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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

208冊目:「ワーク・シフト」

2024-09-16 00:00:31 | 
総評:★★☆☆☆ 長かった。。
面白い度:★★☆☆☆ 思ったよりそこまで。
読みやすい度:★★☆☆☆ 洋書の翻訳なので読みにくめ。。。
ためになる度:★★★☆☆ 普通。
また読みたい度:★★☆☆☆ また読みたいとはあまり思わない。


結構前に読み終えた本。長くて読むのに時間がかかった。。
結構有名な本で、どこかで名著として挙がっていたので、読んでみることにした。

内容としては、働き方がこれからこういう風に変わっていくよと具体的なケースも踏まえて書かれた本だった。
2012年に第1版が発行されており、それから10年程経った今はほぼほぼその書かれた通りの世の中になっていると思う。

現在のビジネスの状態を言い当てている内容のため、今見ていると、ふーん、確かにそうだよねと言った感想になる。


概略としては、
時間、場所、一緒に働く人を問わず、世界中の人とビジネスを行っていく機会が増える。会社の檻を出て、個人的に仕事をマッチングする仕組みが台頭し、個人のスキルを活かして価値提供する働き方が増える。

そんな未来になるため、自分のこれからのスキルをどのように磨いていくかを考えておきましょうという、そういった内容だった。
英語の原本を日本語に訳された内容であるため、ちょっと読みにくい所もあり、そして長かったので、読むのに疲れた。。というのが率直な感想である。


期待の割にはそこまで得るものはなかったかな?といった感じでした。
一旦感想としては以上で、以下に興味深かった内容について抜粋する。


・社会の変化の要因に関しては、次の七つの現象が大きな意味をもつだろう。(以下、7つの項目の内容のみ抜粋)
 1 家族のあり方が変わる
 2 自分を見つめ直す人が増える
 3 女性の力が強くなる
 4 バランス重視の生き方を選ぶ男性が増える
 5 大企業や政府に対する不信感が強まる
 6 幸福感が弱まる
 7 余暇時間が増える

・以前から広告クリエイターや作家、デザイナー、イベントプランナー、社会理論化などのクリエイティブ・クラスの人たちは、自分の創造性に火をつけるために空想と想像を活用してきた。スポーツ選手やコンサルタント、研究者、数学者、セラピストなどの職種は、遊ばなければ高度な専門技能を磨けない。自分のやっていることに胸躍らせ、学習と訓練につきものの苦労を楽しみ、手ごわい課題に挑むことにやりがいを感じてはじめて、私たちは本当に高度な専門技能を習得できる。
 遊びが重要なのは、遊ぶことにより、普通は接点のない要素が組み合わさるからだ。人間関係の面でも、遊びを通じて、通常の仕事上の人間関係にとどまらない人的ネットワークを築き、いろいろなタイプの人と触れ、多彩なアイデアや手法を試せる。第9章で述べる「ビッグアイデア・クラウド(大きなアイデアの源となる群衆)」を活性化するうえでも、遊び感覚に満ちたやり取りや社交行事、趣味の活動がきわめて効果的だ。

・意識的に普段と違う場所に身を置いたり、自分と違うタイプのグループに適応して仲間に加えてもらったりすることは、ビッグアイデア・クラウドを築くうえで重要な戦略だ。しかし、そうした「プッシュ」の戦略に加えて、「プル」の戦略も実践できたほうがいい。自分の魅力を高めて、ほかの人たちがあなたのグループに自分を適応させたり、あなたと偶然出くわすことを期待したりするよう促すことも目指すべきだ。この点は、ポッセのメンバーを集める上でカギを握る要素だが、ビッグアイデア・クラウドを形成する際にも重要な要素となる。
 社交的なイメージがあって気軽に近づきやすく、互恵的に振る舞う人というイメージがあるので喜んで友達を紹介したくなる人は、ほかの人を引きつけやすい。しかし、おそらくそれ以上に重要なのは、おもしろくて知的興奮を与えてくれる人と思われること、そして、自分にアプローチする方法をほかの人たちにわかりやすく示すことだろう。そのために、ツイッターを活用してもいいし、コメント欄つきのブログを開設してもいいし、動画投稿サイトにメッセージを公開してもいい。今後は、オンライン上で人々が活発に情報を発信するのが当たり前の時代になる。そういう時代には、単に普段と違う世界に足を踏み出すだけでは十分でない。自分がどういう知的資産と専門性の持ち主かを広く知らしめることにより、人々を引きつけることが不可欠になる。

