『大学への数学』(四分冊 藤田宏他著)・『難問題の系統とその解き方 物理Ⅰ・Ⅱ』(服部嗣雄著 ニュートンプレス)を、指示通りそれぞれ3~4周して、国立大学に合格できたOBの話をしました。小学6年生時の模擬テスト偏差値が下記です。
科目別成績偏差値と順位がそれぞれ赤下線部、4科目合計と2科目合計の偏差値と順位が青下線部です。4科目合計で400点中190点、受験者の平均が197点ですから平均以下、偏差値は48.9です。
後にも紹介しますが、団で受験している模擬テストI社は小規模塾・個人での参加が多い業者で、全国展開の大手塾やテスト業者の偏差値より、かなり高い判定がでます(つまり全体として参加者の偏差値レベルは低い)。
もちろん、レベルの把握さえできていれば、何ら支障はありませんが、そのレベルの想定が容易なように、全国展開の模擬テスト(この場合は日能研2012年版)との比較も紹介しておきます。団受験社I社の51が日能研では40ですから、偏差値49は39台に比定されます。彼は小学生時の偏差値39で国立大に進学できたということです。
以前もお伝えしましたが、彼に限らず、小学生のとき入団しOB教室を経た団の卒業生のうち、約半数が京大をはじめとする難関国公立大学へ進学してくれます(左記実績参照)。ごらんのように、小学生時の偏差値や進学先で子どもたちの能力や学力判断はできません。小学生時の偏差値や進学先は、その時点での「学力判定」の「参考」にはなっても、「それだけ」です。「学体力」が身についたわけではありません。決して「将来性」や「可能性」を保証するものではありません。以降の能力とその伸長を規定するものではありません。
逆に、可能性や「成長力」にあふれた時期に、偏差値に縛られ、偏差値の上昇に目の色を変え、「フォアグラ学習指導」をつづければ、「百害あって一利なし」だと考えています。そんなことより、まず「学体力の養成と定着」、そして「それを補う日々の指導や取り組み」にしっかり目を配るべきです。「フォアグラ指導に耐えうる力」ではなく、自ら「学んでいける力」を身につけるべきです。
ちなみに、団から難関国公立大学へ進学した諸君全員(報告分)の小学校卒業時の偏差値も、同じく日能研の偏差値に換算して紹介しておきます。進学大学と小学生時の偏差値をよく比較してください。「成長力の大きさ」がよく分かると思います。
「偏差値の上下に右往左往する」以上に、そうした時期にたいせつな、学習指導や子育てのヒントになるかも知れない方法の一端からお話しします。以前紹介したK君をはじめ表中の全員が、こうした指導で育ったからです。
養うべきは「学体力」
ぼくは「教育畑」ではなく、「未開の山野(!)」で、さまざまな職業や社会経験を経てきました。教育大在学中をふくめ東京に住んでいた約8年間、看板屋見習い・新聞拡張員・百科事典のセールスマン・広告代理店・自販機本のライター・漫才台本作家見習い・サパークラブのバーテンダー・・・と、幸か不幸か、体験エピソードには事欠きません。授業の際や子どもたちに注意する際に、時にはおもしろおかしく、それらのエピソードに触れることがあります。
エピソードを通じて彼らにわかってほしいこと。それは、「勉強なんか(!)『しんどい』ことでも、『むずかしい』ことでもない」ということです。授業をしっかり聴き、定評あるテキストのくり返し学習さえすれば、好成績をあげることはむずかしくありません。学習範囲はきまっているし、「正解」も用意されています。
ところが社会にでれば、日々「正解のない難問」を突きつけられ、自らの心の内、また外からの要請(強制?)という、「内外とものプレッシャー」のなかで「解答」を求めつづけなければなりません。それが現実です。生きていくことの真実です。そこで必要なものは、「学力ではなく、学体力」です。
大学を出れば、会社員になるにしろ、公務員になるにしろ、商売を始めるにしろ、どんな職業に就こうとも、あるいは職に就かなくとも、直面する問題の「正解のない解答」を求めつづけなければなりません。「社会に出れば、『「楽しいこと』もたくさん待っているけれど、楽しいことばかりではなく、「『苦しいこと』だってたくさんあるんだ」という現実を、ぼくはきちんと伝えたいと思っています。
経験が無く、解決の手がかりもなければ、自ら手がかりを探して解決の糸口を見つけなければならないし、納得できる良い結果を出すためには、さらに努力をつづけなければなりません。
解決策を手にするためには、「学力・知力」という精神面だけではなく、それらを補完する「肉体的な強さ」もともなわなければなりません。まず養うべきは、「ひ弱な学力」ではなく、「学体力」です。
