えないようにしましょう。
もちろん、私たちが聞く彼の称賛、褒め言葉は、隠すことはありません。褒め言葉を伝えることは、その中にある喜びを、間接的に初めに褒めた人からも、また直接にその褒め言葉を伝える人からも、ダブルで倍増して、伝えることができるからです。ここで、その人のよい評判を隠すことは、自分の中にうらやむ気持ちがあるということなので、注意しましょう。
まとめると、一般的にも個人的にも、兄弟にとって不愉快な話については、誰にも話さず、もし聴いてしまっても、黙っているようにしましょう。ただし、善いことを勧め、悪いことを防ぐために、彼が人を害しているときなど、はっきり意見を言わざるをえない場合には、本人だけにこっそりと注意しましょう。
もし私たちが、誰かを非難したくなったり、誰かに対して、「なんであの人は、こういうことをするのかな?」と不満を感じたら、私たちは、次の二つのことを考えるようにしましょう。
まず、1つ目は、自分自身の状態を見て、もし一つでも欠点があれば、他の人に対して寛容であるべきだということです。自分自身の欠点に対して、自分で治そうと努力しても、ものすごく難しいのと同じように、その特別な気質について、彼は、自分自身ではどうしようもないのかもしれません。ひとつの欠点のために、彼のすべてを否定したりしないようにしましょう。
誰かに対して、不満に思うときに考えるといい事、その2は、まったく欠点のない人を求めようと思ったら、一人の友達も見つけられずに、人生が終わってしまうということです。誰でも、良い性質と悪い性質の両方を持っていない人はいないので、もし良いところが悪いところより大きかったら、それは、その人がものすごくすばらしく、期待できる人だということです。
ムスリムは、いつも兄弟の良いところを、まるで自分の自慢、誇りのように、自分の心の中に抱いています。悪い性格の人というのは、いつでも、人の非行や欠点を見つけようとしています。イブン ムバーラクは、こう語りました。
“信者は、他人のために言い訳を見つけようとするが、偽善者は、人の間違いを探しています。“
また、兄弟の行動の良いところが少しでも、ほんのちょっとでも見える限り、悪い解釈をしないように、悪い解釈を頭の中から吐き出して、考え続けないようにしましょう。もし、彼の欠点が、あなたの目の前で暴かれてしまって、あなたがどうしても知ってしまったときには、見たことを忘れてしまったことにすることです。
預言者様(彼にアッラーの祝福と平安あれ)は、フスヌッザンヌ(人の良い面だけを見ること)についても教えてくださいました。
アリー様(アッラーのご満悦あれ)のひ孫にあたるジャアファル・ブヌ・ムハンマド様(ジャアファルッサーディク様)(アッラーのご満悦あれ)は、おっしゃいました。
「あなたの兄弟について何か嫌悪することを聞いた時は、彼のために、1から70の弁解を探しなさい。そうすれば、それが当たるか、もし当たっていなくても、こう言いなさい。『きっと彼には私の知らない理由があるのだ。』」バイハキー伝承
例えば、ある人が、自分に会ったときに挨拶をしなかったとします。そうしたら、私たちは、すぐに、「彼はまた挨拶をしなかった、私のことなんてどうでもいいと思っているんだ、そういえば、この間会った時も、彼はあんなことをした、こんなひどいことも言われた・・・・」と、70の欠点を頭の中で考えるのは、ムスリムがすべきことではありません。私たちは、挨拶をしなかった彼に、70の言い訳を考えてあげましょう。「もしかしたら、今日病気だったのかもしれない、そういえば、顔色が悪かった、もしかしたら、彼は元気だけどお子さんが病気かもしれない、きっと心配事があって、周りが見えていないのかもしれない、今日電話をして、様子を尋ねてみよう、私に手伝えることがあったら、してあげよう・・・・」と、70の言い訳を相手に考えてあげることで、自分も周りも幸せになれる、ハッピーな思考になっていきます。もし、70言い訳を考えた末に、あなたの心がそのどれをも受け入れなかったら、あなたの心にこう言いきかせて、あなた自身を責めましょう。
“なんとあなたは、厳しいのでしょうか! あなたの兄弟が70の弁解を申し立てたのに、あなたはそれを認めないとは!!それは、彼ではなくて、あなたが悪いのです!”
人の欠点を隠し、知らないふりをしてそれを見過ごすことは、信仰深い人の印のひとつです。醜いものを隠し、良いものを現す完璧さは、アッラーご自身が、そうされる性質をお持ちなことからもわかります。アッラーをお手本としましょう。アッラーは、欠点を隠されるお方、罪を許されるお方、ご自分の創造物に対してものすごく寛大なお方です。アッラーは、私たちの欠点を、私たちが何とかして人に隠している欠点も、すべて私たちよりもずっとよくご存知ですが、他の人に暴いたりは決してなさいません。
自分に望むことを兄弟に望まないうちは、人の信仰は、完璧ではないと、預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は言われました。他人の恥を隠さなかったり、恥を見せようとする気持ちがもし自分の心の中にあったら、その原因は、敵意やうらやみという自分の心の内面の病気です。病気には薬が必要です。もしそういう気持ちがあるのに気が付いたら、自分の心の中をちゃんと見て、その病気を嫌うことから、治療は始まります。
また、兄弟の秘密を明かさずに、黙っていることもとても大切です。自分の欠点や秘密を隠すように、兄弟のために、隠しましょう。預言者さま(彼に平安と祝福がありますように)は仰いました。
≪もし人が兄弟の恥を明かしたら、アッラーは、彼の恥を現世と来世で暴かれるでしょう。≫
→ 次回に続く、インシャアッラー 人間関係④
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