・仕事に関する古い約束事は、私たちにお金と地位の価値を過大評価させ、充実した経験がもたらす幸せを過小評価させる。古い約束事はお金を中核に据えているが、実は仕事と私生活における喜びの多くは値段をつけられない。最近一カ月の自分の心理を振り返ってみてほしい。あなたが幸せや満足、喜びを感じたのは、どういうときだっただろうか?当然、金を払って得る経験を通じて愉快な感情を味わったときもあっただろうが、無償の経験によってそういう感情を味わったときも多かったのではないか。友達との関係がもたらす喜び、仕事をやり遂げたときの達成感、野山を散策するときに感じるすがすがしさ、子どもと過ごす楽しい時間、日の出と日没を眺めて過ごすひと時は、金を払って手に入る経験ではない。

・想像してみてほしい。モノを大量に消費することを人生最大の願望と位置づけることをやめにしたら、どういう未来がやって来るだろう? 大量消費に代わり、充実した家庭生活や深い友情、やりがいのある刺激的な仕事、創造性と芸術を重んずる人生など、さまざまな要素が新たな優先事項になるかもしれない。
 そういう<シフト>が実現するための転換点は、どのようにして訪れるのか。制度や政策などの環境の変化がそれを後押しする面もあるだろうが、私たちが仕事について深く考えはじめてこそ、<シフト>が加速すると、私は思っている。と言っても、一人ひとりがほかの人と関係なしに、自分の頭の中だけで考え続けるべきだとは思わない。むしろ、人々がこのようなテーマについて語り合い、大勢の人が結びついてグローバルな変化を生み出していく可能性が高いと思っている。

そんな感じでしょうか?
今回はそんなんで以上☆

207冊目:「小が大を超えるマーケティングの法則」

2024-07-23 02:43:16 | 
総評:★★★★☆ なかなかすごい。
面白い度:★★★★☆ いい感じに面白かった。
読みやすい度:★★★★★ とても読みやすい。
ためになる度:★★★★★ スルメ本。
また読みたい度:★★★★☆ 中小企業の診断時に是非とも見返したい。



今までサッカー→野球と続いてきたが、久しぶりの知識本になる。

本自体は結構前に読み終わっていて、中小企業診断士の勉強をしていた時にマーケティングの教科書として予備校の先生に勧められた本であった。なので当時の勉強の合間にさらっと一読した本であった。

内容としては、タイトルの通り、小さい企業が大きい企業を超えるにはどうしたらいいかが書いてあった。
中小企業診断士のマーケティングの科目で教えられたことがほぼほぼ書いてあり、この本のエッセンスがそのまま2次試験の事例Ⅱ(マーケティングの科目)で使える内容だった。
てかこの本の著書の岩崎邦彦先生が中小企業診断士2次試験の事例Ⅱの科目の作問者だと言われている。

概要について簡単に言うと、
「何を」売るかではなく「なぜ」買うのか?というターゲットのニーズから考えていくこととか、マーケティングの4P で言うと、製品として、「こだわり」「専門性」を活かして品質と深い品揃えで勝負するとか、場所として「地域密着」を押し出すこととか、価格として低価格で勝負してはいけないこととか、プロモーションとして「人的コミュニケーション」「双方向コミュニケーション」を重視するとか、試験にはあまり出てこないが、口コミを利用するとか、そういった小さい企業が大きな企業に勝っていくための方法論?というか方向性が書かれていた。


そんなんで、事例Ⅱの教科書的な本なので、これを読んでおけば試験は問題なし!という内容であるのだが、実際自分は53点で合格点には未達となってしまった。。
まあ、自分はマーケティングは苦手でした。。この本を読んで受かるほど2次試験は簡単ではないですね。。

そんなんで、自分の中で知識の定着まではできなかったが某予備校では必ず読んでおけ!くらいに勧められるので、中小企業診断士を受ける方は一読して損はないかなという本でした。


