「まずは報告が出来るようになること」
僕が小僧の頃の上司は、
僕に徹底的に私的感情を抜いて
先方の状況、所作、言質を報告させた。
彼は、僕の感情のはいった報告を注意深く排除し、
先方のアクションを僕から見極めようとした。
僕が少しづつ、自分の枠を捨てて
脚色を加えず、自己判断をしなくなった頃
から、だんだん彼の要求は高くなってくる。
「より正確に、相手が何をしたか報告せよ。」
これだけのことが出来るようになるのに、
1年以上の月日を要した。
逆の言い方をすると、
これさえ出来ないようでは
その人はビジネスの現場に
出せないということでもある。
このクライアントとは、その後、
数千数万単位の仕事をやったのち、
打ち合わせなどですべてを書面化していた
にもかかわらず、思い込みで
ツールの効果にクレームをつけてきた。
やったことがない仕事を覚えようというのに、
すぐ自分の常識で「余分な言葉」が出て、
使わなくてもいいところに気を使い、
クライアントばかりをフォローし、
かと思えば、先方がやってほしいことに
対してのタイムリーなアイデアは出てこない。
とはいえ、この体験はとても大きな経験だった。
この仕事で「営業力」は必須だ。
が、同時に、「相手を稼がせてなんぼ」なのだ。
そのためのアイデアが豊富でなければ
ビジネスとしてのクリエイティブは成立しない。
常にトラブルと紙一重になる。
この時は、たまたま上司の営業処理能力を
学ぶ場になったが、自分に不足している部分を
痛感する場になった。
仲間達の厳しい教導のおかげで
僕は自分の判断の殻をいくつか破ることを
意外な短時間の内にクリアすることになる。
3年程、この特訓は続くのだが、
その後にいろいろな会社を回った時に
自分が以前と違う耳になっていることに気付く。
自分を排除して報告する。
あるいは、正確にそのシチュエーションを
誰かに伝えようとし続けることで、
実は「耳」が聞き分ける情報が
まるで変わっていたのだ。
僕が小僧の頃の上司は、
僕に徹底的に私的感情を抜いて
先方の状況、所作、言質を報告させた。
彼は、僕の感情のはいった報告を注意深く排除し、
先方のアクションを僕から見極めようとした。
僕が少しづつ、自分の枠を捨てて
脚色を加えず、自己判断をしなくなった頃
から、だんだん彼の要求は高くなってくる。
「より正確に、相手が何をしたか報告せよ。」
これだけのことが出来るようになるのに、
1年以上の月日を要した。
逆の言い方をすると、
これさえ出来ないようでは
その人はビジネスの現場に
出せないということでもある。
このクライアントとは、その後、
数千数万単位の仕事をやったのち、
打ち合わせなどですべてを書面化していた
にもかかわらず、思い込みで
ツールの効果にクレームをつけてきた。
やったことがない仕事を覚えようというのに、
すぐ自分の常識で「余分な言葉」が出て、
使わなくてもいいところに気を使い、
クライアントばかりをフォローし、
かと思えば、先方がやってほしいことに
対してのタイムリーなアイデアは出てこない。
とはいえ、この体験はとても大きな経験だった。
この仕事で「営業力」は必須だ。
が、同時に、「相手を稼がせてなんぼ」なのだ。
そのためのアイデアが豊富でなければ
ビジネスとしてのクリエイティブは成立しない。
常にトラブルと紙一重になる。
この時は、たまたま上司の営業処理能力を
学ぶ場になったが、自分に不足している部分を
痛感する場になった。
仲間達の厳しい教導のおかげで
僕は自分の判断の殻をいくつか破ることを
意外な短時間の内にクリアすることになる。
3年程、この特訓は続くのだが、
その後にいろいろな会社を回った時に
自分が以前と違う耳になっていることに気付く。
自分を排除して報告する。
あるいは、正確にそのシチュエーションを
誰かに伝えようとし続けることで、
実は「耳」が聞き分ける情報が
まるで変わっていたのだ。