6年前の3月11日、異常な大揺れの後も余震が続く中、先行きの不安を抱きながら、ろうそくの灯りだけで過ごした夜。
後日、停電から復旧して照明が点いた時、思わず
「万歳」と声を上げて喜んだっけ。
灯りが、これほど人をほっとさせるものだとは。
ありがたみを実感した瞬間だった。
1879年の10月21日、白熱電球の40時間点灯に成功。
それは、エジソンによって開発された電球だ。
以来、日本でもその技術が取り入れられ、国産の電球が製造された。
これを称えて、「あかりの日」という記念日が制定された。
(参考資料:一般社団法人照明学会「あかりの日」)
東京都池之端にある旧岩崎邸には、「マツダの電球」が展示されている。
この「マツダの電球」は、明治の文明開化によって西洋から取り入れた技術が、日本で改良や発明が加えられて発展し、製造された電球だ。
まず、1890年に、白熱舎という電球製造会社が設立された。
後に「東京電気」と改名し、1939年(昭和14年)に芝浦製作所と東京電気が合併して「東京芝浦電気」となる。これが1984年に「東芝」と改称したのである。
「マツダ」の商標を初めて使ったのは、白熱舎の頃、1913年のタングステン電球の発売からだという。
戦時中に使用が控えられたが、終戦して復活したものの、1960年代には東芝ランプに改称された。
(参考:東芝ライテック株式会社「近代あかりの歴史と共に」/東芝「東芝の標章の歴史」)
旧岩崎邸にあったものは、1913年以降、1960年代に改称されるまでの間に生産されたものということになる。
長い間、発見されるまで屋根裏に眠っていた「マツダの電球」は、まさに「近代あかりの歴史」の象徴だ。
その後、電球に代わって蛍光灯が主流になり、現在は、急速にLEDが普及してきている。
ちなみに、我が家の照明もLEDだ。
こうして「あかり」は、発達しながら歴史を刻むのであった。