ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

今日はあかりの日

2017-10-21 16:56:20 | 今昔あれこれ

6年前の3月11日、異常な大揺れの後も余震が続く中、先行きの不安を抱きながら、ろうそくの灯りだけで過ごした夜。

 

後日、停電から復旧して照明が点いた時、思わず

「万歳」と声を上げて喜んだっけ。

 

灯りが、これほど人をほっとさせるものだとは。

ありがたみを実感した瞬間だった。

 


1879年の10月21日、白熱電球の40時間点灯に成功。

それは、エジソンによって開発された電球だ。

以来、日本でもその技術が取り入れられ、国産の電球が製造された。

 

これを称えて、「あかりの日」という記念日が制定された。

(参考資料:一般社団法人照明学会「あかりの日」)



東京都池之端にある旧岩崎邸には、「マツダの電球」が展示されている。

この「マツダの電球」は、明治の文明開化によって西洋から取り入れた技術が、日本で改良や発明が加えられて発展し、製造された電球だ。


まず、1890年に、白熱舎という電球製造会社が設立された。

後に「東京電気」と改名し、1939年(昭和14年)に芝浦製作所と東京電気が合併して「東京芝浦電気」となる。これが1984年に「東芝」と改称したのである。


「マツダ」の商標を初めて使ったのは、白熱舎の頃、1913年のタングステン電球の発売からだという。

戦時中に使用が控えられたが、終戦して復活したものの、1960年代には東芝ランプに改称された。


(参考:東芝ライテック株式会社「近代あかりの歴史と共に」/東芝「東芝の標章の歴史」)



旧岩崎邸にあったものは、1913年以降、1960年代に改称されるまでの間に生産されたものということになる。

長い間、発見されるまで屋根裏に眠っていた「マツダの電球」は、まさに「近代あかりの歴史」の象徴だ。

 

その後、電球に代わって蛍光灯が主流になり、現在は、急速にLEDが普及してきている。

ちなみに、我が家の照明もLEDだ。


こうして「あかり」は、発達しながら歴史を刻むのであった。


今日は頭髪の日

2017-10-20 19:58:12 | 今昔あれこれ
昔、うさぎを飼っていたが、うさぎは毛の生え変わりが実に顕著な動物だ。
生え変わりの時に、ごっそり筆のように抜けるのにはびっくりした。
 
季節によって抜け毛が増えるのは、なんと、人も同じだという。
人も、秋には抜け毛が増えるのだそう。
 
(参考資料:公益社団法人日本毛髪科学協会)
 

10月は「毛髪衛生月間」で、10月20日は「頭髪の日」とのこと。
日本毛髪科学協会が1977年に制定。
日本毛髪科学協会は1966年に設立され、50年の歴史を持つ。


 
ところで、震災時に「リンスインシャンプー」は重宝した。

 
「リンスインシャンプー」(造語:英語では「two-in-one shampoo」と言う)は、1988年頃から発売されているが、日本で最初の開発は資生堂の「リンプー」だという。

(参考資料:資生堂グループ「化粧品技術の歩み」)

 
洗浄成分と保湿保護成分と、性質の違う成分が配合されており、先に洗浄して時間差で保護成分が作用するようにする技術は素晴らしいと思う。
 


震災で止まった都市ガスの復旧には、他所からの応援が総力を挙げても1月近くかかった。
また、排水処理施設も簡易復旧の状態がしばらく続くので、市民は節水を心掛ける必要があった。
 
そうした中、手早く洗髪できるリンスインシャンプーは、本当に便利で役に立ったのである。
今後は一層、頭皮や毛髪にも、環境にも良いリンスインシャンプーが出来たら、嬉しく思う。

閖上たこやき:2017年7月13日の記録

2017-10-16 19:35:09 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

穏やかな閖上の港町

そこで生まれた一風変わったたこやき

大きな団子みたいなたこやき

(本来はソースのみだが、この日は当世風にマヨネーズつき。

大粒を3つ串にさし、特製ソースの中に入れて絡めるのが特徴。

甘辛いソースと柔らかくも弾力のある食感、具材の味が調和し、一見素朴だが巧みな品。)

