『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

教育ママゴン脱出作戦 ②

2013年04月27日 | 学ぶ

見つめるべきは「子どもの目」、向き合うべきは「子どもの姿」
 教育ママゴン脱出作戦第二回です。ぜひ子育ての参考にしてください。教育ママゴンの堅い殻を脱ぎ捨てましょう
 「子育て」でたいせつなのは、一面的で一方的な「情報」ではありません。子どもを育てるのは人間です。血の通った父であり、母です。日々子どもと向かい合う親です。親と子の交流です

 頼りになるのは「子どもを見つめる自らの目」と「心の余裕」です。「他人の情報ではなく、自ら子どもと正しく向き合い手に入れる情報」です。
 「IT利用で最新の成績報告を受信して・・・というのが信頼できる最高の指導・・・」。実は、そういう感覚こそ脱却しなければならない「トラウマ」であることに気づく人たちが増えることを願ってやみません。
 偏差値や月間・週間順位などの数値だけを信奉する中途半端な似非科学志向が素晴らしい子どもを育てるのではありません。一時的な情報に惑わされ、振り回されている間に「失なわれていくもの」がどんどん増えていきます。

 それは、「自らの心で子どもを見る目」であり、「親子で一緒に過ごす時間」であり、「子どもをきちんと見ることができているという安心感」です。
 すべて失われていきます
 古来から最新・最高の子育て法は「子どもにちゃんと向き合うこと」です。「機械的!惰性的」に進んでいく「子育て」の日々に、「愛という『くさび』を打ち込める」唯一の方法です。血が通う究極の養育法です。

 質問ー益川さんは、「人間の能力には大きな差があるとは思えない」とおっしゃっていますが、ご自分のことを「天才」と思うようなことはないですか?

 益川 絶対に、そんなことは思いません。ふつう、ちょっと良くできる人を「天才」といういい方 をしますが、ぼくの考える天才はかなり狭くて、どこかで常軌を逸したところがないと天才ではないと考えています。だから、ぼくの考える「天才」は、ほとんどいません。たとえば、大変尊敬 している南部陽一郎先生(二〇〇八年、益川さんと同時にノーベル物理学賞受賞)も、ぼくが考える「天才」では)ありません。じゃあ、益川が考える天才は誰だといわれたら、たとえばアメ リカのファインマン(一九六五年、朝永振一郎らとノーベル物理学賞受賞)は天才だと思う。凡人とは発想法が違うんですね・・・。 

(「益川博士のロマンあふれる特別授業」益川敏英著 朝日学生新聞社)

 

 素晴らしい能力の持ち主であるはずのノーベル賞学者の多くを天才とは認めない益川氏が天才だと認めるファインマン。彼を育てたのは、受験情報や受験塾・有名な先生たちの指導ではなく、セールスマンだった父です
 同じく天才エジソンを育てたのは頭の固い学校の先生ではなく、お母さんです。天才に育つ基盤を培ったのは、子どもにきちんと向き合ったお父さん・お母さんの「アナログ指導」です。

 お父さん・お母さんは「成績管理のアイパッド」を手にしていたわけではなく、「子育て仲間」もいませんでした。二人が備えていたのは「子どもをしっかり見つめる目」と「先を見通す冷静さ」、そしてあふれんばかりの愛情でした。
 ファインマンのお父さんは、週末になると避暑地で林の中に入って、自然界のさまざまなおもしろいできごとを話しました。やはり避暑に来ている家族の母親たちがそれを見て、同じように息子たちを林に連れ出すよう父親連中をさかんに説得しますがうまくいきません。そこで仕方なく、ファインマンのお父さんに「一緒に連れていってくれ」と頼みますが、きっぱり断られます。
 お父さんは二人だけで森に入り、森での指導や語らいをつづけたのです。「自分たちだけのスローシンキング」の関係を築きあげたかったからです。
 つまり、今の「子育て」の風潮とは逆に、まわりの父母たちとは距離をおいたとも言えます。たいせつな週末の休暇を子どもとの「森歩き」に使うお父さん、さらに何よりも二人での語らい(後日触れます)を大切にしたいという思いがひしひしと伝わります。ファインマンを科学者にしたいと考えていた(だろう)お父さんは、これ以外にも、小さいころから、自然や読書に興味をもたせるよう、さまざまな働きかけをしました。

 子どもたちを育てるためには「誰が何をするのが、より効果的なのか」が、十分想像できると思います。力を与えられるのはお父さんやお母さんをおいて他にありません。(なお、後日「夢の教科書を求めて」で、その方法と効果をくわしくたどってみます)
 さて、この稿はまだ続きますが、次週はひとつ話を挿みます。「お母さんの役目を果たしている森」のエピソード、「森の音は賢母の声」です。

