先生より、「せんと(先徒)くん」!
ファインマンのお父さんらが子どもの好奇心を引き出したテーマはそんなに専門的ではありません。また、多くの人は「ほぼ素人」でした。ふだんあまり気づかない周辺の対象の観察や指導をすすめたことで、そのおもしろさに目覚め、環境に対して「科学する心」が芽生えていきました。
これらを考えると、「見慣れた身近な環境こそ、おもしろいものの宝庫である」という発想・展開が有効だと思います。
ニュートンが晩年「私の前には真理の大海が、手つかずのまま広がっている」と言いましたが、子どもたちは、まず眼前の「手つかずの大海」に気づくことができなければなりません。日ごろから、周囲やふだんの環境に目を留められるようになることが大きな目標です。
学習対象は「勉強の範疇だけ」にとどまるものでは決してなく、自らが生きている環境なのだということに気づくこと。それによって、学習に対する親近感と学習の必要性を納得して(認識して)欲しいわけですから。
また、指導する側が、テーマ・学習内容に対して『上から目線』ではなく、自ら「おもしろがる(がれる)こと」。「初学者」への導入です。それによって「不思議」の扉が開かなければなりません。
そこにはどんな、おもしろがれる謎があり、何がわかるか? なまじっかの専門知識より、その姿勢の方がたいせつではないかとぼくは考えています。つまり、先生より「せんと(先徒)くん」です。お父さん・お母さんも「せんとくん」ならできるでしょう。ですから、「立体授業」はほとんどの人に『できる』指導なのです。
でっかい鯰釣りのテキストと指導Ⅴ
20p 陸上進出当時の面影を今に残す魚たち
(「21世紀こども百科宇宙館」小学館・「小学館の図鑑NEO魚」より)
前回、渓流教室や蛍狩りで、みんながよく捕まえる「ヨシノボリ」をムツゴロウとともに紹介しました。ここで魚の陸上進出のイメージが身近になるように、「当時の面影を伝えている魚」を改めて紹介します。
ヨシノボリの腹側には岩にくっつける吸盤がついていましたが、「トビハゼ」はそれらを利用して岩や木の上にのぼり、ほとんどの時間をそのうえで過ごします。「魚は陸上で過ごせる!」例の確認です。
また、「イザリウオ(今は改名されたようですが?)」は泳ぐのが苦手(!)で、胸鰭と腹鰭を使って海底をのそのそと歩き回る魚です。ハイギョはその名のとおり肺が発達している魚です。足代わりのひれや肺呼吸、これらの要素や条件は、魚が陸上進出するイメージの伏線になります。
閑話休題。先の「イザリウオ」ですが、次から次へと差別用語に選定され、ことばがどんどん貧困に、そして「無機化!」していきます。それにつれて、「人の心」が『やせ細って』行きます。
「ことばを規制すれば差別がなくなる」とでもいうのでしょうか? 今、「いざり」という言葉を知っている人がどれだけいるか?「ことばが悪いのではなく、使い方が悪い」のです。ここにも「使わせないナイフ」方式、結局は教育放棄の無責任思考がのさばっています。
「使わなければ安全だ」ではなく、「使っていいか悪いか」を判断できることが、「安全な社会」をつくるのです。そこに人間の尊厳と理性が生まれます。それらを指導するのが教育だと思います。
理想論だという人がいるかもしれません。しかし、これから大きく成長する子どもたちに、まず理想を教えないで、何を教えるのでしょう。何とかファンドの誰かのように、「金を儲けちゃ悪いんですか」と教えるのでしょうか?