最後に興味深かった内容について抜粋する。

・これまでの多くの小さな企業の試みをみると、自社の商品を何とか売り込もうと努力を続けてきた感がある。「商品が売れない。だから、何とかして、商品を売り込もう」。
 実は、これは、「販売の発想」である。マーケティングの発想は逆である。「マーケティング」は、どうしたら消費者が買いたい気持ちになるのかを考える。
 「つくったものをいかに売るか」が販売であり、「買いたくなる商品をいかに提供するか」がマーケティングだ。換言すると、販売活動のスタートポイントは「商品」だが、マーケティング活動は、「顧客」がスタートポイントになる。顧客が買いたくなる仕組みをつくること。それがマーケティングの目的なのである。
 ピーター・ドラッカーは、マーケティングの狙いは、販売を不要にすることであると言っている。消費者が商品を買いたくなってくれば、無理に売り込む必要はなくなるということだ。
 「どうすれば、商品を顧客に売ることができるのか」と考えるのではなく、「どうすれば、顧客が商品を買いたくなるのか」と考えることが大切なのである。

・消費者の関心があるのは、商品そのものではない。関心があるのは、その商品が自分にとって、どのような価値があるのか、どのような便益をもたらしてくれるのかだ。だから、人は「何を」にではなく、「なぜ」に動かされる。顧客の求める価値の前に、自らを正しく位置づけること。これがマーケティング活動の第一歩である。
 価値を浮き彫りにするためのキーワードも、「なぜ」だ。「なぜ」という問いを繰り返すことによって、自社が顧客に提供している潜在的な「価値」を浮かび上がらせることができる。

 「なぜ、消費者はこの商品を買うのだろうか」
 「なぜ、顧客は当社を選んでくれるのだろうか」

 これらに対する答えが、商品の「価値」であり、自社の「価値」である。
 「価値」は、売り手が決めるものではない。買い手が決めるものだ。たとえ自らが「価値」だと思っていても、消費者にとって魅力がなければ、それを「価値」と呼ぶことはできない。逆に、売り手が、大した価値がないと思っていても、消費者からみれば、魅力的なこともある。
 顧客の目線で、商品や自社の「価値」を把握できたら、あとは、それを磨きあげ、徹底的に伸ばしていくのである。
 企業の方に、「今は、が売れますか?」「これから売れる商品はですか」と聞かれることが多いが、こういった「の発想」ではマーケティングはなかなかうまくいかない。マーケティングに成功するためには、「何」の代わりに、「なぜ?」と問いかけることが重要だ。

・大きな企業には、顧客数の追求という「量のマーケティング」が要求されるためである。量の競争の先は「同質化」だ。同質化すれば、「価格競争」になる。そして、価格競争の行きつく先には、体力勝負の「消耗戦」が待っている。

 量の競争の結果、ニーズがあるのに空白になる地帯が生まれることがわかる。図中に「真空地帯」と示したエリアだ。規模が小さく「量のマーケティング」が要求されない企業は、「真空地帯」にポジショニングすることによって、小規模を強みに変えることができるということだ。
 大きな企業には、大きな企業のポジションがあり、小さな企業には、小さな企業なりのポジションがある。
 量を追求した結果、似てしまうという現象は、小売業以外でも、いろいろな場面でみることができる。たとえば、民放のテレビ番組は典型的な例だろう。消費者の娯楽へのニーズが多様化しているにもかかわらず、各局の番組はとても似ている。ある局で、お笑い芸人が出演するトーク番組の人気が出ると、他局でも同じような番組が始まる。ある局で頭脳を活性化させるようなクイズ番組が流行ると、他局も同じような番組をつくる。やさしくニュースを解説する番組が受けると、他の曲でも同じような番組を始める。これほど娯楽が多様化しているのに、なぜか?
 その理由は、きわめて単純だ。民放各局は「視聴率」という量の競争をしているためである。視聴率至上主義の行きつく先は、画一化、没個性化だ。それが今日、若者などにみられるテレビ離れの一因なのかもしれない。
 需要が多様化すればするほど、「不特定多数の人をたくさん集める」というビジネスモデルは成立しにくくなる。小さな企業が目指すべきは、「量的成長」でなく、「質的成長」なのである。

