彼の唄に感化されたのが高校2年生の時。
あれから早いもので25年。
時間の経過と共に、剛の唄たちがだんだんと色褪せていく…。
すがるもののないガラス細工のような純朴少年から、
20歳を過ぎ、恋愛ゲームを楽しみ、女を抱けば抱くほど汚れてく中で、
純粋だった時代をふと振り返る時に
必ずといって良いほど彼の唄たちが脳裏を横切るのである。
悲しいかな、大人になるというコトは汚れるコトなのだ。
人を愛せば愛するほど、心も体も欲するのは当然の流れであって、
そのなんとも言えない、ドロドロ感とでもいうのかな、
良くも悪くも大人を感じる瞬間だったりもする。
一時期剛もそういう唄を歌っていた。
高校生の頃、さっぱりわからなかった歌詞の意味も
歳をとるたびにわかってくる、その時の剛の想い。
いやらしいんじゃない。むしろ正常な心境だよ。欲するってコトはね。
そんな中で俺の東京社会人生活も
来年18年目に入り、東京のド真ん中で日々生活を続けている。
綺麗なねぇちゃん達が闊歩する街で俺はいつも思う。
「東京のバカヤロー」って。
コツコツとアスファルトに刻む
足音を踏みしめるたびに
俺は俺で在り続けたい
そう願った
裏腹な心たちが見えて
やりきれない夜を数え
逃れられない闇の中で
今日も眠ったふりをする
死にたいくらいに憧れた
花の都“大東京”
薄っぺらのボストン・バック
北へ北へ向かった
ざらついたにがい砂を噛むと
ねじふせられた正直さが
今ごろになってやけに 骨身にしみる
ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどこへ飛んで行く
ああ しあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ
「とんぼ」詩・唄:長渕剛(1988)
あれから早いもので25年。
時間の経過と共に、剛の唄たちがだんだんと色褪せていく…。
すがるもののないガラス細工のような純朴少年から、
20歳を過ぎ、恋愛ゲームを楽しみ、女を抱けば抱くほど汚れてく中で、
純粋だった時代をふと振り返る時に
必ずといって良いほど彼の唄たちが脳裏を横切るのである。
悲しいかな、大人になるというコトは汚れるコトなのだ。
人を愛せば愛するほど、心も体も欲するのは当然の流れであって、
そのなんとも言えない、ドロドロ感とでもいうのかな、
良くも悪くも大人を感じる瞬間だったりもする。
一時期剛もそういう唄を歌っていた。
高校生の頃、さっぱりわからなかった歌詞の意味も
歳をとるたびにわかってくる、その時の剛の想い。
いやらしいんじゃない。むしろ正常な心境だよ。欲するってコトはね。
そんな中で俺の東京社会人生活も
来年18年目に入り、東京のド真ん中で日々生活を続けている。
綺麗なねぇちゃん達が闊歩する街で俺はいつも思う。
「東京のバカヤロー」って。
コツコツとアスファルトに刻む
足音を踏みしめるたびに
俺は俺で在り続けたい
そう願った
裏腹な心たちが見えて
やりきれない夜を数え
逃れられない闇の中で
今日も眠ったふりをする
死にたいくらいに憧れた
花の都“大東京”
薄っぺらのボストン・バック
北へ北へ向かった
ざらついたにがい砂を噛むと
ねじふせられた正直さが
今ごろになってやけに 骨身にしみる
ああ しあわせのとんぼよ どこへ
お前はどこへ飛んで行く
ああ しあわせのとんぼが ほら
舌を出して 笑ってらあ
「とんぼ」詩・唄:長渕剛(1988)