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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

中小企業診断士への道のり③:合格できた要因

2024-03-06 22:41:39 | 中小企業診断士
今回は、合格できた要因について、いくつか考えられるものを書く。
前回の時系列の記事の内容と被る内容もあるが、ご容赦いただければと。

1,守、破、離
 当初、A社の解法を学んで過去問を解いていったが、全然点数が上がっていかなかった。後から考えると予備校も受験者に楽観視してもらわないように点数を厳しくつけているようだった。(これは再現答案の採点でも同様だと思う)
 また、予備校独自の採点基準もあるらしく、予備校の採点結果は、あくまで予備校のメソッドを使った上での採点結果となっているように感じた。点数も上がっていかなかったことと、ふぞろいの他の解答も見た上で、この解き方を自分の中に落とし込むには時間がかかるんじゃないかと考えるようになり、そこから自分なりの解法を考えていったのだった。
   
 ↑恥ずかしいが過去の添削(模試も含む)の点数の推移である。全く安定しなかったというのが感想である。順位は後で公開された点数と順位との一覧から自分の点数を当てはめて出したもの。
 
 もちろんA社の解き方が悪いと言っている訳ではなく、かなり理論的に体系化された解法であるため、しっかりと身に着けて合格している方もいたのだが、時間がない今の状況では完全に自分のものにするには難しいと判断したのだった。(時間がない状況を作ったのはもちろん自分自身にあるが、、)

 なので、自分はOさんから教わった「黄金手順」なる解き方で解法を学び、身に着けていったのだった。A社との手順との違いは大きくは1つのみだった。それは、A社は与件分のSWOTに当たる項目にそれぞれ5色マーカーを使って色付けし、黄金手順は、設問事に色を決め、それと対応する与件分に色を付けるやり方だった。(SWOTは赤ペンで別に目印をつけた)
 なお、事例Ⅰ~事例Ⅲは多くても設問は5問なので5色マーカー(赤、黄、青、緑、オレンジ)で基本足りるのだ。
 さらに自分はもう一色(紫)のマーカーを足して6色使った。紫はわざわざ表現とか、社長の思いとか成功体験とかとりわけ気を付けて覚えておくべき記載にマーカーをした。

 そんな感じでA社の解法をベース(守)として、その他のインプットから自分ならではの解法を編み出していったのだった。(破・離)
 実際の80分の使い方はまた別に解説しようと思う。


2,先輩Oさんからの刺激
 前回にも書いたが、先輩Oさんからのアドバイスは本当に大きなターニングポイントだった。試験に取り組む姿勢、日々の努力、情報収集などの向き合い方はまさに目から鱗が落ちる思いだった。そこまで努力をしなければ受からない2次試験はどこまで難しいんだろうと、舐めてかかっていた自分がとても恥ずかしく思ったのだった。

 ちなみにアドバイスは9月10日にいただいたのだが、そこで黄金手順の書籍とか、後日ふぞろいの書籍とかも譲り受けることができ、また事例Ⅳマスターの情報とかもいただき、そこで頂いた書籍や情報が全て勉強に有効に活かされることになったので本当にお住まいの方向に足を向けて寝れないくらいであった(笑)

 ちなみにOさんも今回の試験で見事2次合格をすることができたのだった。Oさんから再現答案も頂いているので、追って再現答案の比較の記事も書こうと思う。


3,情報の収集
 上のOさんからのアドバイスに通ずるものがあるが、それ以降、YouTubeやブログで情報の収集を積極的にしていくことになった。
 見ていた動画としては、きゃっしい、北村先生、ねとたす、一問一答、診断士LABOなど、ブログも本当に診断士関連は色々あるので、見ていたら沼にはまってしまうくらいの情報量だった。

 そんな中で、きゃっしいの「100文字訓練」はとても知識の拡充に良かった。これは、「ダイバーシティを説明せよ」や「機能別組織のメリット、デメリットは?」などのお題を設定し、100文字で書く訓練だった。
 これは100文字の分量を身体にしみこませていくことができると共に、1次試験の知識の定着も図れるという、まさに1石2鳥以上の効果を得られることができた。
 時間もなかった中でそこまでガッツリはできなかったが、これを毎日やっていれば1次の知識は問題なく身に着けることができると思う。

