03/21 一日中 月曜日 東北では・お彼岸どころでは、なかっただろうなんて思いながら、東京の雨空の下から発信です。
・・・昼間に少し、電気箱のスイッチを入れてみたが、徐々にワイドショー・などの、もてあそびの、番組が出てきた。ようだ。
・・相変わらず、 ACっ!!・・・の声は消え(視聴者・聴視者からのクレームで消えたらしい)・・オシム & 仁科明子/親子 & こころは・見えないけれど・・・スポンサー付かず、一辺倒には飽きたが!!(^3^)
一日中・活字 & ラジオ & 整理整頓・・・に、明け暮れた日だった。
行政・政府の・・・対策の遅れが極めて遅い事に、驚きの日でもあった。
被災者の・・・点と線が結びついていかず・・只・時が過ぎるばかりだ。
行政の町がなくなっている・・・次の一手・それ以前の問題だが、前に進まない・進んでいない!!
脳死状態の・・・内閣・政権は、点と点を結び、いち早く線を引き、面を創っていかなければ、被災者は只・只・・・立ち往生をするだけだ。
バカの一つ覚えの、原発の会見・パフォーマンスのヘリコプター乗りを、控えろ!!
・・・前進をせねば・・・!!
風呂の上がり場にあてた格子の間を俄かごしらえの座敷にし、金屏風などをたてまわし、昼客の背を流した湯女は美服に着替え、化粧し、ここで三味線などを弾き、小唄などを歌った。
銭湯は・・・あの空間がたまらない!! 当分内風呂は・入りたくない。
当初は垢すりや髪すきのサービスだけだったが、次第に飲食や音曲に加え売春をするようになったため、幕府はしばしば禁止令を発令し、江戸では明暦3年(1657年)以降吉原遊郭のみに限定された。
禁止後は、三助と呼ばれる男性が垢すりや髪すきのサービスを行うようになり、現代に至る。
寛永20年(1643年)の『色音論』(しきおんろん、別名『志きをんろん』・『あづまめぐり』)内に「江戸時代寛永中盛んなりし」とある風呂屋女は、「お風呂を召しませ」、「お背中流しませう」などといい、かゆいところに手が届くサービスが喜ばれ、流行し、模倣され、江戸をはじめとし諸国で湯女が流行した。
湯女は制限されたので、江戸では別に、「風呂女」という名称を立て、表向きは職分を分け、湯女と同じく売春した。明暦3年にこれは幕府によって禁じられた。江戸では、元禄16年の地震大火ののち、風呂屋の営業内容が一変し、純粋な銭湯が行なわれたが、上方ではなおも風呂女の売春が続いた。
なんどきでも・・!! 江戸では、元禄16年の地震大火ののち。。。
今日の外出は・・・湯女がいない、銭湯に行っただけだった。
・・・昼間に少し、電気箱のスイッチを入れてみたが、徐々にワイドショー・などの、もてあそびの、番組が出てきた。ようだ。
・・相変わらず、 ACっ!!・・・の声は消え(視聴者・聴視者からのクレームで消えたらしい)・・オシム & 仁科明子/親子 & こころは・見えないけれど・・・スポンサー付かず、一辺倒には飽きたが!!(^3^)
一日中・活字 & ラジオ & 整理整頓・・・に、明け暮れた日だった。
行政・政府の・・・対策の遅れが極めて遅い事に、驚きの日でもあった。
被災者の・・・点と線が結びついていかず・・只・時が過ぎるばかりだ。
行政の町がなくなっている・・・次の一手・それ以前の問題だが、前に進まない・進んでいない!!
脳死状態の・・・内閣・政権は、点と点を結び、いち早く線を引き、面を創っていかなければ、被災者は只・只・・・立ち往生をするだけだ。
バカの一つ覚えの、原発の会見・パフォーマンスのヘリコプター乗りを、控えろ!!
・・・前進をせねば・・・!!
風呂の上がり場にあてた格子の間を俄かごしらえの座敷にし、金屏風などをたてまわし、昼客の背を流した湯女は美服に着替え、化粧し、ここで三味線などを弾き、小唄などを歌った。
銭湯は・・・あの空間がたまらない!! 当分内風呂は・入りたくない。
当初は垢すりや髪すきのサービスだけだったが、次第に飲食や音曲に加え売春をするようになったため、幕府はしばしば禁止令を発令し、江戸では明暦3年(1657年)以降吉原遊郭のみに限定された。
禁止後は、三助と呼ばれる男性が垢すりや髪すきのサービスを行うようになり、現代に至る。
寛永20年(1643年)の『色音論』(しきおんろん、別名『志きをんろん』・『あづまめぐり』)内に「江戸時代寛永中盛んなりし」とある風呂屋女は、「お風呂を召しませ」、「お背中流しませう」などといい、かゆいところに手が届くサービスが喜ばれ、流行し、模倣され、江戸をはじめとし諸国で湯女が流行した。
湯女は制限されたので、江戸では別に、「風呂女」という名称を立て、表向きは職分を分け、湯女と同じく売春した。明暦3年にこれは幕府によって禁じられた。江戸では、元禄16年の地震大火ののち、風呂屋の営業内容が一変し、純粋な銭湯が行なわれたが、上方ではなおも風呂女の売春が続いた。
なんどきでも・・!! 江戸では、元禄16年の地震大火ののち。。。
今日の外出は・・・湯女がいない、銭湯に行っただけだった。