 


長らく作られてきたけれど

あの日波にもっていかれて

思い出だけが残った

 

波に消えてもう戻らないけれど

人々が慣れ親しんだ店

人々が好きだった味

 

だからみんなで思い出辿って

もう一度作り上げた

新しいけれど昔の味

 

閖上たこやきは、日和山(湊神社)向かい側にあった店で、橋浦きよさんが作っていた。

津波の犠牲になり、その味も途絶えた。

 

だが、人々の思い出のたこやきを、もう一度みんなで食べよう、閖上のことを様々な人々に知ってもらおうと、有志が閖上たこやきの再現へと動き出した。

 

きよさんの作った味を知る人々が、味の記憶を出し合って、あれこれ試しては作り直し、ようやくあの味に近づいた。

 

閖上たこやきの復活が素晴らしいのは、不安や悲しみの中で、みんなが力を出し合って何かを成し遂げたからである。

 

きっといつか、こうした経験が励みになったことに、様々な人が気づくだろう。

 


生まれ変わる被災地:閖上2017年7月13日の記録

2017-10-16 19:20:40 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

(2017年7月13日:県道129号線西から港方面へ・旧消防庁舎閖上出張所手前)

 

ようやくここまで進んだ、閖上の再生整備。

まだ、古墳のような盛土地帯も更地もあるのだが、

空き地だらけだった場所に、集合住宅や戸建てが見えるようになった。

 

(閖上港付近・河川堤防上から西方向)

 

 

道路も新しくなり、以前は無かった坂道が出来ている。

これは、その坂の高さの分だけ嵩上げされたということ。

(港方面から西へ・旧消防庁舎閖上出張所の前)
 

 

ただし、女川や南三陸町と違って、商店の整備は遅い。

 

港周辺には、生産加工場や朝市協同組合の販売所などは既に出来ている。

(閖上港周辺)

 

だが、商店を営む人々は、未だに仮設の「さいかい市場」のまま。

 

商工会と協同組合と、同じ閖上でも組織が違うことが、足並みに影響しているようだ。

 

 

 

津波を目の当たりにして、命からがら逃げた住民の心中には、複雑な思いもあるが、現地再建という形で再生整備は進められてきた。

 

 

今までも、これからも、ずっと閖上で暮らす人たちは、相手を慮って言葉を飲み込み、成り行きを見守っている。

 

本当は、言葉を拾い上げながら、うまく仲立ちをしつつ進められるといいのだが。

 

 

それでも、いつも我々を明るく迎え入れてくれる「閖上さいかい市場」の人々。

「みんな、頑張ってくれているんだけれどね。」と、不安や焦りを引っ込めて、笑顔で温かな言葉を交わす。

 

 

まだ続く辛抱の日々。

だが、笑顔でたゆまず日々努め、生まれ変わりつつある町を見つめている。

(2017年7月13日:慰霊碑と芽生えの塔付近)


見回りの 猫も見守る 閖上港:2014年3月18日の記録

2017-10-16 10:14:22 | 東北被災地の歩み:名取・岩沼

港から、ゆうゆうと道を横切る猫一匹。(2014年3月)

まず、今日も何ともねぇよだな。
どれ、何かもらってくっかな。

 

猫の見つめる先は日和山。

海を見守るため、大正期に作られたという築山だ。

今は慰霊の場所でもある。

(2014年3月↓)

 

かつては、市場、工場、店、住宅が立ち並んでいた。
平坦で穏やかな港町。

(2008年4月:商店街↓)


(2010年1月:かつての漁港周辺・マルヤ水産の辺り↓)


(2008年4月:かつての閖上漁港と魚市場↓)


震災から3年、津波の後の更地だらけ。(2014年3月↓)



だけど、しぶとく生きる輝きだってある。
岸壁をなおす工事の傍ら、漁港には船が増えた。


寂しい空気と、力強い空気が入り混じる。