私は子供の頃、母方の祖母の実家は徳川様の旗本で新井
という姓であるとかで、毎年3月3日になると、桜田門
外の変の話をよく聴かされたものでした。
そのご先祖様は前日から江戸城に上がっていて、当日は
大雪の降り積もる中、お駕籠に乗って下城。途中外桜田
藩邸から江戸城に向っておられた伊井直弼大老のお駕籠
ご一行とすれ違ったそうですが、それからまもなく、事
件が起こったので、水戸の浪士17人と薩摩藩の有村次
左衛門たちと、すれ違ったはずですが、何せ、大雪の中
でのことで、蓑、笠の下に厳重な武装をしていたのが全く
解らなかったそうで、帰宅して直ぐに知らせを受けて
驚いたということでした。
幕府は、水戸藩とのことを考慮して、伊井大老が急病に
なられて、大老職を辞されると公表したので、事件の直
後、現場を通って、登城されて,血痕で真っ赤に染まった
雪の状態をよく知っていた各藩も、急病のお見舞いとして、
大量の漢方薬や、朝鮮人参などを贈ったり、また伊井様の
関係者は平癒祈願までしたそうです。
当日は午後から日が照って、赤く染まった雪解けの事件現場
に多くの見物人が集まったとか。
(つづく)
という姓であるとかで、毎年3月3日になると、桜田門
外の変の話をよく聴かされたものでした。
そのご先祖様は前日から江戸城に上がっていて、当日は
大雪の降り積もる中、お駕籠に乗って下城。途中外桜田
藩邸から江戸城に向っておられた伊井直弼大老のお駕籠
ご一行とすれ違ったそうですが、それからまもなく、事
件が起こったので、水戸の浪士17人と薩摩藩の有村次
左衛門たちと、すれ違ったはずですが、何せ、大雪の中
でのことで、蓑、笠の下に厳重な武装をしていたのが全く
解らなかったそうで、帰宅して直ぐに知らせを受けて
驚いたということでした。
幕府は、水戸藩とのことを考慮して、伊井大老が急病に
なられて、大老職を辞されると公表したので、事件の直
後、現場を通って、登城されて,血痕で真っ赤に染まった
雪の状態をよく知っていた各藩も、急病のお見舞いとして、
大量の漢方薬や、朝鮮人参などを贈ったり、また伊井様の
関係者は平癒祈願までしたそうです。
当日は午後から日が照って、赤く染まった雪解けの事件現場
に多くの見物人が集まったとか。
(つづく)