9月9日(重陽の節句)は、わたしの75歳の誕生日でした。
後期高齢者になりました。
これからも、城郭ウオッチング(城廻り)を友に、
過ごしていきたいと思います。
丁度タイミングがよいことに
伊東潤読書会で江戸城に行くオフ会がありました。
一列 左からサイガさん 伊東潤(黒シャツ)先生
三列目 2人目伊東冨士雄(白髪、リユック)
午前中は地域運営学校の会議(現在の公の仕事)があったので
午後からの参加となりました。
講師のサイガさんの案内で新しいことを学びました。
この土塁、どこにあると思いますか。
わたしはこれを見たとき、
先日訪れた前橋城の土塁を思い出しました。
清水門から清水濠の向こうに高石垣が見えますが、
石垣の向こう側にこの土塁があるのです。
土塁を挟んであるのが
機動隊の宿舎(代官町住宅)です。
この住宅を挟んで皇宮警察と第一機動隊があります。
江戸時代は旗本、戦前は近衛師団、今は機動隊。
その時代に応じた土地利用がなされているのです。
今まで何回も清水濠の向こうから石垣を眺めたことはありましたが、
その内側を歩くのは初めてでした。
江戸城は奧が深いです。
大手門の桝形の空間においてある鯱矛です。
大手門(櫓門)の屋根に実際に載っていたものです
魚のうろこは頭から尾に向かって入っているのですが
お城の鯱のうろこは尾から頭に向かって入っている。
雨が鯱の中に入り込み、鯱が壊れやすくならないようにするためだそうです。
今は首都高速道路の下になっている
雉子橋(竹橋JCTの近く)あたりは
北から多くの兵が江戸城に向かって攻めてくることに備えて
道が狭くなっていたそうです。
一度に通さず足止めをするためです。
北の守りを固める工夫がありました。
江戸城のお濠は半蔵門辺りが標高が高く、その高さを利用して
水を低いところに流しています。
土橋や堤防を設けて、一度に水が流れないように
少しずつ流れるように
水量の調整をしながら流しています。
弘前城ではそのしくみを水戸違いと
いっていました。
しかし、江戸城では
その場所に行っても流れている水を見ることがなかなかできません。
今回は桔梗門と田安門で見ることが出来ました。
数日前にかなりの雨量があったからだと思います。
蛤壕と土橋、桔梗門、桔梗濠に流れる水
千鳥ヶ淵から田安門、土橋を経て牛ヶ淵へ
このように水が壕から壕へ流れている所を見るのは初めてでした。
田安門正面櫓門、桝形の空間、右に高麗門、その奧に靖国神社の大鳥居がかすかに見えます。
この田安門は、江戸城の現存する建物の中で一番古い建物です。
江戸城巡りの一番の最終点は靖国神社の大村益次郎像でした。
大村益次郎は司馬遼太郎の「花神」の主人公村田蔵六です。
医師であり
蘭学を学び
兵法を極めました。
今日行った富士見櫓の上から
上野の山の戦況を見て指揮していたとも言われています。
今日の講師のサイガさんから、
石見(益田)の戦いでは、戦況を緻密に予測し
それに対する兵を配置し
見事に的中させ
勝利を治めたという話が
この像の前でありました。
学びの多い江戸城でした。
同じ城に行っても必ず発見や新しい学びがあるのです。
だから、次回が楽しみなのです。
参考資料