諏訪原城(静岡県島田市)を訪ねるのは2018.10以来2回目です。
初めて訪ねたとき、二の丸北馬出に薬医門が復元されていました。
曲輪の中に薬医門だけが立っていました。
昨年6月に城郭検定を受けたとき
次のような問題に出会いました。
写真のような枠組みだけの塀が再建された城はどれかという問題です。
(この写真は2021.12.22伊東撮影トリミングあり)
諏訪原城が正解だったのですが、
わたしが見た諏訪原城は、
前掲の薬医門だったので、諏訪原城を答えることは出来ませんでした。
その枠組みが見たくて今回の訪問になりました。
遠くからみるとこんな感じです。
工事中のために、二の丸北馬出に入ることは出来ませんでした。
では、なぜ、このような枠組みだけの塀ができたのでしょうか。
調べてみました。
城郭検定協会のHP城びとで加藤雅文さんが
次のような解説をしています。
【理文先生のお城NEWS解説】第33回 諏訪原(すわはら)城跡(静岡県島田市)の整備事業 (shirobito.jp)
(内緒の話→城郭検定に加藤さんのHPから城郭検定に出題されることが多い。)
二の曲輪北馬出の史跡整備事業は平成25年(2013)から始まり、
薬医門が平成29年に復元されました。
しかし、「薬医門を含む二の曲輪北馬出が、
戦国時代にどのような役割を持つ曲輪であったか」
ということが、
まだまだ分かりにくい状態でした。
そこで、薬医門の左右に取りつく土塀と土塁を復元し、
往時の防御構造が一目で解るような整備を試みたのです。
ところが文化庁の復元検討委員会からは、土塀と土塁の復元を許可はするが、
土塀は遺構が確実ではないので、骨組みだけにするようにとの指示を受けたのです。
そのため、令和2年(2020)度の工事では、復元した薬医門(城門)の東側の土塁と、
その上の土塀の柱と屋根が設置されたのです。
令和3年度の工事では、薬医門西側の土塁などの整備を進めていく予定です。
今年度の復元は、
極めて違和感があり、
かえって見学者に混乱をきたしています。
「壁はなかったのですね」
「自由に行き来できておかしいですよね」
「工事現場みたいです」等の意見が寄せられています。
確実でないなら、看板等に明記すればすむことです。
復元検討委員会も、
見学者目線にたった整備について考えてほしいものです。
文化庁は、史跡の活用を訴えていますが、
こうした事例からも見学者の利便性や見やすさ、
使いやすさを考えた活用方法から、
かけ離れないかが心配です。
復元に難しい問題が含んでいることを具体的に示す事例です。
加藤さんの指摘にわたしは賛成です。
さて、諏訪原城と言えば、丸馬出と大きな三日月掘のような大きな深い外堀です。
その様子を写真で楽しんでください。
北馬出の薬医門の屋根が右端に見えます。
外堀です。
堀をまたぐ土橋も見事です。
ここでの戦いの様子を具体的にイメージさせてくれます。
(諏訪原城ビジターセンター)
武田氏が造ったといわれていましたが、
徳川氏の手が加わっているということです。
この諏訪原城の大きな堀は、何度見ても本当に感動します。
機械のない時代人の手でよくこんな大きな堀を造ることができたものだと。
追伸
諏訪原城のビジターセンター駐車場の対面に、
諏訪原園茶舗さんの無人販売所があります。
サツマイモ6個入り、番茶140gともに300円です。
オススメです。妻によるとサツマイモは特に安いとのことです。
(2021年12月22日に訪問)