この霊山寺は敏達天皇の頃、右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)を主とする小野家の領有でした。
ですが小野富人は壬申の乱に関与したため、官を辞し、この地に蟄居したとか。
そして万葉の頃、
752年の奈良の大仏開眼の大仏さまの眼を入れるのは唐の高僧鑑真の手になるはずでしたが
和上の入国が遅れたためインドバラモン僧、菩提僊那が筆を執りました。
その菩提僊那の墓がこの寺にあります。
本堂には菩提僊那の像もありますがそれは残念ですが撮影できません。
そして敷地内には聖武天皇や光明皇后も入浴したといわれる薬師湯があります。
私はまだ入っていませんので また来なくてはならないようです。
一度私も絶対行ってみたい。ここをゆっくり歩いてみたい。
長い歴史を感じてみたいと、そう思います。
広い敷地には地獄の様子を表した地獄洞や三重塔もあります。