知り合うことができた子どもたちには、そうした力を手に、充実して納得できる人生を送ってもらいたいと思っています。それには、大きな夢をもつ一方で、しっかり現実を見つめる力も必要になります。
「(中学受験)勉強」の先に、何も見えなければ、あるいはよくわからなければ、「勉強」ほど「しんどく感じるもの」はありません。さらに、受験勉強一色で受験勉強以外の体験も少なければ、受験は無事乗りきっても、その解放感と脱力感の嵐、さらに先の目標も見えなくなります。そうした精神状態が、以前取りあげた難関中高一貫校卒業生の、「半数にも及ぶ浪人生の出現」の大きな原因だと、ぼくは考えます。
中学受験に限りません。高校受験・大学受験であろうと、自らの内なる『学体力』の定着が伴わなければ、結果は同じです。
学体力の定着には、こうした精神的なバックボーンだけではなく、「環覚の育成」による、『学習内容』や『学習対象』の『机上に終始しない興味や好奇心の掘り起こし』が必要であることはもちろんです。団では、それを「立体授業」の展開で補っています。
「独学」の「スタートライン」
左の写真を見てください。
それぞれ『大学への数学』と『難問題の系統とその解き方 物理Ⅰ・Ⅱ』の紹介ですが、こうした細かい活字が何百ページも続いている問題を「やり切る」には「生半可のやる気」では到底太刀打ちできません。相応の「学体力」が要求されます。
甘やかされて、手取り足取り「教えてもらう」学習生活・受験勉強生活に慣れ、いつも誰かの助けを待っているような学習態度から脱却できていなければ、「数ページ(!)」読み切ることさえできないでしょう。見るだけでイヤになるはずです。現在の子どもたちの学習問題の根源はそこにあります。「学体力」の欠如です。ひとりでやり切れなくなっているところです。
団を卒業したOB諸君の感想や結果を見れば、今なお、それぞれの科目について、「歴史があり実績・定評のあるテキストをやり切る」ことができれば、合格はそれほどむずかしくないことがわかります。やる気さえあれば、ひとりでもできます。
有名なところでは、「だから、あなたも生きぬいて」の大平光代さんや「独学」の東大教授、柳川範之教授(「東大教授が教える独学勉強法」草思社)など、「独学」の著名人も少なくありません。たいせつなことは、それまでの「学体力」の育成です。それが、子どもたちの「将来」も形作ります。
大学卒業生の学力の低下や社会人としての能力の不足が話題にされることがあります。これは自らの目標(たとえば大学受験)に対して(さえ)「あなた任せ」で、「自らの責任において行動を起こせない、大人としてのスタートラインといってもいい時期なのに、それさえできなくなってしまっていること」に既に現れています。「一人前になるきっかけ」が失われています。
大学受験を「予備校頼り」ではなく、自ら情報収集(今はその環境には事欠きません)し、参考書を自選し、学習計画を策定し、受験戦線を乗りきる。やろうと思えば誰でもできます。
まして、純粋の「独学」ではなく、ほとんどみんな学校に通っているわけです。全くひとりではないわけですから、客観的に、冷静に見れば、その甘え振りがよく分かるのではないでしょうか。
その経験は、社会に出てから仕事をする上でも大いに役立つ経験になるはずです。「社会人としての能力不足」とは言わせない力がつくはずです。実体験からの回想です。
団員諸君には、そうした姿をイメージしながら、日ごろの授業や指導を重ねています。
一例を挙げれば、3~4年生から、新しい単元や問題に対しても、「まず自分で読んでみる」ということからスタートします。まず、「問題に入ること」ができなければなりません。
「問題の内容」でさえ頭に入っていなければ、到底解くことなんかできっこありません。何でも「教えてもらう」という学習をつづけていれば、「自ら問題に当たるといういちばんたいせつな姿勢」は育ちません。ひとりでは何もできない、独り立ちできない子が育って当然です。問題もひとりではきちんと読めなくなり、ケアレスミスも増えてきます。ケアレスミスは、単に「性格」ではなく、「しつけ」や「日ごろからの指導・育て方」が大きな原因です。
『学習する姿勢』・『問題に向かい自ら解決を試みる姿勢』が養われてこそ、「学習」が「本来の意味」をもつようになります。そういう姿勢がともなえば、中・高に進学しても、スムーズに乗り切れるだろうし、「大学進学のためだけ」に終わらず、将来にわたって、その経験は生きてくると信じています。一生必要になる「独学」のスタートラインに立てます。