現存12三階櫓について2回に渡って触れました。
現存の天守についても2回に渡って触れてみようと思います。
訪問して感じたこと、城郭検定で学んだ事などについて述べていきます。
①1弘前城天守です。
最初に建てた天守が落雷で炎上し、
200年間天守のない時代ががありました。
正保城絵図には、
天守が失われていたために
「てん守ノあと」
との注記があります。
現在の天守は1810年に建てられたものです。
石垣の修理をするために曳家工法を使って70メートルずらしたところに現在建っている。
工事終了後は元の位置に戻される予定です。
この石垣工事に10年を要しています。
名古屋城は天守を木造に建て替えると言っていますが、
その土台となる石垣の修理をしてからということになると
10年では済まないと思うのはわたしだけでしょうか。
②松本城天守
黒漆喰下見板張りのお城です。黒いお城。
天守(中央)・乾小天守(左)と辰巳付櫓・月見櫓(赤い欄干)で出来た年代が違います。
月見櫓は将軍家光が訪問するということで造ったのですが
中山道木曽路等に落成があったということで、実際には見えなかったそうです。
以下松本城については、下記参照。
第9回(改訂版)ふうちゃんのお城ブログ 子どもたちと何回も行ったことのある松本城 - ふうちゃんのお城ブログ (goo.ne.jp)
③丸岡城天守です。
入母屋造りの建物の屋根の上に物見と呼ばれるに望楼を載せる望楼型天守。
天守台の上に入母屋造り建物が1階建てとなっている天守です。
木があってよく見えませんが
白木の出格子に板葺き屋根、簡単な出窓があります。
屋根は笏谷石といわれる地元産の石で出来ています。
丸岡城天守笏谷(しゃくだに)石瓦
④犬山城天守です。
犬山城の天守には、犬山城マイスターたかまるさんによると次の7つです。
1 望楼型天守
2 真壁づくり
3 華頭窓
4 廻縁・高欄(まわりえん・こうらん)
5 唐破風
6 2つの附櫓
7 桃瓦
の6つを挙げています。
3の華頭窓は、本物の窓ではありません。
飾りです。伊達めがねならぬ伊達華頭といってもいいように思います。
4の回り縁には実際に出られます。
でも、修理前だったので床がきしんで怖いような気もしました。
7の桃瓦は気付きませんでした。次回の訪問の楽しみにとっておきます。
⑤彦根城天守です。
豪華絢爛。
各種の破風があります。
金箔が唐破風にはってあります。
大きな千鳥破風。
同じ階に2つある切妻破風。
天守に切妻破風があるのは彦根城だけだそうです。
破風は全部で18あるそうです。
2階、3階には華頭窓があります。
これも全部で18あります。
想像して描いてみたのがこの図です。
彦根城のマスコットキャラクター「ひこにゃん」が誕生したのは、
2006年(平成18年)です。
「国宝彦根城400年祭」で愛称が公募されました。
これによって観光地としての彦根城は人気が高まったと思われます。
わたしが彦根城を最初に訪れたのは、
ひこにゃん誕生以前の2000年頃です。
天守の最上階に上る階段が昔のままで
傾斜がきつく、上りにくかった、降りにくかったと記憶しています。
でもそのことで国宝現存天守を実感できたようにも思います。
ひこにゃん誕生以後訪れたときには、
手すりがついていて上りやすくなっていました。
お土産としては「ひこどら」がオススメです。
⑥姫路城天守です。
桜に白い姫路城天守が似合います。
暴れん坊将軍の江戸城のロケ地に使われました。
8代将軍吉宗の時代に江戸城の天守は存在しないので、
全く嘘ということになります。
ただ、江戸始図の発見によって、
家康の頃の江戸よく似ているよく似ている
事が分かってきました。
暴れん坊将軍ではなく
家康が建てた江戸城の天守が存在していた時代のロケなら
ありかなと最近思うようになりました。
つづく