 あとは後述するが、L社の直前講座の情報もYouTubeからで、これを受けられたのも本当に良かった。
 時間もない中で取捨選択は難しかったが、結果効率的に学習を行うことができたので、この情報収集は大きな要因の一つである。


4,模試、外部講義、テキストの活用
 A社の教材だけでなく、オプションの模試や外部講義やテキストにも出費を惜しまなかった。
 模試は自分の現在位置の確認と試験当日のシミュレーションを行うことができたし、L社の直前講座は、事例はこんな方向性で答えていけばいいんだと回答の方向性が固まり、試験に向けての大きな自信になった。また事例Ⅳマスターは事例Ⅳに挑む上での心構えを知り、問1の財務分析を機械的に処理することで時間の削減を図れ、問2、問3辺りで出てくるCVPやNPVの問題を数多くこなすことで苦手意識を克服することができた。

 効果がどれくらい出るのかは難しいが、やはり2次はそれなりにお金もつぎ込まないと受かる試験ではないと思うので、情報の取捨選択もそうだし思い切りも結構重要になるのかなとは思う。


5,事例Ⅳに向き合う
 2次を受ける人ほぼほぼ全員に鬼門となる存在が事例Ⅳだと思う。事例Ⅳをどれくらい向き合って勉強するかはかなり合格をする上での大きな要素になってくると思う。
 事例Ⅳは最初見たときは訳わからなすぎで、問題量もえげつないくらい多く、初めて涙を流したベジータの如く震えることしかできなかった。でも事例Ⅳに向き合ってしっかり点数を取っていかないと落ちるとA社の合格者インタビューの動画でも言っていたので、「大丈夫、怖くない」と自分に言い聞かせ事例Ⅳもしっかり勉強していくことにした。

 そしてこなしていくとパターンが分かり、問題自体は難しいのだが勉強の仕方がどんどん分かってきたのだった。
 「事例Ⅳは努力を裏切らない」とA社のキャッチフレーズでも言っていたのだが、これはその通りだと思う。時間があればしっかり点数を伸ばしていけるのが事例Ⅳであり、これは他の事例にはない強みだと思う。

 なので、事例Ⅳを事例Ⅰ~Ⅲでカバーしようとしたら足元をすくわれると思ったため、70点取る気概で勉強を進めていった結果、合格を頂くことができたのだった。事例Ⅳはやっぱり他の事例と攻略方法が違うので、それはまた別に書いていこうと思う。


6,勉強計画
 追い込みの10月は勉強計画を9月末に立て、計画通りにひたすらこなしていった。この計画は自分の学習を進めるうえで大きな指針になった。また計画通りにこなして行けたことは試験に臨む上での自信にもなった。
 計画を立てていった方法としては、まず、9月末の状態から10月の試験に必要なスキル、TODO(いわばギャップ)を洗い出していき、それに必要な時間を試算、その時間が10月の勉強時間に収まるように調整し、10月の日程に割り当てていったというものだった。

 
 ↑TODOの一覧。まずこんな感じで現在とのギャップで必要な要素を洗い出し、それに必要な時間を当てはめていった
 
 ↑TODOの要素を日程に割り付けて月間計画を立てた。実績時間は結局付けていかなかった

 こういった計画立ては慣れていた訳ではないが、こんな感じか?とやっていったらうまくいったという結果であった。
 計画立てもそうだし計画通りに進めるのも、実際やろうとしたら何とかなるもんだなあと思った。もし短期の計画立てをしていない方がいたら、このような感じでやってみるのも一計である。


7,その他
 その他、他にもいろいろな要素があるが、考えられるものを書き出してみる。
 ・強みを活かすことができた
  このブログでいろいろ書きものをやっていたこと、また今まで取得してきた情報処理技術者試験で論文の試験にパスしてきたことから、「書く」ということには幾分か強みはあったかと思う。これは比較的短時間で解法を身に着けるのに役に立ったかなと思う。

 ・弱みを機会で補うことができた
  自分の弱みは「時間を確保できないこと」だったと思う。結構致命的な弱みだったと思うが、8月に転職をした機会がきっかけで大きく時間を確保できることができた。