・一般的に企業は、自社が「売りたい人」をターゲットとして設定することが多い。ターゲットの選定の基準としてよく用いられるのは、「年代」や「性別」といった人口統計的特性や、「職業」や「収入」などの社会経済的特性などだ。たとえば、「当店のターゲットは、20代のOL」「当社の商品のターゲットは、50代以上の富裕層」といったイメージである。
 だが昨今、人口統計的特性や社会経済的特性による顧客セグメンテーション(分類)が、うまくいきにくくなっている。なぜなら、性別も年代も同じで、家族構成も収入も同じような人たちでも、求める価値が大きく異なってきたからである。
 そこで本書では、前記とは逆の発想をとることにしよう。ここで提案するのは、小さな店が「売りたい人」ではなく、小さな店で「買いたい人」、すなわち「小さな店にひかれる人々」をターゲットとしたマーケティングである。
 ターゲットとなる「小さな店にひかれる人々」の特性を調べ、その特性に十分適合したマーケティングを構築し、実行する。そうすれば、ターゲットのほうから、その企業を選択してくれる。顧客に無理な売り込みをしなくても、顧客が向こうからやって来てくれるはずである。

・この図から分かる、「小さな店にひかれる人々」の特性は、以下の通りだ
 特性1 「本物志向」が強い
  小さな店にひかれる人々は、「個性」「こだわり」「専門性」を重視する消費者層である。
 特性2 「人的コミュニケーション志向」が強い
  小さな店にひかれる人々は、「店員からのアドバイス」「店員とのコミュニケーション」「店員の親しみやすさ」を重視する消費者層である。
 特性3 「関係性志向」が強い
   小さな店にひかれる人々は、「『買い物はここ』と決めている店が多い」「気に入った店は、できるだけ長く使い続けたい」と考える消費者層である。つまり、企業との関係性=きずなを重視する。一度、気に入ったくれたらリピーターになってくれる。ターゲットとして、とても魅力的な顧客層だ。
 特性4 「地元志向」が強い
  小さな店にひかれる人々は、「家の近くで買い物をしたい」「歩いて行ける範囲で買い物をしたい」と考えている消費者層である。
 特性5 「低価格志向」ではない
  72ページの図表3-2をみると、「低価格志向」から「小さな店にひかれる」への矢印だけ、符号がマイナスになっている。つまり、小さな店にひかれる人々ほど、「価格の安さ」「安売り・バーゲンセール」を重視しない、非価格志向の消費者層である。

・「ほんもの」「きずな」「コミュニケーション」という3つの力の英語の頭文字は、A、B、Cとなっている。すなわち、潜在的な「小規模力」を現実の「チカラ」に変えるためには、「A・B・C」の3つの力が柱になるということだ。
 以下、具体的に見てみよう。
 ①A(Authenticity)「ほんもの力」
 1つ目は「ほんもの力」である。「小さな店にひかれる人々」の期待に応え るためには、個性、こだわり、専門性から生み出される力、すなわち「ほんもの力」の強化がポイントだ。低い価格で顧客をひきつけようとする戦略はとるべきではない。なぜなら、小規模店志向の消費者ほど、低価格を重視しない、非価格志向であるからだ。

 「ほんもの力」=個性×こだわり×専門性

 ②B(Bond)「きずな力」
 2つ目は「きずな力」である。店との「きずな」を重視する消費者ほど小さな店を好み、地元志向が強い消費者ほど小さな店にひかれている。したがって、「小さな店にひかれる人々」をひきつけるには、「顧客とのきずな」と「地域とのきずな」という、2つの「きずな力」を強化することがポイントだ。

 「きずな力」=顧客とのきずな×地域とのきずな

 ③C(Communication)「コミュニケーション力」
 3つ目は「コミュニケーション力」である。人的コミュニケーション志向が強い消費者ほど、小さな店に魅力を感じている。したがって、「小さな店にひかれる人々」をひきつけるためには、人を通じた「コミュニケーション力」を強化することが大切となる。「店員の親しみやすさや態度」といった接遇に関するコミュニケーションのレベルアップはもちろんのこと、顧客の声を吸い上げること、さらには「顧客へのアドバイス、提案、情報提供」など、人を通じた専門知識の伝達も大切なポイントになるだろう。