21p 肺とウキブクロの関係がわかるハイギョ(「小学館の図鑑NEO魚」より)
ハイギョは、陸上動物への進化の過程で呼吸方法の変化のキーポイントになる魚です。泥を使って壁を塗ったら、やがて中からハイギョが出てきた、などという「笑い話(?)」もインパクトがあります。
ぼくは「ヒトのからだの学習」で、肺の機能・胃や心臓のはたらきを羅列的に学習するのではなく、「生きていく上で、それらのはたらきが、いかにうまく統一され進化してきたか」を伝えたいので、呼吸については少しくわしく知ってほしい(内呼吸まで)と考えています。
自律神経によって管理統一されている「からだのはたらき」はすばらしいものです。健康を維持していくためにも、きちんと学んでおいたほうが良いことです。小さいころ、「身体のはたらきのすばらしさ」を学んでいたら、健康に対する余計な心配がずいぶん少なく、身体に自信がもてただろうと思っています。子どもであるからこそ、その自覚による可能性の広がりは担保しなければなりません。
このスライドでは、「ハイギョが現在も生息している、オーストラリアやアフリカ・南アメリカに共通する条件は何か」などと考えてみることで、地理の学習に波及します。こういう小さな積み重ねが、「学ぶたいせつさ」や「学ぶおもしろさ」というジグソーパズルを完成する『ワンピース』になっていきます。
22p 呼吸器の進化と内呼吸
(「中学スーパー理科事典」受験研究社、「21世紀こども百科 宇宙館 小学館より)
最初えら、肺とえら、肺・えらとウキブクロと続く進化をたどります。両生類がえら呼吸から肺呼吸に変わること、また機能が十分ではないので、皮膚呼吸も行っていること。
また、肺呼吸が肺のまま海中に逆戻りしたのは「だれ」か? 陸上への進出、また海中への逆戻りも何か理由があるわけで、それを考えてみます。
変化や進化には、たいていの場合理由があるわけで、そこではまちがいなく「生き延びるための工夫」が見られます。「生きていくことは、そんなに簡単じゃない、一生懸命頑張らなくてはならないのは、自分だけではない」という実感は、ぜひ身につけて育ってほしいとかんがえています。
23p ヒトの呼吸のしくみと腹式呼吸
(「中学スーパー理科事典」受験研究社、「しくみと病気がわかるからだの事典」成美堂出版、からだのしくみカラー事典 主婦の友社)
呼吸の模式図は中学受験で頻繁に見る問題です。図を見て問題に答えられても、横隔膜のはたらきを「体で感じる」ことはありません。ろっ骨を触ってみることはあるでしょうか? そういう学習が「記憶の材料にしかならない学習」です。ちなみに、呼気と吸気で提示した入試問題でよく使われるイラストモデルではろっ骨が動くということがわかりません。正しいことを教える、あるいは指導の際、補足をするべきです。
呼吸方法の男女差や、腹式呼吸と胸式呼吸の呼吸方法のちがいは体験できます。また、腹式呼吸はぼくたちの身体のはたらきを支配する自律神経にコミットできる数少ない方法で、腹式呼吸を実践することによって、セルフコントロールやリラクセーション等、様々な効果が生まれます。お坊さんの座禅の呼吸法でもあります。スポーツ選手の力や歌手の声の出し方にも、呼吸は大きくかかわっています。それらを伝えます。
手近なところでは「試験にあがってしまう」精神状態をコントロールすることも可能です。これらの学習内容も、学習を身近に感じる役に立ってくれるでしょう。
24p シーラカンス(「小学館の図鑑NEO魚」より)
四足動物に進化したのは肉鰭類であるといわれています。現在では、シーラカンスの仲間のことです。現在も四億年前の化石とほとんど変わらない姿で、胸鰭と腹鰭の根元には骨格があり、付け根は足のようで、その先に木の歯のような形のひれがついています。それが上陸へのアドバンテージになりました。
こののちのユーステノプテロンは4枚のひれの先に、さらに指のような骨が発達しています。その本数は7本です。指はその後も様々な本数の生物がいたようで、「人間の指が5本に落着いた理由」を考えても、おもしろいかもしれませんね。
結論は出なくて関係ありません。「対象について考える」という習慣が「学習」です。その積み重ねがやがて「勉強(それも、ほんとうの!勉強)」にもつながるはずです。
24p 水中から陸上へ―四足動物の誕生(「小学館の図鑑NEO大むかしの生物」より)
何億年という時間をかけて、脚を身につけ、呼吸方法を工夫し、魚たちは何とか陸上進出を果たしました。しかし、そこは『天国』ではありません。水中の浮力に慣れたからだを、今度は自らの足だけで支えなければならなくなりました。そのための骨やからだのしくみの変化を要求されます。