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教育ママゴン脱出作戦 ①

2013年04月20日 | 学ぶ

子育てでたいせつなことは何か? 
 数値情報にこだわり、画一化し・・・と、時代の趨勢はすべてIT機器でデータ管理する方向に進みはじめています。子育てもその例に漏れません。統計的・科学的、一見いかにも「絶対的・確実なように」イメージさせる情報も保護者のこころをうまくとらえます。情報操作が巧みです。
 しかし、子育てはいつの時代も変わりません。育てるのも手をかけるのもお父さんとお母さんです。

 ところが、自分に自信がないのでしょうか、あるいは自分の「業界知識」に自信がありすぎるのでしょうか、「確証のない数値情報に子育てをゆだねる」人がたくさんいます。
 まるで温室栽培の果物や野菜のように、データを頼りに判断し育てる方法です。子どもはイチゴやトマトの苗ではありません。そして今までOB諸君の成長ぶりを例に何度も紹介しましたように、ほんとうの頭の良さはデータに出てくるとは限りません

 IT機器の画面に夢中になり、「人頼り」している場合ではありません。人頼み、IT機器の情報管理・・・と子どもから目をそらしている間に、成長の推移や微妙な変化を見逃し、いつの間にか成長してしまうのが子どもたちです。
 たいせつなことは、「変化に自らきちんと目を配ること」です。微妙な変化をとらえ、力添えしたり、軌道修正していくことです。日ごろのそういう行動を通してはじめて、親として自信ができ、自らも成長します。
 つまり、年季の入ったお百姓さんのように観察を欠かさず、環境や農作物の微妙な変化を「事前に」とらえ、それを修正・養護・保護してうまく成長に結びつけていく。子育てにたいせつなのはそうした方法です。次の引用はノーベル化学賞受賞の福井謙一博士の回想です。

  (母親は)こと子供の勉強については見事に無干渉主義を貫いた。その代わり子供の勉強に好ましいと考えることは無言の内に実行するというふうで、その点にかけては水も漏らさぬ周到さがあった。その一つが全集(「日本児童文庫」「小学生全集」「夏目漱石全集」などを揃えてやるということであったわけだが、これにしても読書を強制するのではなく、あくまでも子供の自発意志を待つという姿勢であった・・・子供の教育環境づくりをただ黙々と行うだけで勉強を決して無理じいしなかった母の心遣いに、私は今でも心からの感謝を覚えないではいられない

 (「学問の創造」 福井謙一著 佼成出版・p71)

 いかがでしょうか。約二十年の指導経験の間、新興宗教の信者のように「一途な」教育ママゴンを何人も目にしましたが、きちんと子どもに目配り、心配りできている人をほとんど見たことがありません(この稿の最後に数例を紹介します)。

 また、いずれの場合も、努力の割に結果が出ているとは、必ずしもいえません。「受験勉強」はできるが、自分勝手でわがままであったり、過保護で独り立ちできなかったり・・・という具合です。それらの性格は中学・高校と進むうちに、(肝心の?)勉強の足を少しずつ引っ張るようになっていきます。
 登場人物はちがっても、子育てのストーリーは相も変わらず似たり寄ったりです。成人するまで育てたこともなく、指導経験もなく、結果もわからないのに、中途半端な個人情報をさも唯一の真理のように吹聴する主人公を中心とした一団の物語。
 花を添えるのは、自らの目で「確かなもの・信頼できるもの」をきちんと確認できない(しない)人たち。人頼み・情報頼みで「確かだと思われるもの」を探したい人たちです。
 ラストシーンもいつも同じ。子どもの輝かしい未来を暗示したり、可能性を示唆できる成長ではなく、ウロウロした割りには思ったように効果の出ない、中途半端なフィナーレが待っています。
 福井博士より先にノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹博士をはじめとする、有名な湯川三兄弟を育てたお母さんのエピソードです。
 「子供の友」という雑誌が、いつも茶の間のお母さんの机の上にあって三兄弟はそれぞれ自然に目を通していたようです(ここがたいせつです。強制ではなく自然に目が触れるところに置いておくところです)。

 「子どものしつけに限らず、社会生活に必要な規律(南淵注・社会常識でしょう)を身につけさせようという意図」の雑誌だったといいます。男女の兄弟三人をそれぞれ登場人物に、おもしろく読ませるような編集だったといいます。
 ときに湯川博士がその本の内容についてお母さんに質問すると、お母さんは何をしているときでも自らの仕事の手をすぐ止め、博士の目をまっすぐ見つめながら直ちに正確な説明をしてくれたと言います。そういうときのおかあさんは、子ども心にもなんと美しく見えたことか!と博士は述懐します