 「コミュニケーション力」=接遇×情報の受信×情報の発信

・成長の裏に「シンボル」あり
 大企業をみても、「核商品」が成長のキーポイントとなっているケースが多い。たとえば、我が国有数の中華料理チェーン、「餃子の王将」。もしも店名が 「中華の王将」だったら、今のように成長できただろうか。
 「餃子」をシンボルとして、個性を発信する手法が、顧客を集め、顧客の支持を得たのである。「餃子の王将」には、餃子以外にも、ラーメン、チャーハン、焼きそば、レバニラ炒め、八宝菜、ちゃんぽん、皿うどんなど多様な中華メニューがある。だが、「中華の王将」として、「ラーメン、チャーハン、焼きそば、その他、中華なら何でもあります」といった訴求方法をとっていたならば、今日のように顧客の支持を得ることはなかったはずだ。
 アパレルのトップ企業の「ユニクロ」も、成長のきっかけはフリースへの集中だ。柳井正社長も、「何かに特化していかなければと思った」と語っている。「フリースに自信あり」という広告を打ち、フリースに経営資源を集中したのである。


一旦こんな感じだろうか?
他にも「きずな力」「コミュニケーション力」にも色々タメになる内容はあったが重要なエッセンスは記載できたかなと思う。

何か診断士の勉強をしていた時には時間もなくテンパっていたせいかさらっと流し見してしまったが、こうやって改めて見てみるととても重要なエッセンスが凝縮された良書だなと思った。

ちなみに先日、中小企業診断士の実務補習という実際の診断を経験してみましょうという補習をやっていたのだが、そこでお世話になった指導員の先生(結構えらい方)も、前述したピーター・ドラッカーの「販売を不要にすること」論について、自分たちに教えてくれた。
この本を改めて見返して、先生が言っていたことだ!と思いだしたが、この教えは診断士界には常識なのであろうか?気になった。

そんなんで、中小企業を経営されている方に是非ともお勧めしたい本であった。
ということで今回は以上☆

206冊目:「野村ノート」

2024-05-17 23:54:03 | 
総評:★★★★☆ いい感じ。
面白い度:★★★★★ さらっと読み終わってしまった。
読みやすい度:★★★★★ とても読みやすい。
ためになる度:★★★★☆ ためになる内容多数。
また読みたい度:★★★☆☆ 機会があれば。



久ぶりに読んだ本の投稿をする。

今まで中小企業診断士のカテゴリーの投稿を続けていたが、色々一段落したので、また読んだ本の投稿を続けていきたいと思う。
読んでそのままになっている本が色々溜まっているので。。。(笑)


そんなんで再開後の1冊目は前回投稿した野村克也さん関連の本である。

前回の「負けに不思議の負けなし」はノムさんが新聞紙上に連載していた記事のまとめだったので、当時のプロ野球界の内容がメインで、どちらかというと外れ本だった。。。(笑)

でも今回の「野村ノート」はレビューの評価も高く、こちらの方が楽しみにしていた本だった。
そんなんで読んでもやはりなかなか面白い内容だった。


野村さんは監督時代、毎日ミーティングを実施し、野村さんの考えや野球のルール、戦術など自らの考えを選手たちに教える時間を作っていたらしい。

それをありがたいと思った選手もそうでない選手もいたと思うが、自分から見ると、そんな野村さんの考えを毎日聞ける時間があるなんてなんて贅沢なんだ!と思う。

もちろん名捕手の古田さんとかは野村イズムの体現者で、めちゃくちゃ教えを受けたということだが、長嶋一茂さんはそんなミーティングの時間、ノートを取らず寝ていたらしい(笑)
それはそれでただ者じゃないと思う。

そんな野村さんは、「野村再生工場」で有名で、当時他球団で成績の振るわなかった選手を引っ張ってきては見事に立て直し、プロ野球の第一線で大きな活躍をする選手に育て上げたらしい。
自分もそんな人間になりたい。


野村さんはどこでそんな達観した考えを得ることができたのだろう?
とりあえず、この本は目次からもう凄い「ぶっ刺さる」内容になっている。
目次は次の通りである。

第1章 意識改革で組織は変わる
第2章 管理、指導は経験がベースとなる
第3章 指揮官の最初の仕事は戦力分析にある
第4章 才能は学から生まれる
第5章 中心なき組織は機能しない
第6章 組織はリーダーの力量以上には伸びない
第7章 指揮官の重要な仕事は人づくりである
第8章 人間学のない者に指導者の資格なし