敵から逃げ、食料を求めて新しい環境に乗り出しても、そこはそこで新たな障害が待ち受けている。それらを克服しなければ、自らの生命の維持や快適な環境は望めず、種の進化も遂げることが出来ない。
何やら身につまされる話ですが、生命の歴史をたどると、「いかに生命がたくましいか」ということが再認識できます。生命力の強さに改めて敬服します。この観察も、子どもたちに、ぜひ伝えたいことです。「がんばるんだよ」という地球の先輩からの『無言のエール』です。最後に脊椎動物のまとめを考え、『例外』のおもしろさに注目です。
「でっかい鯰釣り」の立体授業で辿る「進化のスライド」頁はここまでです。この後は、食としての魚、課外学習でよく見る魚…と続いていきます。以下次週。
COLLATERAL
DVDの紹介です。「COLLATERAL」。
あまり見慣れない単語ですが、ロングマン(現代英英辞典)によれば、名詞としての意味は、property or other goods that you promise to give someone if you cannot pay back the money they lend you とあります。また形容詞の意味としては、他にrelating to something or happening as a result of it, but not as important。また、collateral relatives are members of your family who are not closely related to you。とあります。
これらからすれば、日本語としては、巻き添え・遠縁・見返り・拾い物・・・等と訳語の様々な発想がわいてきます。ところが、映画のタイトルはCOLLATERALのまま。
みなさん、この映画のイメージがわきますか? わかりますか?
ぼくは、もしこの映画が秀逸な日本語タイトルであれば相当ヒットしたのではないか、と想像しています。「COLLATERAL」にするのであれば、二番煎じにはなりますが、「『恐怖の報酬』や『見知らぬ乗客』や『タクシードライバー』というような視点」からの発想でもよかったのでは、と思います。
「映画タイトルが「原語」のまま」ということは間々ありますが、ほとんどの場合、関係者の発想やイマジネーションの貧困がその理由ではないでしょうか? 「よい訳語が浮かんでこない」、「ぴったりのイメージが見つからない」。
だからと言って、「相当英語に堪能な人以外、あまり聞いたこともないことば」をそのままタイトルにするような「宣伝部員(!?)」は、ぼくが上司であれば、即「Fire!」です。
京大を受験するOB生の学習指導を兼ね、「英語の原書を読めるようになりたい」と数年前から「独学」を始めたことは以前書きました。その経験でよくわかったことは、「『英和辞典あるいは、頭の中の英和辞典』に縛られすぎること」の弊害です。
学校時代から新出の英単語を、ほぼ英和辞典の字義通りに置き換え(させられ)てきた学習習慣の限界です。「歴史や国民性・生活習慣などすべてにわたってちがう国で使われている言葉が、文脈によって全く同じ意味に比定できる場合の方が稀である」という当然の認識をもちえなかったことです。
和訳する場合に、その言葉の「『コア』の意味をとらえて、文脈から自由に発想をめぐらせる」ということがなかなかできなかった。発想の段階から「英和辞典」の訳語に縛られてしまう解釈法しか身につかなかった。その経験による発想やイマジネーションの限界です。宣伝部員の人たちは、その「しわ寄せ」を受けてしまったということです。
英語を学習しなおして、ロングマンやオクスフォード現代英英辞典・PODを頼りに読み始めると、「文脈により生まれる一単語の訳語」は、ほとんど際限ないのではないか、と感じることがあります。そしてその「コア」のイメージを頼りに、日本語に比定しないでそのまま読む、ということが少しずつできてくるにつれ、内容がほんとうによくわかるようになりました。
OB生諸君とは英英辞典で学習を進めてきましたが、中学三年生以上の諸君や英語を学びなおしたいと思っている方々は、二・三カ月で慣れますから、ぜひ英英辞典での学習をはじめてみてください。きっと英語が楽しく、おもしろくなります。なお、DVDは他に、「ハイ・クライムズ」「天使のくれた時間」を紹介しておきます。