 ・やっぱり運もあった
  上記の弱みを機会で補えたこととか、Oさんとのそもそもの出会いとか、当日の試験問題に自分の苦手としていた分野の問題とかが出なかったこととか、そういったもろもろの運もあったと思う。本番に強いんじゃないか?という生来の要素もあったんじゃないかと。本当に自分の全ての総合力をぶつけ勝ち取ることができた試験なんじゃないかと思う。


そんなんで合格できた要因ですが、こう見るといろいろあったんだなあと思う。本当に今まで経験したことのない難しさだったので、頑張っている方を本当に応援したいというのが率直な気持ちです。一助になれば。

今回はそんな内容で以上☆


中小企業診断士への道のり②:勉強の時系列

2024-03-05 23:20:18 | 中小企業診断士
第2回の今回は2023年の勉強の時系列について書いていく。

■4月
 前回の内容の通り、2023年4月中旬から予備校A社に申し込み2次試験に向けての勉強が始まったが、A社のカリキュラムは1月から始まっていて、4月中旬からの開始では全く現在進行しているカリキュラムに追いつけずであった。

 2022年は1次試験に合格してから出願を忘れるまで、業後の時間を使ってR1年度のふぞろいで勉強をしていたが、各事例を1回くらいずつ解いた状態の全く分からない状態で勉強をストップしてしまったので、ほぼほぼ0からのスタートだった。
 教材が送られてきて、それを一通り読みつつ、Web講義を聞いてインプットを開始していった。

■5月
 業務が忙しくなり、思うように進まなかったと思う。土日は家族のイベントを優先していたので、スキマ時間を見つけてはインプットを進めていった。カリキュラムとの乖離はさらに広がっていくばっかりだったと思う。

■6月
 業務の方で携わっていたシステムの本番リリースを控え、怒涛の忙しさであった。また第2子が6月に産まれる予定だったのでその準備もあり、勉強は全くできなかったと思う。
 本番リリース準備作業と出産が重なると本当にピンチだったが、第2子の誕生が本番リリース準備のピークを過ぎたタイミングとなり、何とか切り抜けることができた。予定より10日くらい遅れての誕生だったと思うが、親思いの子だなあと思った(笑)。

■7月
 新しい会社に8月から入社することになり、7月は有給を取得させてもらった。しかし引継ぎもあり、0.4(60時間)くらい働くことになった。
 週2で仕事、週3は有給というような生活だったが、妻と第2子は実家で(家からは近かった)、自分は長男との慣れない2人での生活だったので、休みの日でも長男を保育園に送った後のせいぜい4~5時間くらいしか勉強を進めることができなかった。夜はもちろん長男を置いて外に勉強に行くこともできないので、スキマ時間を見つけて家で勉強を進めていたと思う。
 有給の日も車検とか前の会社や次の会社の手続きとかで、勉強をフルでできた日は5日くらいしか取れなかったと思う。

 そんなんで、7月から一応本格的に勉強を進めることができたが、本来のカリキュラムとの差は若干縮めることができたかな?という程度だった。A社への答案添削もこの7月でやっと初回分の4事例を送ることができた。←本来は2月に終わるべき内容だった。。

■8月
 次の会社に入社し、幸いそこまで忙しくなく、業後に勉強を進めることができた。ここからちょっとずつカリキュラムの遅れは取り戻していくことができたかなという感じであった。

■9月
 10日辺りに、一緒に診断士試験を頑張っている前の会社が同じだった先輩のOさんに色々相談に乗ってもらった。Oさんは今年3回目の2次受験で、かなり勉強については進んでいたので、いろいろな情報を聞くことができた。
 横浜南区のスポーツセンターって所に車で向かったが、なぜかすごく覚えている。
 16時くらいから1時間だけ話を聞けたが、試験に向けての本気度を知ることができ、生半可な覚悟では受からないと気を引き締めなおすきっかけになり、より本気で打ち込むことになった日であった。

 この1時間があったから合格することができたんだなと今になって思う。情報収集や勉強方法、解法まで、いろいろアドバイスを頂いた。この日を境にA社のカリキュラムだけでなく、色々YouTubeを見るようになったし、ブログ等を見てほかの勉強方法も模索するようになった。またその時譲り受けた解法の手順の本を見て今まで自分の中でしっくりこなかった解法もパワーアップすることができた。
 そんなんで、ひょんなことから自分の人生を左右する一日ってあるもんなんだな~といまさらながら思った。