もう凄い。何かのビジネス書?と思う内容である。
もう「その通りです」としか言えない。


野村さんの深淵な考え、知見、とても興味深く、プロ野球という業界で活躍された方だが、ビジネス界におられた場合でも本当に輝かしい功績を残せた方なんだろうなあと思う。


「監督業」はとても興味深い。
野村さん、侍ジャパンを率いた栗山監督。
サッカーで言うと去年J2を率いて1年でJ1に昇格し、さらに現在J1の首位にいる町田ゼルビアを率いる黒田監督、今年の箱根駅伝優勝した青山学院率いる原晋監督。
海外で言うとリバプールを率いるクロップ監督、マンチェスターシティのグアルディオラ監督、現在アーセナルを率いているアルテタ監督、また去年からトットナムを率いているポステコグルー監督、アトレティコマドリードのシメオネ監督、最近で言うとレバークーゼンを率いるシャビ・アロンソ監督等々。

どのような理念を持ってどのような考え方、戦術を選手たちに植え付けているのか、選手たちをどのように管理しているのか、とても興味深い。
皆さんとても人間味があり、チームの選手たちの心を鷲掴みにしているんだろう。

そんな組織を成長させ、成果を出し、そして人を成長させられる、人間味のあふれる人に自分もなりたいと思う。
というのが今回の感想を書きながら思ったことでした。


そんなんで興味深かった内容を抜粋する。

・私は監督をやっていくうえで、次の5原則に従って職務を遂行してきた。
 ①「人生」と「仕事」は常に連動しているということを自覚せよ。(仕事を通じて人間形成、人格形成をしていくということ)
 ②人生論が確立されていないかぎりいい仕事はできないということを肝に銘じておくこと。人間はなぜ生まれてくるのか。それは「生きるため」と「存在するため」である。すなわち価値観と存在感である。その人の価値や存在感は他人が決めるものだ。従って、他人の評価こそが正しいということになる。”評価に始まって評価に終わる”と言われる所以である。
 ③野球をやるうえで重要なのは、「目」(目のつけどころが大事だ)、「頭」(考えろ、工夫しろ)、「感性」(感じる力を養え。それには負けじ魂や貪欲な向上心やハングリー精神がポイントとなる)の3つである。
 ④技術的能力の発揮には次の3点、「コツ」(投げる、打つ、守る、走るときのコツ(感覚)を覚える)、「ツボ」(相手チームの得意な形、相手バッテリーの配球の傾向、マークする選手、打席でのマークする球種、相手打者の攻略法、クセ探しなどのツボを押さえておくこと)、「注意点」(相手のなかでマークする選手、投手は相手のコースや球種は絶対になげない、理想のフォームを崩さないための”意識付け”をしておくこと。性格面もそうであるように無意識だとどうしても欠点がでてしまう)が重要である。
 ⑤無形の力をつけよ。技量だけでは勝てない。形に出ない力を身につけることは極めて重要である。情報収集と活用、観察力、分析力、判断力、決断力、先見力、ひらめき、鋭い勘等々である。

・「うちは他のチームより進んだ野球をやっている」という思いを生じさせ、さらにデータをもとに具体的な攻略法を授けると、「それならおれにもできそうだ」という気にさせることができる。選手の監督に対する尊敬と信頼が芽生え、他チームに対しては優越感や優位感のようなものが生じる。これがチームにとって大きな効果を生み、戦力となる。
 弱いチームには特にそういう優位感をもたせることが必要だ。なにせ選手も自分たちは弱いと思っており、たとえば巨人のような豊富な資金で有望選手を次々と獲得しているチームと対戦すると、劣等感で勝負をする前にびびってしまう。
 ところが優位感をもたせると、選手が変わってくる。まずヤジが違ってきて、相手がちょっと奇策めいたことをしても、「そんなの古い、古い」という声がどこからか出てくる。これは相手を見下ろしている証拠で、こうして選手の意識はおのずといいムードに変わっていく。
 逆に相手は「ヤクルトは何をやってくるかわからない」 とおどおどし始めて、こちらが何もしなくても、過剰な警戒心から集中力を失い、ミスを犯す。スクイズやエンドラン、あるいは盗塁を警戒したあげく結局四球を出すなどが、その代表例だ。他にも足の速い走者が塁に出て、走るぞ走るぞと見せかけることで、走られたくないバッテリー心理から甘い直球を投じさせるなどの現象が生じる。

