21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

市場原理主義の時代

2011年07月31日 10時39分50秒 | Weblog
「市場は神」だと信じており、「神の見えざる手」が常に市場を適切な状態に保っている、そして市場に間違いは起こらない。って考えが「市場原理主義」だ。


極端な信奉者になると、経済学の教科書通りに市場が機能しない現実を非難し始める。
本来であれば、現実を説明できない教科書が間違っているはずだ。



市場原理主義的な考えに立てば、
『市場が「円高」に進めば、製造業が海外へ流出する。
そして、市場が「円安」に戻れば、製造業は日本に帰ってくる。』
って論理が成り立つ。


が、現実には起きない。

極度の円高の中で、多くの製造業が赤字を垂れ流しつつ、日本に工場を置いている。
それは、「工場を移す」ことにコストが発生するからだ。

逆に、円安が進んでも、一度海外へ移転した工場は簡単には戻ってこない。


為替が120円⇒80円に円高が進んだ時に、100社が海外へ工場を移したと仮定する。
為替が80円⇒120円に円安に進んでも、この100社が海外から工場を戻すことはナイ。


製造業が海外へ移転すれば、輸出額が減り、貿易黒字が減り、円安が進む。

しかし、
工場が戻ってくる可能性があるとすれば、360円~480円程度まで円安が進んだ場合だけだろう。
一度海外へ移転させた工場を戻すのは難しい。

だからこそ、製造業の海外移転が進まないように、今の為替市場対策をとる必要がある。



為替が480円にまで円安が進んだ場合、99%を輸入に頼っている化石燃料の価格は、今の6倍になる。

円高

2011年07月31日 10時23分51秒 | Weblog
「円高」にもかかわらず、為替市場介入の可能性は感じられない。


1997年には、阪神大震災後、円高が79.75円まで進んだ。

その後13年間、日本ではデフレが進み、アメリカではインフレが進んだ。

経済関連の雑誌には、物価変動を考慮した場合、1997年時の79.75円は、今のレートで約55円になると紹介しているものもある。



つまり、60円以下ぐらいまではドル安が進まない限り、為替介入は期待できないのかもしれない。


「為替介入」と聞くと、日本銀行や財務省が担当する印象が強いが、為替介入をする団体は何でも良い。


多額の内部留保を抱えている企業団体・日本経団連とかが積立金を集めて、米ドル建ての債券を買えば、円高は解消する。

金融機関・銀行も貸出率が下がっており、資金に余裕がある。共同で出資して外貨建ての資産への投資を拡大させればよい。



円高に対して、「口先介入」しかできない日本政府も情けないが、行動を起こせていないのは経済界も同じだ。

「一億総評論家時代」
口を出す人、批判する人は多いが、実際に行動を起こし対策を取れる人が少なすぎる。

日本の技術的優位性

2011年07月31日 09時56分13秒 | Weblog
日本には高い技術力がある。
「技術立国」

世界に誇れるものであり、海外は追いついてくる可能性は少ない。


一方で、高い技術力を持っている日本人は、職歴30年、40年、50年の熟練技術者だけで、ほとんどが今後20年前後で引退する。海外に追いつかれる可能性は低いが、日本が没落する可能性は高い。


若手に技術の継承が進む必要があるが、「円高の影響」もあり、製造業は海外に流出している。


「この道40年」的な熟練の日本人技術者が、中国の工場で技術指導をするのは一般的だ。




「70歳の日本人技術者」と「70歳の中国人技術者」を比べた場合、日本人技術者の方が国際経験も豊かで技術力も高い。

一方、「20代の日本人技術者」と「20代の中国人技術者」を比べようとする場合、日本には製造業が残っていないので、調査対象を見つけるのが難しい。一方、中国は「世界の工場」で、中国人技術者は世界中に輸出できる製品を生み出す技術力を持っている。





「20代の日本人技術者」と「20代の中国人技術者」も、30年後には「70歳の日本人技術者」と「70歳の中国人技術者」になる。その時に、「技術立国」と言われた日本は残っているのか? 疑問だ。




politicsとbusinessが協力して、日本の技術力を向上させ続けるシステムを作る必要がある。
その場しのぎ的な政策を繰り返している場合ではない。


6000年前のエジプトには、世界一の建設技術があった。あの時代に、ピラミッドのような巨大建築物を作れる技術力は他にはなかった。しかし、今のエジプトの建築技術は世界一とは言い難い。

日本には栄光の時代があった(過去形)。しかし、過去の栄光は未来の繁栄とは無関係だ。

民主主義の良さ

2011年07月31日 09時40分43秒 | Weblog
民主主義の良さは「自己責任」に尽きる。

国民が投票でリーダーを選んで、そのリーダーの失政の責任を国民が取る。

選ぶ権利についてくる責任を国民が持つ。


通常であれば、それなりの権利にそれなりの責任だけど、

今回は、特に東日本大震災の被災者にとっては責任が高くついたね。
あと、円高に苦しんでいる輸出企業の関係者にとっても、責任が高くついてる気がする。

民主主義は50年後も機能してるのかな?





学校教育で「民主主義が最も良い統治方法」だと刷り込まれているから、選挙制度に疑問を持つ人は少ない。

その一方で、自らの投票行動に絶対の自信がある有権者は何人いるんだろう?

仕事が忙しい中、各立候補者の主張を聞いて、理解して、正統性を正確に判断できる有権者は何%ぐらいいるのだろう。

投票率自体が下がっている。
4割近い有権者は毎回投票権を棄権している。



残りの6割の有権者にしても、世論操作やアジテーションに惑わされずに正確な判断を下している人はどの程度いるのだろうか?

当然のことながら、有権者の中には特定の政治団体の支持者もいる。「結社の自由」は憲法で保障されている。


その中で、
利己的な判断を捨て、国民全体のことを考えて投票行動をとれる人は、最終的に何%いるのだろうか?