  母は子供たちを、みな学者にするつもりだった。―それを、私は子供のときから意識していた。母の苦心がなければ、私たち兄弟のように学問ばかりやる者の一族は、生まれて来なかったであろう。 

(「旅人」 湯川秀樹自伝 角川ソフィア文庫より)

 揃えたのは「勉強」の雑誌ではありません。受験参考書でもありません。用意したのは「しつけ」の雑誌です。今、しつけの雑誌を用意している(雑誌自体がないかもしれません)受験生のお母さんはどこかにいらっしゃるでしょうか。
 もちろん、小川・貝塚・湯川というそれぞれ異なった学問分野での大学者が育った理由がそれだったとは決していいません。しかし、「勉強以外にもたいせつなことをきちんと身につけさせたこと」、そして「子供の質問に瞬時に答え、はぐらかさなかった」というところに、見逃してはならないお母さんの非凡さがあります。

 幼児から受験勉強でがんじがらめに縛る前に教えなければならないたいせつことは何か。子どもをたいせつに思うお母さん方にはぜひ振り返ってほしいエピソードです
 受験勉強の前に、まずヒトとして、あるいは一人の人間としての成長を見通しながら指導しなければならないことがあるはずです。それらを抜きにして、子どもの大きな未来は語れません

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難関大学合格にフォアグラ指導や缶詰授業は必要か? 9

2013年04月13日 | 学ぶ

小学生時代にたいせつなこと。
 

 

 

 

 

 

 

それは、学ぶ意味・学ぶ面白さを伝えるとともに、まず「基本事項の習得をはかり、できるだけ総合的な知の枠組みを頭のなかに整えられるように指導すること」「目の前の問題に落ち着いて向かい、追い詰める姿勢、あきらめない態度を養うこと」「ケアレスミスをしないようにメタ認知の能力を高めること」の三点です。
 「基本事項の習得云々」については、自らの受験体験をふりかえっての信念がはじまりです。しかし、同じ方法によって、前記のように素晴らしく成長を重ねるOB諸君たちを見て確信に変わりました。
 ぼくが受験した東京教育大学は国立大で受験科目も多く、全くの自宅学習で一年間ですべて習得するには効率的な学習方法が必要でした。中でも数学が少し苦手だったので、ともかく基本を徹底することをまず考えました。
 高校で使用した教科書はK社のものだったのですが、評価が高かった数研出版のものを三年分取り寄せ、演習問題も含めて何回も読み込み、完璧に理解することを心がけました。

 たとえば、「根の公式」であれば、公式そのものをただ覚えるのではなく、「導き方を徹底理解する」という方法です。後は青チャートでの演習、苦手な単元は「モノグラム」(「科学新興社」だったと思います)で、単元そのものの総合理解を図りました。それだけで入試問題も楽に解答できたように思います。
 獲得した知識を確実にものにし、総合的な枠組みの中で熟成を図る余裕が、知識相互の関連を目覚めさせ、総合的な理解や判断に結びついていくと考えています。
 指導上での「総合的な知の枠組み云々」は、たとえば、双子葉植物の指導を考えるとき、ぼくは、子どもたちが好きなカブトムシやクワガタ、クヌギというイメージがまず頭に浮かびます。


 多くの受験用参考書・問題集に掲載されているのは、イラスト例のような、双子葉植物の草本の茎の断面模式図であり、単子葉植物のトウモロコシの茎です。 記憶の材料でしかありません。

 

 樹木は双子葉植物じゃないのでしょうか? 同じ双子葉植物でも樹木は両手に余るほどの太さになり、何十メートルと育つのに、草は、なぜ箸ほどの太さにとどまり、せいぜい数メートルしか育たないのか。単子葉植物の竹はどうしたのでしょう? 竹は太いじゃありませんか?

 立体授業の「大きな筍掘り」は筍を掘るだけではありません。当日朝、スライド学習する立体授業のテキストでは、その秘密にも触れてあります。
 その秘密が、子どもたちにはおもしろいのです。大人なら考えもしない、そんな疑問から、子どもの「へー」は始まります。笑い話ではありませんが、子どもたちの「へー」がたいせつです。
 樹液・集まる昆虫と思いがけない食物連鎖(ボクトウガ)・ドングリの生育サイクル・四季の姿の移り変わり・樹の幹の太り方・材木としての特徴と利用方法・仲間調べ・炭づくり・腐葉土・それにともなう微生物・・・と、「クヌギ」に関わる総体を考えるとき、子どもたちの「環覚」が大きく成長を始め、学習対象が身近になります。小さい子どもたちは学習対象が身近に感じられてはじめて、学習がほんとうにおもしろくなります。