 また中旬にA社の模試を受けることにした。別途10,000円かかったが、これもやってみてとても良かったと思う。
 まず第一に、試験当日の過ごし方のリハーサルになることだった。模試自体は問題と解答用紙が送られてきて、自宅でやる内容ではあったが、試験の開始時間をそのままトレースして試験に臨み、当日取る昼食や事例Ⅳの時点の頭の負荷とかも前もって知ることができたので当日の良いシミュレーションになった。
 第二に、模試の結果が比較的良い内容だったということだ。結果、事例Ⅰ:C、事例Ⅱ:C、事例Ⅲ:A、事例Ⅳ:Cという結果だったのだが、総合でB評価となり、受験者全体で下位にいるわけではないというのが分かったことと、これからの追い上げで可能性が全然あると分かったのが良かった。D評価が無かったのも自信になったし、今までの勉強の方向性が間違っていなかったのが分かった。

 そしてその後、10月の勉強計画を綿密に立てることにした。現在の状態から合格に至るまでに必要な要素(知識や足りないスキル、解くべき過去問)を洗い出し、それを一日単位で10月の日程に埋めていった。そうして計画通りに勉強が進めば受かることを信じて、あとはそれ通りに進めることにした。書いた計画は参考のために追ってどこかでお見せできればと思う。

■10月
 妻からお許しをもらって業後と土日の時間を全て勉強に使わせてもらうことになった。(子供の風呂入れだけは自分のタスクとしてそれだけすることになった。)
 ここで一日最低1事例はこなすことにし、事例Ⅳは一日に2問解くことを習慣化することにした。

 事例Ⅳは、A社の問題集が2年分あったのでそれをこなしていったのと、先輩Oさんが勧めてくれた事例Ⅳのパワポの専門教材というのがあり、それをひたすらこなしていった。これがあったことで、事例Ⅳの解くスピードがかなり速くなったと思う。

 また、某L予備校のK先生の直前講義を申し込んで2週間かけて講義を受けた。これは某YouTuberが初学者向けにおススメしていた講義で、30,000円程となかなかの額だったが、藁をもつかむ思いで申し込んだのだった。
 この講義もかなり効果的だった。内容としてはそれぞれの事例の過去問10年分くらいを見て、問題の傾向と解答の対策を教えてくれるというものだったが、各事例毎に解答する方針というのが分かり、これも受けなければ落ちていたと思う。。
 
 上記の外部教材やふぞろい(持っていたので5年分くらい)、YouTube等を総動員して勉強を進めていき、試験の1週間前くらいにやっと解法が確立でき、一通り試験に臨む上でのスキルや知識が貯まっていったと思う。
 なおA社の問題の添削は全40回あったが、試験の2週間前が添削の期日で、そこまでに全部の添削を実施してもらうように仕上げることができた。でもかなりギリギリだった。(本来の提出期限には全部間に合っていなかった。)
 そんなんで、期限切れの答案の添削をしていただいたA社の先生方には感謝でした。添削後の点数は全然パッとしなかったが。。。
 インプットはもちろん前日まで続け、試験の数日前からファイナルペーパーも作成していき、人生で一番勉強したんじゃないかと思われる一ヶ月を過ごしていったのだった。

総勉強時間は300時間前後くらいになったかと思う。
そういった時系列で勉強を進めていったという記録でした。
今回はこんな内容で以上☆

中小企業診断士への道のり①:勉強の経緯

2024-03-01 23:09:54 | 中小企業診断士
久しぶりの投稿になります。

中小企業診断士の勉強を続けてきて、先日、2次試験の合格を頂くことができました!
今まで情報処理技術者試験の資格取得をしてきたのですが、今までのそれとはかなり異なり、これまでで一番難しい試験だったと思っています。

まだ中小企業診断士の資格自体は実務補習・実務従事を残しているため、取得できてはいませんが、今回合格を頂けたのを機に、今までの勉強をどのようにしていったか等の情報をこちらのブログに残していきたいと思います。
現在またはこれから中小企業診断士の取得を目指す方たちへの一助となれたらと思います。


