今回は、おもしろすぎる中学校時代の友、孝ちゃんと卒業文集の傑作集(写真紹介)です。ホンマ、なんちゅう奴らや。
今週のイラストは、いつもの「コピーしてそのまま使えるかわいいカットイラスト2000」(亀山利明著・日本文芸社)より、です。
「孝ちゃん」と「カワイのカーちゃん」
子どもたちの入試が一段落して、少しゆっくりできる時期です。
中学時代の「やんちゃ友だち」の孝ちゃんとの約束で、旧交を温めることになりました。「友達」は、なぜか「伝説の人」が多く、孝ちゃんもそのひとりです。
「元」消防署員。時々「金の腕輪」や「金の鎖のネックレス」をしています。やんちゃですが、「堅気(!)」です。怖くはありません。
田舎の消防署に勤めていた頃は暇だったみたいで、「消防署の隣の空き地で畑を作り、毎日野菜を育てていました」。「火事がないので、代わりに、畑に水をまいていた(!)」というわけです。もちろん、勤務中です。
中学時代、30分に一本・単線のK鉄に乗って、越境していたぼくの生家まで遊びに来て、近くの山で一緒に「空気銃を撃った仲」です。ホントです。数十年前、田舎には「中折れスプリング式の空気銃」があることが珍しくなく、やんちゃ坊主たちは、「ぱかん、ぱかん」撃ちまくっていました。
もちろん、そのための怪我も珍しくなく、孝ちゃんは誤って友だちに手を撃たれたようだし、ぼくも中折れ式の折れた部分に指を挟んでいて、引き金をひいてしまい、指の先がつぶれたことがありました。
田舎だから医者が少ないので、しっかりタオルを巻き、痛みで気が遠くなりそうになりながら、3kmぐらい先の「内科(!)エノモト医院」まで歩いて行きました。田舎の子は怪我するたびに強くなっていきました。強くならざるを得なかったのです。
あるとき、「『空気銃がゴロゴロあった』のは、ぼくたちの田舎だけだったのか」と不思議に思い、偶々乗りあわせて話が弾んでいた、九州出身だという同い年ぐらいのタクシーの運転手さんに尋ねました。
「運転手さん、子どもの頃、空気銃で遊んだことない?」
「あるある、撃ちまくってた・・・かすみ網、鳥もち、パチンコ・・・スズメ取り放題、カラス撃ち放題・・・」と、ぶっそーな返事が返ってきました。そうなんや、やっぱり・・・
孝ちゃんにはブログの原稿も時々送っているのですが、きちんとファイルして残してくれているような律儀なところもあります。
久しぶりに孝ちゃんと遊べば、かつて、きれいな「女性たち」が、行く店々で「別れの予感」で出迎えてくれたころの、懐かしい「遊び心」を、少し思い出せるかもしれません。懐かしい「想い出の写真」と「メロディ」が一杯詰まったスライドをつくりました。
パソコンをエッコラ抱え、橿原神宮駅で降りると、頭が少し薄くなった孝ちゃんは黒のニット帽をかぶり、ニコニコ笑って待ってくれていました。
「久しぶり!・・・」。男のあいさつはそれだけで済みます。駅前の小料理屋のカウンターで早速、映写会です。
「むちゃ懐かしいな、コレ!」と孝ちゃん。喜んでくれました。
嬉しそうにスライドを見ながら、「オレ、この子好きやってん・・・」。ふと見ると、「みどりちゃん」です。みどりちゃんもおとなしくてかわいい子でしたが、孝ちゃん、ぼくとは好みが若干ちがいました。バッティングはなかったようです。
ぼくらは当時、硬派遊びに夢中で、女の子の好みは訊いたことがありません。いつも「パカン、パカン」でした。
孝ちゃんの「スライドによる、懐かしいガールハント(!)」が終ったころ、たずねました。
彼の一回り以上年下の、おきゃんで粋な、着物の似合う奥さんのことが気になったのです。
「よめさん、どーしてんの」と聞くと、「あかん」。
「あかんって、なにが?」。
「5回結婚したけど、女は一緒や・・・」。
「ぶほっ」、酎ハイを吹き出しそうになりました。
「・・・タ、孝ちゃん、ぜいたくゆーたらあかんわ。5回もしといて、えーかげんにしいや、ほんま~。負けたわ~」と諫めると、ニコッと笑い、いつになく、ちょっとしょんぼりしました。先日、お母さんも亡くなったのです。
「ところで」とぼく。「気になっていたこと」の確認です。
切符を買わずに、K鉄で死ぬまで無賃乗車を続けた伝説のゴーケツ、「M野君」のことは、以前、紹介しました。
「いよっ!」と云うだけで駅の改札を「パス」できた、例の「M野君」です。
孝ちゃんも彼と同じ村で近所のはずです。「孝ちゃん、サンマが云うとってんけど、M野、全然K鉄の切符買わへんかったって、ほんまか?」。
「ほんまや~、ほんま。あいつ、あの『大きな頭と怖い顔』やから、フリーパスやってん」。
腹を抱えました。
・・・ぼくが漫画をほとんど読まないのは、きっと彼らがいる(いた)せいです。