 受験業界でよく行われているように、断片的に何でも詰め込み、下手な鉄砲式の「知識のボリューム頼り」は、「子どもたちを疲弊させる最低の方法」です。そして「受験合格のみをターゲット」に、小さいころから「学ぶ面白さを置き去りの」学習に追い込む毎日は、「学習そのもの」を「義務」としてしか認識できないおとなを育て、「可能性の大きな開花に暗い影を落とす」方法だと感じています。そういう方向に向かい出すと、母子(父子)ともに不安が増すばかり、本来なら、どんどん面白さとともに追求すべき夢や可能性に目が向きません。
 内発的な学ぶ面白さを喚起することや受験以後のイメージを一顧だにせず、付け焼き刃の「受験関連商品」を次々と「市場」に送り出すばかり。「売らんかな」の思いばかりで、そこには、たいせつな地球の後輩としての、「ヒトとしての子どもたちへの思い」は存在しません。これが、小学校受験・中学校受験、さらにはそれ以降の多くの「受験勉強」業界の相変わらずの現状です。こんな方向でいいのでしょうか。
 面白さが先立ち「知らない間に学んでしまう」方向、知りたいことが駆動力となり「勉強してしまう」方向。それがエジソンやファインマン・マクスウェルなど、数多の発明家やノーベル賞学者・天才のたどった道です。自らの可能性を大きく開花させた道です。
 今の子どもたちも、もっと素晴らしく育ってくれる方向が考えられるはずです。みなさん、子どもたちの指導方法をシフトチェンジしましょう。
 次回からは、子育ての問題点について、ぼくがいちばん感じていることをお伝えします。

 

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難関大学合格にフォアグラ指導や缶詰授業は必要か? 8

2013年04月06日 | 学ぶ

フォアグラ指導への小さなアンチテーゼ


 さて、子どもたちの日ごろの学習指導、特に受験指導についてお話ししてきました。
 次に、「子どもたちの学ぶ面白さの獲得」や「積極的に学ぶ意欲の掘り起こし」を「ひとまずおいたまま」フォアグラ指導に明け暮れる風潮、そして、それに「乗っかる」風潮の撲滅のために、もうひとつ確認しておきたいことがあります。それは「合格するために満点はいらない」という事実です。


 「詰めるだけ詰めこんで」というのは、合格の「保証」を求めているのでしょうが、「学ぶことが好きになるための学習指導」を忘れたままの、「子どもたちのことをまったく考えていない」、その保証は何の「保証」でしょうか? 偏差値が上がり合格すれば、「子どもが大成する保証」になるのでしょうか?
 団の子どもたちは小学六年生時の偏差値が四〇台でも、大学進学時になると札幌医大や奈良県立医大・神戸大に合格しました。五〇台でも京大に合格する子が二人出ました。同じく五〇台でも阪大の哲学科に進む子が出ました。

 


 写真は、まだ世間で個人情報の問題が取りあげられていないとき、学校から配布された、OB生の中三の実力テストの成績です。小学三年生から団で学び、O学院進学後もOB教室に通ってくれ、団で7年過ごしてくれた女子生徒の団卒業前の成績です。


 彼女の6年生時のI社平均偏差値は、この学校に入学するために必要とされていたレベルの約六○でした。入学者の多くが六○をはるかに超えた難易度の高いこの学校には、フォアグラ指導や缶詰学習を受けて進学した子もたくさんいるはずです。
 表は、入学後も団のOB教室で三年間指導した後の成績です。ピンクの枠をご覧ください。総合成績の順位が二百十四人中二位、偏差値が七十七を超えています。


 六十以上の子がたくさん集まった中で偏差値が七十七を超えるようになったのです。ちなみに彼女は、その後大阪大学へ進学しました。
 OBの多くがこうした成長をしてくれます。成長するためには「土台」が必要です。子どもたちの指導でいちばんたいせつなことは「学ぶ面白さ」「学ぶことの意味」を伝えられたかどうかということなのです。
 これらの成績の推移をごらんになって、まだ小学校時の「フォアグラ指導」や「缶詰授業」が必要だと感じますか? それが子どもを消耗させる事態を招いているとは思いませんか?


 私立中学合格はゴールではありません。子どもたちの成長はそこからがスタートです。一時的な偏差値や合格通知が重要なのではありません。たいせつなのは、それ以後です。
 受験知識や受験勉強が必要でないと言っているわけではありません。それ以上に必要なことが、たくさんあることを忘れていたり、知らなかったり、無視していることが問題だと言っているのです。

 余裕を持った勉強の中で、できるだけ「学ぶこと相互の関連や総合的な体系を頭の中に描いていくこと」、そしてその中から「さらなる学ぶ面白さを見出せるべく『環覚』を育てていくこと」。小学生時代は、その礎を培う格好の時期です。「暗記が主体の知識のボリュームだけ」で、子どもたちを圧倒している場合ではありません。

 

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