スターリンが対日参戦の意志を米国に伝えたのは43年10月の米英ソ外相会談。翌11月のテヘラン会談では、見返りとして日露戦争に敗れポーツマス条約で失った南樺太や大連の租借権など帝政ロシアの領土・権益を要求した。
しかし、日独の敗色が濃厚となった44年12月には、日露戦争の“損失”ではない千島列島も南樺太と合わせて要求。ヤルタではルーズベルトとの合意内容を文書化することを提案した。ソ連が作成したその草案が、今回英国立公文書館で見つかった極秘文書だ。
スターリンはその中で、日露戦争で日本が譲り受けた南樺太はソ連に「返還される」とし、一貫して日本領だった千島列島は「引き渡される」とした。旧ロシア領ではない千島列島の割譲が大西洋憲章やカイロ宣言で禁じた領土拡大に該当する-との議論を自ら懸念していたのだろう。書き分けた文面には、深謀遠慮を施した形跡がうかがえる
産経新聞
1945年2月に米英ソ3巨頭がヤルタで会談し、ソ連の対日参戦と引き換えに日本領の南樺太と千島列島を割譲するなどの密約を交わしてから72年。今日までロシアが北方四島領有の根拠とするが、英国立公文書館で本紙が発見した極秘文書などを読み解くと、謀略や駆け引きが繰り広げられた舞台裏が浮き上がる。
(ロンドン 岡部伸)
グロムイコ駐米ソ連大使の回想録によると、ルーズベルトは会談前、南樺太と千島列島をソ連領とすることに同意する覚書をスターリンに送っていたのだ。

マレーシア警察は22日の記者会見で、追跡中の北朝鮮国籍の男3人のうち、ヒョン書記官と北朝鮮国営・高麗航空のキム・ウキル職員(37)の2人の身元を明らかにし、国家ぐるみの犯行の可能性が濃厚になっている。2人を重要参考人としたが、具体的な役割は説明しなかった。
文部科学省は2月14日、次期学習指導要領の改訂案を公表した。その中に、国民として決して看過できない問題がある。日本史上重要な人物で、日本国家自立の精神的よりどころとなった聖徳太子の名を歴史教育から抹殺し、「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換える案が含まれているのである
聖徳太子(574~622)は、冠位十二階と十七条憲法によって国家の仕組みを整備し、天皇を中心とする国づくりへ前進させた指導者だった。中国大陸との外交では、「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言で知られる自立外交を展開し、日本が支那の皇帝に服属する華夷秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家として発展する理念を示した。
聖徳太子抹殺の影響は古代史のみにとどまらない。明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ。
聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である
拓殖大学客員教授・藤岡信勝