「ブチ(ぼくの当時のあだ名です)なァ、あいつ、中学卒業してすぐ就職したやろ、それで『あんなん(あんなふう)』やろ(勉強ができなかったことは以前伝えました)。・・・T井(駅名)にあった、オートメーションの『部品組み立て工場』に就職してんけど、あいつだけ要領悪うて、作業が間に合わんネ。両どなり(!)の女の人に助けてもろてたらしいわ」。・・・ズッコケました。
オートメーション工場です! M野オ、いいかげんにせな、あかんわ・・・笑いすぎて涙が出ました。
「それで、M野、仕事終わったら、毎晩、T井の駅前で酒飲んで、真っ赤な顔して帰って来るやろ。駅員も、そら怖いでエ。きっと『鬼』みたいやったやろ!」。 もーたまりません。
無賃乗車の駅区間は、「U」から「T井」。約20年。M野君は酒を飲みつづけ、肝臓を傷め、既に旅立ちました。
M野、一回飲みたかったな、ホンマ。合掌。
孝ちゃんは、「・・・ところで、その話をしたサンマなあ、宝くじで3億円当たってん。京都かなんかに、でっかい家建てて、村捨てよったわ~」。
「へえ、サンマが?」。
・・・話をそらして、酎ハイのジョッキを空けた孝ちゃんは「ブチ、M野なんか、未だまだ小者やでエ」。まだ、誰か、いるんかいな。
「そういえば、中学校に(!)高下駄履いて来てる奴おったな。それで大学生らと喧嘩してるって聞いたことあるわ」とボク。
「カワイのカーちゃんや」。
「おれ等より3・4年上やったんちゃう?」とぼく。
「ちゃう、ちゃう、イッコ(一こ)だけ~。オレ小さいとき、お母んに、『あの子にだけは喧嘩売りなや』ゆうて、育てられたんや」。そんなことゆうて、子どもを安全に育てるお母さんも、昔はいたんです。
「そんなに、なにするか、わからん子やったんか?」。
「ちゃう、ちゃう。朝吉や、八尾の朝吉!!」。
懐かしいキャラクターです。今東光原作。勝新太郎と田宮次郎の極道映画のレジェンドです。弱きを助け、強きをくじくヒーローでした。今は弱気に強がり、強気に阿る人が、あまりにも多くありませんか?
「・・・売られた喧嘩は買うけど、自分からは絶対売らん。カーちゃんは、弱いものいじめもせん」。ヤンキーに聞かせたいものです。
身長も165センチくらいと小さかったのですが、がっしりした体格で、根性もすごかった・・・ようです。D商大の3人に喧嘩を売られ、中学生の分際で、履いてた(!)下駄で、どつきまわしたようですから・・・。
残念なことに、「カーちゃん」も亡くなりました。「カーちゃん」は同級生じゃなかったので、詳しく聞けず、武勇伝の詳細がわかりません。申し訳ない。
それにしても、孝ちゃんも、おもろいわ~。孝ちゃんがまだ消防署にいたころ、お願いをして、団の子どもたちひとりひとりを、当時珍しかった40メートルのはしご車に乗せてもらったことがありました。孝ちゃん、また子どもたち乗せたってな。
それから、5回目の奥さんと、あんまり喧嘩せんようにな。だいじにしいや。
その後、三軒はしごして、最後はグダグダに酔っぱらった孝ちゃんでした。「孝ちゃ~ん、酔いを醒まさんと六回目になるでエ! いつまでも元気でな~」。
小学生とセンター試験
ぼくは時々、センター試験の問題(現代文)や超難関校(中学)の問題(算数)を、入学テストが終わって、子どもたちの進路が決まってから、あるいは特別によくできる子が集まったクラスで、授業に使います。(写真はそれらの問題も掲載されている問題集。)
その意味は、自分たちと同じ時期に、そうしたむずかしい問題を解いて進学する子もいるのだという自覚を促すためと、センター試験の問題は、例えば国語であれば、大学入試でもそんなにレベルが離れているものではない(わからないものでもない)という認識をもたせるためです。
もう一つ、現代文であれば、使われている漢字が読めなければ、手も足も出ない、という「漢字学習」の大切さを確認させるためです。それらを「難しいことを」、と考える人もいるかもしれませんが、そのあたりに、「指導する方の思い込みがありすぎる」とぼくは考えています。
逆に、そうした問題を読んで、解答できた時、また解答への糸口をつかめた時の子どもたちの「モチベーションとパワー」を念頭に置くべきです。「むずかしいことも、決して手の届かないところにあるのではない。まずやってみなければならない」という、子どもたちの「学体力」への道筋も認識もそうして生まれます。
学習事項や受験内容を教え込むのが教育ではありません。まず身につけるべきは、「学ぶことのおもしろさ」と学習姿勢や学習態度であるべきです。指導要領で教えるのではなく、しっかり個々の子どもの態度やモチベーションの行方を見極め、子どもと格闘したい。ぼくはいつもそう思っています。
「センター試験は大学受験生のテスト」ではなく、「難関校の入学試験は、受験しないから関係ない」のではない。「身のまわりにあるもの」は、「すべて学習材料である」、あるいは「学習に使えるものである」。そうではないでしょうか?