「量は質に転化する」・・・作家の今野敏氏が漫画家の石ノ森章太郎氏より教えられた言葉だそうだ。
質の高さを追求し、じっくり作品に取り組んで少ない結果を出すのでは、力がつかない。
たくさんの作品をとにかく描き上げることで、より良い作品が生まれ、作家にも力がつくというのだ。
もし、寡作な作家であっても、素晴らしい作家は、世に出さない作品を山のように書いているはずだと、今野氏は言う。
更に、それぞれ書いた物は、必ず完結させなければならない。と、今野氏は言う。
彼は、琉球空手をされる。
空手の稽古はまさに書くことと通じているそうだ。
弓道も同じだと思う。
矢数を掛ける。そしてその一射一射、残身(心)弓倒しまで完結させる。
そうやって稽古しているうちに、きっと「量は質に転化する」のだ。
また、書き殴るように書いたとしても、プロならば一定の水準を保てなければならない。とも、今野氏は言う。
弓道で言うところの「真行草」と同じではないか?
最初は正しいことをなぞるように一生懸命稽古する。
そのうち、行書のように自然と運筆が見え、
草書のように崩れているようでも、基本の上に成り立っているのだ。
「質より量」とは、本来、「量は質に転化する」という意味合いが強い言葉ではないだろうか?
ただ量さえ多ければいいというのは、若い頃の食事か酒くらいかも知れないと、改めて思った。
質の高さを追求し、じっくり作品に取り組んで少ない結果を出すのでは、力がつかない。
たくさんの作品をとにかく描き上げることで、より良い作品が生まれ、作家にも力がつくというのだ。
もし、寡作な作家であっても、素晴らしい作家は、世に出さない作品を山のように書いているはずだと、今野氏は言う。
更に、それぞれ書いた物は、必ず完結させなければならない。と、今野氏は言う。
彼は、琉球空手をされる。
空手の稽古はまさに書くことと通じているそうだ。
弓道も同じだと思う。
矢数を掛ける。そしてその一射一射、残身(心)弓倒しまで完結させる。
そうやって稽古しているうちに、きっと「量は質に転化する」のだ。
また、書き殴るように書いたとしても、プロならば一定の水準を保てなければならない。とも、今野氏は言う。
弓道で言うところの「真行草」と同じではないか?
最初は正しいことをなぞるように一生懸命稽古する。
そのうち、行書のように自然と運筆が見え、
草書のように崩れているようでも、基本の上に成り立っているのだ。
「質より量」とは、本来、「量は質に転化する」という意味合いが強い言葉ではないだろうか?
ただ量さえ多ければいいというのは、若い頃の食事か酒くらいかも知れないと、改めて思った。
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