ふうちゃんのお城ブログ

お城巡りについての記録、城郭検定試験の体験談

第51回ふうちゃんのお城ブログ 伊豆の地 韮山城と蛭ヶ小島

2022-05-05 11:53:26 | 城郭検定

鎌倉殿の13人に登場した

頼朝の配流の地と言われる蛭ヶ小島に行きました。

頼朝と政子の銅像がありました。

茶店のご主人から、下のような地図を頂きました。

韮山城への道を尋ねたときに渡されたものです。

目指す韮山城は徒歩圏内です。

この地図を見て、

この地の歴史の奥深さに感動しました。

わたしの教材ウオッチングの視点を活用しますと

平安時代後期の平治の乱から幕末のお台場建設まで、

社会科の教材となりうる可能性のある

歴史的事物・事象(歴史的事実)が

この地図の中に凝縮しているからです。

蛭ヶ小島(平安後期・平治の乱)

政子産湯の井戸(平安後期)

韮山城(室町時代)

堀越公方(室町時代)

願成就院(鎌倉時代)

反射炉(江戸時代幕末)

江川邸(江戸時代)

平安時代後期から江戸時代幕末後期まで

よくこの伊豆の国市の一(いち)地域に揃ったものです。

 

そこで、この地図を手に韮山城に出発しました。

ここ蛭ヶ小島から韮山城の本丸の赤い旗が見えています。

明応2年(1493)7月

第11代将軍足利義澄の足利茶々丸討伐を命じる御教書を手に

伊勢盛時は興国寺城を出発し、

清水湊から船を連ねて

伊豆半島西岸に上陸し

堀越公方の茶々丸を攻撃しました。

そして、伊豆半島の大半を勢力下におきました。。

その拠点(策源地)として

築城したのが韮山城です。

宗瑞は、小田原城を手に入れた後も生涯を通して、

この韮山城を居城としていました。

 

伊東潤の叛鬼には、次のような場面が描かれています。

長尾景春を迎え

宗瑞は立ち上がると明障子を開け放った。

そこからは、北伊豆地方の山々に抱かれる田方平野が見渡せる。

穫り入れを控えた田には、人々の丈ほどもある稲が高く伸び、風が吹くたびに実った稲をぶつけ合い

豊穣の歌を奏でていた。

 

季節は違いますが

本丸から見える景色です

田方平野の水田にはイチゴのビニルハウスが広がっています。

 

静岡県立韮山高等学校が見えます。

ここもお城の中にある学校です。

本丸に向かう三の丸には韮山高校のテニスコートがありました。

宗瑞や景春が目にした光景が

歩きながら目に飛び込んでくるのです。

 

しかし、韮山城でもう一つ挙げておきたいのは

秀吉に攻撃されたとき、3ヶ月間北条氏規の指揮のもと

持ちこたえたことでです。

 

秀吉軍の攻撃で山中城、八王子城は1日で陥落しています。

その中で3ヶ月持ちこたえたことはかなり善戦したと言えるでしょう。

北条家は、

関東各地に散らばる支城群を駆使して長期戦に持ち込み

豊臣軍に厭線気分を

蔓延させることにより、

撤退を促そうと目論んでいました。

(伊東潤 「城を攻める守る」参照)

韮山城は北条氏の目的を達成した数少ない城の一つと言えます。

(2022.4.7訪問)



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぽんぽこり)
2022-05-10 09:12:45
🐸🐸🐸🐸🐸🐸 フォローしましたのでよろしくお願いしますケロケロ これからもたくさんブログをアップします 見に来てくださいね コメントも良かったら入れてくださいゲロゲロ
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Unknown (fuhchan2399)
2022-05-10 19:54:46
ぽんぽこりさん
こちらこそよろしくお願いします。
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Unknown (よっちん)
2022-05-12 08:54:40
私のブログを読者登録いただき
どうもありがとうございます。

拙いブログですが
よろしくお願いします。

応援ぽち
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Unknown (よっちんさん)
2022-05-12 11:12:38
こちらこそよろしくお願い致します。
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