09/18 日曜日 ・・・九州や西日本の方には・・怒られてしまうが!! 情緒の秋雨がしっとりと。。。いい感じの雨の臭いが香る。。東京から発信です。
こんな日は・・・ポンチョにレイニーハットで。。里山や雑木林を歩きたい。 吾輩の大好きな行為であり、たき火も大好きな行為。。
これは、日本一短い手紙として有名な一文で、現代の手紙の指導書などでは実用書の手本として用いられている。
実はこれ、ある戦国武将が戦場から、妻へ送った手紙の文面なのですが、その意味は以下の通り。
また、家康がまだ若かりし頃は、天野康景、高力清長、といった者達と、この本多重次で、徳川三奉行と称されていた中の一人でした。この三奉行らは ◎優しく面倒見の良い、高力清長。 ◎頑固一徹な、本多重次(作左衛門)。
◎この二人の意見の間をとりなす、天野康景。
といった、非常にバランスの良い関係で成り立っていました。そんなことから、上手く荒くれ者の三河衆をまとめる事が出来ていて 『仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛』 なんていう呼ばれ方を、部下の三河武士達からされていたのです。 そんな鬼作左こと本多重次ですが、どういった経緯でこの
『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』
という手紙が書かれたかというと、織田信長と徳川家康の連合軍が、武田家を滅ぼしたことで有名な、長篠の戦に参戦していた際の陣中より、妻宛てに書かれたものなのです。
『鬼作左』の異名通り、戦場では常に自らの討ち死にを考えていた本多重次ですが、だからこそ、妻と子の事も真剣に考えていたようで、こういった手紙を戦場から送っていた。
文章の始めに
『一筆啓上』
とありますが、これは、一筆(手紙)を啓上(差し上げます)という意味ですから、送り主の妻を立てた、敬う気持ちが込められています。
その後に続く
『火の用心』
は、読んだそのままの意味ですが、この時代は建物は木造ですから、火事になると近隣の一帯が全て消失する事も珍しく無く、大変重要な事でした。
『お仙泣かすな』
これは彼の息子の名が、仙千代でしたから、子供を大切にしろという意味ですね。
『馬肥やせ』
これは、馬の手入れを頼むという事で、戦国時代は馬が貴重でしたから、大事な物は大切にしろ。との意味でもあります。
一筆啓上であった。一筆を啓上しながら。。。絶品の逸品を。。(^◇^)