今回の写真、前半は先日(3月21日)団の近くのグラウンドで、特別に(飛行機の制作と遊びになれるため)みんなで手作りの紙飛行機競争をしたときのスナップです。「土筆ハイク」でも、いつもこうした競争を楽しんでいます。(左は今年京大(二人)・北大に合格した合格祝いのようすです)
為草(く・さ・と・な・り)
立体授業、土筆ハイク。土筆の「為草(く・さ・と・な・り)」を紹介してきました。
受験学習やテスト勉強。師管と道管の説明・学習内容にしても、子どもたちがふだんから「ほとんど意識もせず、注意して見たこともないものやことを」学習します。
双子葉植物と単子葉植物の「維管束の並び」をイラストで見せ、暗記させたとしても、それによって植物に対する興味や関心が生まれるとは考えにくい。おもしろさは始まらない。指導を通じての実感です。維管束の意味や役割・存在理由などを知らずに、その特色だけ、字面で学ぶことになるわけです。それでは、同じ地球の「住人」としての「環覚」は生まれにくく、「いきもの」としての馴染みも湧きません。先週の、子どもたちの現在の学習スタイルに対する振り返りでした。
意味もわからない抽象を超え、ふだんから雑草を「遊び道具」にしたり、手を触れることの親しみで、子どもたちの感覚も変わってきます。学習対象・学習内容との関連を、それとなく口添えすることによって「気づき(環覚の育ち)」がはじまります。植物の茎を折ったとき、切り口から流れ出る水に子どもたちが注意をむけるようになれば、「植物は生きている」という実感や認識が生まれます。
ぼくたちの身体が「心臓の拍動によって血液が全身を駆け巡り・・・」という「生きているという感覚」と、「植物が水や養分をからだ中に運ぶ維管束」という認識は、以降の学習に限らず子どもたちの感受性にも大きく影響を及ぼすはずです。
「・・・ボオクラ、ワ、ミンナ、イキテイル・・・」という歌の高揚感は、メロディはもちろんですが、歌詞にも、きっと大きな意味があるのでしょう。周囲に目が届き、「僕らも・動物はもちろん、植物も、みんな生きている」という環覚が子どもたちの成長に、特に小さいころの心の成長に、大きな役割を果たすのではないでしょうか。
余談ですが、現在の世界の混迷を解決方向に導くものは、唯一、仏教を中心とする考え方(仏教の根幹を流れる思想)ではないか、と想像しています。ちなみに、ぼくはいわば自然「信者!」で、特定の宗教に与するつもりはなく、信奉するものでもありません。
さて、本来子どもたちの身近であるはずの学習対象の身近さや手が届く近さを感じてもらいたいと、ぼくは、さまざまな取り組みを模索しています。
「草となり」に限らず、身近なものに目を留めることがないと、科学的興味や関心をひかれたり、追究することが始まる、おもしろさに目覚めることは期待できません。赤ちゃんたちが見るもの、触れるもの何でも触ったり、口に入れたり、という所作は、この世を知りたいという好奇心の塊だからではないでしょうか。身近なものの探索から、自らの生きる術を探っていると考えられます。
その好奇心を枯らせず、育てあげることが最重要だと思います。きっかけは、いつもぼくたちの身のまわりにあるもの(ブログ・「ファインマンの父とエジソンの母」参照)。それから彼らの探求の旅が始まるのではないでしょうか。うまく探求の「おもしろさ」が見つけられることで、やがてすばらしい業績が生まれる、それが子どもたちの大きな可能性発現のしくみ、そう感じています。
ところで現在です。成長して「人工物」に目を留める頃、探求に対する好奇心は、興味もない、おもしろくもない抽象学習の詰め込みを経て、多くの場合、その感覚が大きく損なわれてしまっています。子どもたちの現在の成長ぶりを見ていると、そんな感じがします。
「草となり」「樹となり」「虫となり」を紹介しましょう。「学ぶおもしろさ」・大成へのきっかけづくりです。
身近な植物や動物に興味をもったからと言って、子どもたちの学習や探求心が植物や動物で終わってしまうことはないはずです。「究めるおもしろさ」、またそれによって先導される「学ぶおもしろさ」の覚醒は、その後、ジャンルを問わないはずだと思います。
紹介したファインマンやエジソンに限らず、日本でも福井謙一博士や白川英樹博士、また身近なところでは養老孟司さんや茂木健一郎さんが良い例です。昆虫採集や泥んこ遊びを過ごしたからといって、虫の研究者で終わったわけではありません。学ぶおもしろさ・追求するおもしろさに目覚め、それぞれの研究分野でめざましい成果をあげてこられたわけです。子どもたちにとって、虫や草・木々や郊外で出会える身近なものへの馴染みや興味がきっかけになったということです。
春を食べる
さて、土筆ハイクの紹介、最終回です。団の立体授業、課外学習の一連の取り組みではテーマを「食べ物にする」ことが多くあります。よもぎ餅の手作り。夏、渓流教室での沢ガニの素揚げやオイカワの南蛮漬け、ヨシノボリや黒川虫の佃煮。秋には米づくり、新米の試食やイナゴの佃煮。ミカンや柿の収穫など。
これらは、もちろん、対象を深く知る、馴染みになる、それによって興味や関心を喚起する、という意図からです。学習対象や学習内容に結びつくきっかけが増え、好奇心も高まります。
土筆ハイクでの土筆やふきのとう、スイバ・セリやノビルの収穫も、その例に漏れません。採集して食べるまでの手ほどきを紹介します。
また、時期的には少し遅いのですが、まだ野に残っている春の七草の野草も探してみます。オランダガラシ(クレソン)に似て、さらに香りが高く味わい深いオオタネツケバナもせせらぎのあちこちに生えています。野道に生える三つ葉とともに、小さな株を持ち帰り、栽培することもよい体験です。他にはユキノシタやクズの若葉の天ぷら、キャラブキづくりなど、子どもたちに野の花や野草が印象に残るような紹介も欠かせません。
団の子どもたちはこうした課外学習と立体授業の取り組みの一年を通じて、自然環境や周囲と友だちになっていきます。学習のおもしろさがわかってくれたOB諸君の団在籍年数は5~12年にもおよび、その間に「草となり」をおぼえて「人となり」も形作ってくれます。
さて「立体授業とは何か」のシリーズはこれで終わります。次週は「ゲームセンターから京大へ(仮題)」団の二年間ですばらしい成長を遂げてくれた若者を紹介します。
不思議な巡り合わせ、一昨年、「亡くなったぼくの大親友」が巡り合わせてくれた「可能性あふれる青年」の物語です。
なお、学習探偵団では新入生を募集しています。
腕白ゼミ(特進2年生・3年生)・基礎課程・充実課程・発展課程(それぞれ若干名)。
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