■勉強の経緯
 中小企業診断士の勉強を始めたのは2019年の年始からだったと思う。
 きっかけはITストラテジストという、経営×ITに関する資格を2018年から勉強し始め2019年に合格できたのだが、どうせなら本格的に学びたいと並行して2019年から学習を開始したのだった。

 そんなんで2019年から受け始めた結果は以下の通り。
 ※経営情報システムは免除もできたのだが点数底上げのため毎年受験
 ※中小企業診断士の試験は予備校のサイトや書籍で解説されているのでここでの説明は割愛します

 2019年(R1):7科目受け運営管理、経営情報システムのみ合格
 2020年(R2):7科目受け中小企業経営・中小企業政策が足切り(40点未満)、それ以外は合格(60点以上)
 2021年(R3):経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策受けどちらも不合格(60点未満)
 2022年(R4):経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策受けどちらも合格(60点以上)、2次試験は出願忘れのため未受験(これは後述)
 2023年(R5):2次試験を受け事例Ⅰ69点、事例Ⅱ53点、事例Ⅲ60点、事例Ⅳ66点、総計248点で合格

 実に5年越しでの合格であった。明らかに当初想定していたよりも大幅に時間がかかり、想定外の事象もあり1次試験、2次試験どちらも本当に苦戦した。
 本当に走りきれたのが自分でも良くやったなと思うし、1次試験にいいところまで受かってしまうと諦めるのも難しくなり、受験のループに突入してしまう。実際今回2次受からなかった場合でも来年1次から受けなおす気でいた。

 そんな途中まで頑張って投げ出すわけにもいかないというバイアスもかかってしまうので、中小企業診断士の試験は恐ろしいと思う。興味本位で受け始めた試験が気づいた時には試験を受け続ける泥沼にはまっていたという人もいるかと思う。


■各年度の振り返り
 ここで各年度の振り返りをしていく。
 ・2019年(R1)
  初めて試験を受験した年。TACのテキストを買ってひたすら読んで独学で頑張ったが、当時の仕事の忙しさもあり時間が取れず見事に撃沈。

 ・2020年(R2)
  独学では勉強のペースも作り辛いと考え、ペースメーカーになると主に学習時間の調整がしやすいスタディングで勉強をする。
  結果、6科目で合格するが、最後の中小企業経営・中小企業政策で足切り。。。これが40点でも取っていたらこの年に1次通過していた。
  これが後々まで尾を引くことになる。。

 ・2021年(R3)
  去年不合格だった中小企業経営・中小企業政策と自身のあった経営情報システムのみ受ける。たったの2科目だけだったので余裕と思って受けた試験がなんとどちらも合格点未達!自分の本業でもある経営情報システムでも60点未満だったので、本当にショックだった。。これがしくじりの1つ目である。
  なお、今回落ちた2科目はこの年の難化科目のNo1とNo2だった。そんな運の悪さもあった。

 ・2022年(R4)
  去年と同じく2科目のみ受ける。今回は去年までの教訓もあったので、本当に念には念を入れてしっかり学習した上で試験に臨んだ。中小企業経営・中小企業政策はほぼ暗記科目で、自分はただの暗記はとても苦手としていたのだが、YouTubeのほらっち先生の講義動画を2周以上見て、講義の内容と暗記の内容を紐づけてしっかり覚えて勉強するようにした。その結果、2科目どちらも合格することができたのだった。そんなんで3年越しでの1次通過、かなり遠回りしてしまったなと思う。

  その後、2次試験の出願で2つ目のしくじりを犯すことになる。。9/26が〆切だと思った出願の〆切が実は9/22だったことを9/24に気づいたのだった!
  気づいた時には後の祭り。なんでこんな変な勘違いをしていたのか自分でも分からない。てか早めに出願しとけばこんなことにはならなかったのに、、何余裕ぶっこいていたんだと本気で後悔。本当に自分にはこういうありえないことがあるので、自分の今までの生き方を1から見直すほどに落ち込んだ。。

  ダメ元で9/26の月曜日に銀座にある中小企業診断士協会に行って、何とかねじ込めないかお願いしに行ったが、やはり門前払いだった。。。
  そんなんで2回しかないチャンスの1回を棒に振った直後はもう勉強する気も失せて全くその年は勉強しなかった。。

