サッカーの競技場(ラグビーワールドカップの会場にもなった)「日産スタジアム」への下車駅
JR横浜戦小机駅がある。ここから日産スタジアムとは反対の方向へ徒歩15分、
戦国時代の城「小机城」があることは、
続日本百名城めぐりを始めるまでは知らなかった。
城には、いろいろなドラマが展開されている事が多い。
太田道灌が詠んだ狂歌といわれるものがある。
「小机はまず手習ひのはじめにて いろはにほへと ちりぢりになる」
その意味は
「小机城なんざ手習いの初めのようなもので、いろはにほへと書くように落としてみせる」となる。
伊東潤「歴史作家の城めぐり」(電子版)
太田道灌が小机城を攻めるときに詠んだ狂歌で、士気を鼓舞して攻め落とした。
道灌本人の歌かどうかは不明だそうである。
太田道灌(1432-1486)がこの小机城で勝利を収めたことは確かである。
その勝ち誇った姿は、どのようなものだっただろうか。
時代を経て小机城は小田原の北条氏のものとなった。
上杉謙信の死後、跡継ぎを巡って争われた御館の乱。
上杉景勝と争って破れた北条(長尾)三郎。
越後に向かうまでの二ヶ月間、小机城の城主なっている。
小説の世界だが、好きな女性と幸せな日々が描かれている。(伊東潤「北天蒼星」)
このような、過去の歴史をひもときながら城めぐり(城郭ウオッチング)をしている。
城に行くことを「登城する」と一般的に使われているようだが、この言い方にいささか抵抗がある。
封建時代の家来が殿様のもとにはせ参じるのではないので、何か相応しい言い方はないかと思いを巡らせていた。
わたしは、社会科の教師として、教材ウオッチングをしながら教材開発をライフワークとしてきた。
「そうだ。」
「ウオッチングだ。」
ということで、「教材ウオッチング」の一環として「城郭ウオッチング」を組み込むことにした。
昨今のコロナによる自粛生活が続くと、道灌や三郎に思いをはせながら小机城を歩いてみたいと思う。
ここにある写真は、今、紹介した道灌や三郎のストーリーを知る前に撮ったものである。
土塁、空堀、曲輪がはっきり見て取れる。
冠木門が曲輪に復元されている。
下の写真は、小机城から日産スタジアムを眺めている。
改めて、道灌や三郎のストリーを頭に描きながら、
小机城をウオッチングしてみたいと思っている。