東京都大田区本羽田に羽田山長照寺という日蓮宗のお寺があります。
創建は1550から98年といわれている古刹です。
ふうちゃんの菩提寺です。
このお寺の1000ある墓地の3分の1が「伊東」家なのです。
羽田空港のある大田区羽田には「伊東」という姓が多いのです。
友人が校長をしていた大田区羽田小学校(ふうちゃんの両親の母校)では
伊東姓の子どもはファーストネームで呼ばれています。
一般に、「お名前は」と聞かれて
「いとう」と答えると
「伊藤」と理解されることが多いです。
わざわざ「東」の「いとう」です
と言わないと
「伊東」と理解してもらえません。
このお寺を訪問し住職さんから
羽田の伊東のルーツ「ふうちゃんのルーツ」についての話を聞きました。
住職さんの話を聞く前の
羽田の「伊東」についてのふうちゃんの理解は
以下の通りです。
半島半島にある伊東の伊東祐親(すけちか)にかかわっていた人たちが
羽田に来て漁師になったというのです。
母の従弟(故人)からおぼろげながら聞いた話です。
御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の垂直尾翼は
伊豆半島下田沖に落下し
東京湾の入口で発見されました。
確かに伊豆半島冲から東京湾の入口への
潮の流れがあることがわかりました。
鎌倉殿の13人にも伊東祐親(浅野和之演)は登場しました。
八重(新垣結衣演)さんの父親、
義時(小栗旬演)の祖父です。
祐親は平家側で
頼朝(大泉洋演)を預かっていましたが、
頼朝は政子の父北条時政を頼り、
祐親は殺されます。
ふうちゃんお先祖は
鎌倉時代のこの時、
羽田に逃げてきたのではないかと勝手に思っていました。
我が家も曾祖父の時代まで
羽田で漁師をしていたことが分かっています。
前置きはさておき、
ここからは住職さんの話です。
徳川家康が江戸城をつくるとき
石垣の石を伊豆半島の伊東からも
切り出して船でで運んで江戸にもってきました。
その仕事に伊東家のご先祖がかかわっていたというのです。
仕事が済んだ後
伊豆伊東には帰らず
江戸に残って住み着いた。
羽田にも住み着いた人たちがいたのです。
伊豆は日蓮聖人が流された土地で
日蓮宗の信者が多かったようです。
そこで、羽田に住み着いた人々は
日蓮宗の古刹である長照寺の檀家になったのでしょうか。
この話から
伊東祐親から我が家・ふうちゃんまでの空白の部分がつながりました。
鎌倉時代ではなく、
江戸時代に伊東から江戸・羽田に来たのです。
徳川家康は江戸に多くの人々を各地から集めました。
我が伊東家も家康によって江戸に集められた一員であったのです。
わたしは、家康以前のネーチーブ江戸人だと思っていましたが
そうではありませんでした。
これから江戸城の石垣をみるとき
我がご先祖様が運んできた石で出来ている。
家康の下で先祖様は仕事をしていたんだと
思うことにします。
石垣の黒い石は伊豆石(安山岩)です。
お城の勉強を始めて6年になります。
私の先祖が江戸城づくりにかかわっていたなんて、
思いもよらない大きな発見です。
真っ先にわたしのお城の師匠故杉渕尚さんに報告したい出来事です。
https://blog.goo.ne.jp/fuhchan2399/e/33d1ed53e559ddd89008e7062e69c091
追伸 春のお彼岸の一日
杉渕さんのお墓参りに行くことが出来ました。
大宮にある広々とした霊園の中にありました。
わたしのこの間の城についての思いを報告しました。
・城郭検定試験一級合格
・伊東家のファミリーヒストリーなど