 ・2023年
  2次受験の資格がある最初で最後の年。これで落ちたらまた1次からということで、しっかり気合を入れて勉強を開始した、訳でもなく、この年は年始から転職活動を行っており、転職は見事第一希望の会社に内定を頂くことができたのだが、活動が終わったのが3月末くらいだった。そこから2次の予備校を決めて勉強を開始したのが4月中旬。

  予備校は2次のカリキュラムに特化しており、かつWeb講義の受講ができたA社とM社の2社に絞ったが、最終的に理論がしっかりしてそうだった所と、クレジットカードの決済ができたA社を選ぶことにした。それ以降の勉強の詳細は次回で述べることとする。

そんなんで、第1回目の投稿はこの辺で以上とする☆

205冊目:「負けに不思議の負けなし <完全版> 下巻」

2023-04-15 17:02:48 | 
総評:★★☆☆☆ 前回と同じ。
面白い度:★★☆☆☆ 当時の野球界を知らないとちょっと。。。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★☆☆☆ 当時の野球事情の話がメインだったのであまり。
また読みたい度:★☆☆☆☆ またはいいかなと思う。


前回読んだ本の下巻。

上巻とは内容はほぼほぼ変わらず。当時の野球情勢のことなど。
タメになることはちょいちょいあったかなという感じ。

この本を読んでいる間に「野村ノート」を入手したので、そちらが今はかなり気になっています。

今回は感想はここまでにして、タメになった部分を抜粋して終わりとする。

・ところで、ひとことで大投手といってもいくつかのタイプがある。私はそれを「金田型」と「稲尾型」とに分けている。~(中略)~
金田型というのはだいたい弱いチームの出身者に多い。バックはエラーをするし、打線もアテにならない。結局、頼れるのは自分の力だけである。どうしても唯我独尊、わが道をいくというスタイルになる。
 持って生まれた性格にもよるだろうが、しょっちゅう優勝を争うようなチームになると、同じ大投手族でも一味違う。プライドの高さという点では一歩もひけをとらないのだけれど、こちらは多少なりともチーム全体を考える。一種、幅の広さのようなものを持ち合わせている。~(中略)~
 金田型は自分が二十勝することがチームの優勝につながると考え、稲尾型は優勝するためには自分が二十勝しなければならないと発想する。どちらを優先させるか微妙なところだが、この選択が両者を分ける。~(中略)~
 しかし、こと練習や体調の維持の話になると金田型はすさまじい。徹底的に自分を痛めつける。稲尾型といえどもちょっとマネができない。鈴木の練習を見ていて感心したのは、キャッチボールひとつにしても決して手を抜かないことだ。並のピッチャーなら下手から投げたり横手から投げたり、ふざけるものだが、彼は投球時と同じフォームでキチっと投げる。ランニングをするときでも漫然とは走らない。ふとももを人より高く上げたり、腰をひねる運動をとりいれたり、小さなところで工夫を重ねている。
 鈴木はまた、雨を好むそうだ。私はゲームがなくて体を休ませることができるからかと思っていたが、聞けばそうではないらしい。
 「雨だと他人は練習せんやろ。その間にこちらはなる。差をつけるチャンスなんや」というのである。なるほど「個人商店型」だけのことはある。自分の身体だけが元手という冷厳なる事実を知りつくしている。

・だいたい監督業というのは選手を叱るのとほめるのが仕事の大半を占める。その両方が綾をなして、はじめて監督の個性が浮かびあがる。
 逆に選手たちは監督の𠮟り方、ほめ方を見ながら指揮官を理解していく。なかでも𠮟責は重要だ。叱るときはつい本音が出る。ふだんをオブラートに包んである監督の野球観が怒りの助けを借りて生身をさらす。逆説めくが、これが使う物と使われる者とのあいだに信頼や理解の橋をかける。重箱のスミまでほじくって、ガミガミやるのはどうかと思うが、信念にもとづく大目玉はチームに欠かすことができない。
 王と話していて、私は彼があまり叱らない監督だと思った。もろもろを自分でのみこんでしまうタイプなのである。しかし、これは、よくない。王の精神状態のためにもだが、それよりもナインとの相互理解を阻むという点で罪が重い。スミスにしてもガツンとやられないから、これでいいのかとタカをくくり、同じことを繰り返すに違いない。嘆く前に王にはやることがある。

