ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第73回ふうちゃんのお城ブログ 高崎城と前橋(厩橋まやばし)城

2023-07-15 19:23:23 | 城郭検定

朝ドラでは植物学者牧野富太郎をモデルとした槙野万太郎の生涯を取り上げています。

玉川大学の研究室でご一緒したH先生が植物観察する様子を思い浮かべると、

植物音痴のわたしにも、

万太郎の植物観察の様子が

実感を伴って伝わってくるように思われるから不思議です。

 

さて、ここからがお城の話です。

城郭検定で「土居(土塁)上の樹木を一本ずつ調査し、その高さと樹種を描いた絵図が残っている城はどこか」

という出題がありました。

答えは高崎城です。

この城郭検定の問題を通して、この絵図のことを知りました。

城びと(日本城郭協会のhp)で調べてみました。

【理文先生のお城がっこう】城歩き編 第34回 城内の樹木の役割1 (shirobito.jp)

加藤理文さんが次のようなことを書いていました。

 

高崎城(群馬県高崎市)では、文化14年(1817)に作成された

「御城御土居通御植物木尺附絵図(おしろおどいどおりおうえものしゃくつきえず)」が現存し

この絵図を見ると、全ての曲輪の縁辺部に樹木が植えられていたことが判明します。

しかも、全ての樹木の木の種類を特定し記録に残しているため、

厳重な管理下に置かれていたことがわかるのです。

樹木は、その大きさも表現されており、大木がほとんど存在しないことも解り、

さらに曲輪内には小木一本すら植えられていなかった様子も見て取れます。

このように城内の樹木は徹底的に管理されていたのです。

当然、樹木だけを管理する仕事があり、

それを任せられた家臣が存在したのです。

 

土造りの城であったため、当初は内部を隠す目的で植えられたと考えられます。

巨木になれば管理も大変になるので、そうならないよう万全の管理体制が敷かれたと

推定されます。

 

朝ドラの槙野万太郎、玉川大学のH先生、城郭検定の絵図が折り混ざり

わたしを高崎城に導いたのです。

高崎駅からタクシーで高崎城水堀の辰巳橋へ

看板に従い現存の乾櫓まで、

「御城御土居通御植物木尺附絵図」や

植物の管理をしていた高崎城の家臣に

思いをはせながら、今の高崎城の土居を歩いてみました。

ただの土塁とそこに植えてある樹木が趣のあるものに見えてきます。

軽井沢の家に多くの樹木があるのですが、

管理に意外と手間と費用がかかります。

木々の1本1本にまで目を光らせて

律儀に天職として木々の管理をしたであろう家臣の心を思い描きながら

この土居を歩くのです。

そして、乾櫓に到着です。

その隣には東門がありました。

帰りは、

同じ土塁の植えを通り、辰巳橋の先までお濠の様子を観察しました。

タクシーに乗るほどの距離でないことを確かめながら高崎へ向かいました。

 

次は前橋城、かつては厩橋(まやばし)と呼ばれました。

群馬県の県庁所在地前橋市にあります。

戦国時代、この城をめぐって多くの戦国武将が行き交いました。

上杉謙信、北条(きたじょう)高広、滝川一益、浅野長政、徳川家康など武将の名が浮かんできます。

関東7名城の一つに数えられています。

遺構として

土塁(群馬県庁北側、前橋公園内等)

石垣「前橋城車橋門跡」(大手町2丁目)

あげれられています。

ここでもタクシーを使いました。

しかし、運転手さんが連れて行ってくれたのは県庁北側の土塁です。

車場橋門跡のことを言っても全く不案内。

ほとんど、ちんぷんかんぷんです。

これは、独自に探すしかないと諦めました。

では、まず、運転手さんが連れて行ってくれた土塁です。

これが碑です。

その解説です。

この碑が土塁の上にのっています。

見事な土塁が続きます。

この日は土塁の草刈りをやっていたので

土手の様子がよく見えました。

 

土塁はよくわかりましたが、

石垣の遺構大手町2丁目の車橋門跡の石垣の遺構です。

大手町2丁目前橋市役所近くの交差点で

「車橋門跡」を昼食に出掛けた市役所の職員と思われる人に

何人か聞いてみました。

これが、誰も知らないのです。

文化財なんてものはこんなもでしょうか。

タクシーの運転手が知らないのは無理もないことかもしれません。

しかし、あったのです。

市の施設です。

どこだと思いますか。

観光案内所ではありません。

前橋市立図書館です。

まず、受付へ。

おそらく司書と思われる方が対応。

2階の調査課へ行ってください。

2階の調査課では

交番にあるような地域の大きな地図もってきて

位置を示してくれる。

「日本経済新聞と美容院の細い道の奥にあります。」

そして、窓際に案内し外を見ながら

「あのビルの向こうです。」

「ここ図書館をでたら

背中を左にして

あの道路へでてください。」

案内は完璧でした。

日本経済新聞と美容院の間に石垣があったのです。

この石垣が現れました。

 

 

探していた遺跡に廻り会えた喜びは何物にも代えがたいものがあります。

地域の図書館の情報センターとして機能を見直すことができます。

城むぐりにはもっと地域の図書館を活用すべきだともいます。

大田区立洗足池図書館には勝海舟コーナーがあります。