僕がフォークソングと出会ったのは小学2年の時
いとこの車の中で聞いた井上陽水の「氷の世界」だった。
意味などわからないけど、思えば真剣に音楽に触れた
最初の事だったので、スポンジの様に陽水の歌を耳で吸収していた。
でも、陽水には入り口をもらっただけで、感謝はしていない。
友人の山崎君の家でそこのお姉さんが聞いていた、
吉田拓郎の「明日に向かって走れ」今でもハッキリ覚えている。
夕方ドタドタ帰ってきたお姉さんが、ハマ楽器の袋から
「明日に向かって走れ」を出してきて、僕らが遊んでいた
リビングでかけた。
『どうしてこんなに悲しいんだろう』を聴いた。
その時が拓郎との始まりだった。
名曲です。おそらく拓郎本人も気に入っている曲と思われ、
なんどもアレンジをいじっては録音しなおしています。
その後、中学生のときに国語の先生から
「『悲しい』ということを『悲しい』と書いてしまうと詩ではない。
詩とは別の言葉を使って感情を表現するものだ」と教えられました。
これって杓子定規な話ですよねぇ。
この曲のしょっぱな、「♪悲しいだろう♪」このストレートな表現。
それでいて全体として詞としてだけでなく詩としての重みを
立派に持っていると思いませんか?
あと100日程で嬬恋です。
30年前から今まで、一度も言ってませんが
このブログではたくさん書いてありますが
吉田拓郎に感謝です。
いとこの車の中で聞いた井上陽水の「氷の世界」だった。
意味などわからないけど、思えば真剣に音楽に触れた
最初の事だったので、スポンジの様に陽水の歌を耳で吸収していた。
でも、陽水には入り口をもらっただけで、感謝はしていない。
友人の山崎君の家でそこのお姉さんが聞いていた、
吉田拓郎の「明日に向かって走れ」今でもハッキリ覚えている。
夕方ドタドタ帰ってきたお姉さんが、ハマ楽器の袋から
「明日に向かって走れ」を出してきて、僕らが遊んでいた
リビングでかけた。
『どうしてこんなに悲しいんだろう』を聴いた。
その時が拓郎との始まりだった。
名曲です。おそらく拓郎本人も気に入っている曲と思われ、
なんどもアレンジをいじっては録音しなおしています。
その後、中学生のときに国語の先生から
「『悲しい』ということを『悲しい』と書いてしまうと詩ではない。
詩とは別の言葉を使って感情を表現するものだ」と教えられました。
これって杓子定規な話ですよねぇ。
この曲のしょっぱな、「♪悲しいだろう♪」このストレートな表現。
それでいて全体として詞としてだけでなく詩としての重みを
立派に持っていると思いませんか?
あと100日程で嬬恋です。
30年前から今まで、一度も言ってませんが
このブログではたくさん書いてありますが
吉田拓郎に感謝です。