(以下、野村監督と森昌彦監督との対談記事)
 ほんとに自分で勉強していこうという気がなかったら、ものを覚えないですよ。そうやってものを見るか、見ないか、そこでずいぶん差がついてくる。これは人に教えれられるものじゃない。ぼくはキャッチャーによくいうんです。味方が打ってるときでも、自分が座ってたら何をするかということを考えながら野球を追ってけと。やっぱりその積み重ねが、キャッチャーとしての第六感というか、そういうものを養っていくと思うんです。ほんとに数秒の中で相手の監督の采配、その打者の長所、欠点と、自分のところのピッチャーの調子、それに対する守備位置、すべてのものを指一本出す前に考えて、指を動かしていくわけだから、これは常日ごろの鍛え方というか、自分自身のそういうものがなかったら、瞬時にして頭をよぎらない。
 野村 だから必ず名捕手はヘビースモーカーになる(笑い)
 キャッチャーの適性を見るのはむずかしい。新人がはいってきて、白紙に戻してポジションを決めていくとして、ほかの選手だったら、足が速いとかで外野とかショートとかすぐ決まるんだよ。キャッチャーの最優先は性格なんだよね。ところが、性格を見抜くというのは時間がかかるんだよ。
  それもそうですよね。やっぱり、あんたもそうだけど、ねちっこさがなきゃだめだね。
 野村 わしはそんなものはないよ(笑い)
  そんなことはないよ
 野村 あんたは、十点取られても十一点取られまいとするキャッチャー。わしは10対0、もうええわってタイプ(笑い)
 森 十点取られても、あとの一点をとにかくやらん。という考え方がキャッチャーに一番大事なことであって、勝負なんてものはどう転がるか分からない。あきらめたら、それで終わりだし、一点取られても、二点目は何とか防ぐ。二点取られたら三点目はなんとか防ごう。その一点が必ずどこかで響いてくる。百三十ゲームの中で、一つ、二つ、そういうことの努力によって拾うことができたら、それは大きな星になって変わってくるからね。それは数字では表れてこないものであって、それこそキャッチャーとしての本領でしょうね。
 野村 野球の本質をきわめるというのは、キャッチャーがいちばんなんだ。ほかの野手の性格もつかめてくるし、コーチとか監督の能力もよく見えるからね。

野村 あまり見えすぎると、ついいろいろなことが言いたくなって嫌われることもあるやろ。キャッチャー出身のコーチがいるとうるさくてかなわん。森なんか、そう思われてんのとちがうか。
  嫌われたって、好かれてやろうと思っていないもの。選手に好かれるのがいいコーチなのか。その選手か一時はいやな思いをしたって、必ず将来、いわれたことがプラスになってはね返ってきたら、大きな財産になるし、チームにとってもものすごくプラスになる。だから、少々いやなことだっていわなきゃいかん。ぼくにいわせれば、選手に好かれようと思ったらコーチはやめたほうがいいと思う。それよりもまず自分の仕事が何か。チームが強くなる、勝つためには何をするかということのためには、やっぱりいやなこともいわなきゃ。だれも好きこのんで嫌われようとはしないけれど。
 野村 コーチだったら、見えないものを見るのがコーチだと思うんだ。ナイスピッチング、ナイスプレー、こんなのはお客さんでも見れるんだ。見えないところを見るのがコーチということになると、キャッチャーとして苦労した人が、いちばん適任なはすなんだよ。
  監督とピッチャーの間に入るということは、これほど辛いことはない。ぼくもずいぶん経験したけれど、何をとるかということですよね。チームの勝利を第一に考える。そういうことをすればピッチャーからいやがられる。監督から相談を受けるでしょ、そのときに、はっきり状態を報告する義務がある。あとの決定は、代えようが代えまいが、監督が持っているんだから。だけど、ピッチャーというものは、代えられたら、キャッチャーが余計なことをいったと解釈する。そういう板ばさみはものすごくあったよね。だけど、ある面では嫌われていかなきゃ、それは勝てはせんわ。同好会でやっているわけではないんだから。勝つのが目的であれば、正しい報告をするのが本当であってね・・・。
 野村 ヘッドコーチなんていうのは、監督にいいたいことをいっても嫌われてもいいと思うんだよね。いうべきことはいわないかんからね。それを生意気だというようじゃ、監督は失格だわ。

(以下、野村監督と西本幸雄監督との対談記事)
西本 成績は成績でしかたない。それよりもどういう力がついてきたかという、明確ななにかがのこせなければいけない。
 野村 結論的に、いい監督というのは、チームを去るときに何かを残したのがいい監督ということですね。
 西本 球団がコツコツ、コツコツ続いた努力をしていかないと、明確なものは残ってこない。やっぱり経営する会社の心意気が下まで通じなきゃいかん。その中で、中間管理職が若い人たちにどうやって心意気を伝達させるか、が勝負の分かれ道になるような気がするんですね。

そんな感じでしょうか?今回はこんな感じで以上☆

204冊目:「負けに不思議の負けなし <完全版> 上巻」

2023-04-08 18:42:58 | 
総評:★★☆☆☆ 1980年代の野球界の話。
面白い度:★★☆☆☆ 当時の野球界を知らないとちょっと。。。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★☆☆☆ 当時の野球事情の話がメインだったのであまり。
また読みたい度:★☆☆☆☆ またはいいかなと思う。



2020年に亡くなられた故・野村監督の本。

以前NHKで野村監督のスペシャル番組をやっていて、「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流 」など、中々深く刺さる言葉を残しており、さらに古田さん、高津さん、新庄さんなど、後々監督となる「人」をめちゃくちゃ残していっているプロ野球界のレジェンドなので、感動して野村監督の本を読んでみようと思ったのがきっかけである。

そんなんでまずは何の本を読んだらいいかもよくわからなかったので、メルカリで安かったので買ってみた。
野村監督だが、現役引退後、自分はずっと監督業をやっていたものだと思っていたのだが、実は1980年代くらいに解説者をやっていた時期があったらしく、その期間に新聞に連載を載せていたらしく、そこでの寄稿をまとめたのが、今回読んだ本であったのだった。


なので、読んでみて分かったが、野村さんがどのような考えてどのように生きていたとか決断してきたとか、そういった野村監督の人となりを知れるような本ではなく、当時の日本球界の情勢について、どのチームはいいとか、状態はどうとか、誰はいいとか、成績がどうだとか、そういったことが主につらつらと書かれていたのだった。

そんなんで、昔の選手の名前がめちゃくちゃ出てきた。江川とか、江夏とか、原とか、自分が知っている齋藤、槇原、桑田とか、クロマティとか篠塚とか、そこら辺の巨人黄金時代よりさらにもうちょっと前の日本球界のことが書かれていたので、自分としてはあまりピンとこなかったりしたのであった。


最後に、ためになると思った箇所を抜粋する。

・私にも苦い記憶がある。南海の監督をしたいたときのことだ。ある中堅選手がクビのリストに入っていたので、再就職のアテについてそれとなく尋ねた。するとその男は、「兄のやっている飲食店を手伝うぐらいしか道はありません」
 と、しおれきっている。私はかわいそうに思って二軍のコーチにした。それを言い渡したときの彼の笑顔ったらなかった。なのにシーズンも終わろうというころ、彼は裏にまわって私の追い出し運動を進めていた。
 もう一人の男はまるで上昇志向のかたまりだった。任命したときは実に調子のいいことをいっていたが、途中からガラリと変わった。家が同じ方向にある選手たちをいつの間にか抱きこんで私の悪口をいいふらす。本来、監督のところへ報告に来るべきことでも直接、球団社長のところへいく。そこでまた、悪口をばらまく。知らないのは監督ひとりだった。上り調子のときは何も見えないが、ちょっと落ち目になると人間が実によく見える。私の人生でこのときほど勉強させてもらった時期はない。~(中略)~
 コーチについて考え出すと、いつも死んだ蔭山さん(元南海監督)のことを思い出す。蔭山さんは私たちを指導するとき、いつも「オレが責任を持つから」といった。今、そう言えるコーチがいったい何人いるか。この文句はすでに死語になってしまったのではないか。もっとも、これは何も球界だけの現象ではなく社会一般にそうであるらしい。ご同輩諸氏、いかがでしょうか。


そんな感じでしょうか?下巻も頑張って読み進めたいと思う。