・チームは2年、3年のビジョンで考えれば、少しずつでも変わることはできる。
 そこで大事になるのは、人間はみな人生を生き抜くという使命をもって存在しているということを選手に説き、その使命感を選手ひとりひとりに認識させることである。だからこそいやが応にも、人生を教えなくてはならないのだ。
 人生という2文字から私は次の4つの言葉を連想する。
 「人として生まれる」(運命)
 「人として生きる」(責任と使命)
 「人を生かす」(仕事、チーム力)
 「人を生む」(繁栄、育成、継続)
 監督においては3番目の「人を生かす」が求められる。「人を生かす」プレーが選手を伸ばし、そしてチームの力となる。選手それぞれを動かすことで、他の選手が活きる。強いチームになるにはこうした相乗効果が不可欠である。
 さらにチームをつくりあげるうえでは2つ目の「人として生きる」を選手に徹底して教え込まなくてはいけない。
 人間とは人の間と書くが、そもそも人と人との間にいるのが人間であり、そのためにはいかに人間関係を円滑に生きていくかということが、人生では大きな比重を占める。
 ところが職人気質が多いプロ野球選手は、この点がたいへん無頓着である。自分ひとりでうまくなった。自分で勝てたとすぐ錯覚するが、人は全然そう思ってくれていないということが往々にしてある。謙虚さ、素直さが要求されるのはそのためだ。
 自分が思うほど人は思っていないということをどうやって選手にわからせるか。評価は人が下した評価こそが正しいのだ。

・ヤンキースや巨人のように、毎年膨大な資金で補強しても優勝できるとはかぎらない。強い者が必ず勝つとはかぎらないのが野球である。
 ならば4対6、あるいは3対7ほどの戦力差がある弱者が強者に勝つにはどうしたらいいか。それは野球というスポーツの性質をよく理解し、その特性にのっとって相手の心理を探り、対策、戦略を練る―ひと言でいえば、考えて戦うことだ。

・長く監督をやってわかったことは、選手時代に悩んだり苦労していない、創意工夫していない、頭を使わずにプレーしてきた。そういった選手はコーチをやってもろくな指導ができないということである。
 相手ピッチャーを打てない。選手がそういう局面に接したとき、「ちょっと頭をひねって工夫してみろ」といった程度のアドバイスも送れない。
 どのコーチも打者への技術指導の内容はさほど変わらない。
 「ヘッドが下がっている」
 「バットが下から出ている」
 「肩が開いている」
 「軸足に体重が乗っていない」
 「トップの形ができていない」
 コーチのアドバイスとはその程度のもの。それでも打てないから打者は困っているのだ。
 指導者に求められるのは、選手にどうすれば実践力をつけることができるかということである。
 「おれの現役のときは、こういうタイプのピッチャーにはこう対処した。おまえも一度やってみんか」といったアドバイスができるようになるには、やはり選手時代からしっかり考え、悩み、苦しんでおかなければならない。そのなかから方法を見つける。そういうことが将来、指導者になったときに必ず活きる。野球にかぎらず、どんな職業においても、いいものをつくる、いい結果をだすには自分が得た経験がベースとなる。これらは管理職共通のテーマである。

・理をもって戦うということが私の戦い方の根底にあるが、ふだんから観察や洞察、あるいは考えるという行為をなおざりにしていると、いざという場面で何をもとにした配球を探るべきか、その根拠となる理を探すことができない。
 世の中に存在するものはすべて理があるというが、なるほどそう思う。野球などはまさに理でもって成り立っている。その理を活かすのが、勝利への近道と言える。

・決断と判断。監督になったばかりのころ、私はこのふたつの言葉を混同していた。ところがあるとき、まったく意味が異なると気づいた。
 「決断」とは賭けである。何に賭けるか根拠が求められる。また決断する以上、責任は自分で取るという度量の広さをもたなくてはならない。「功は人に譲る」という精神をもって決断しなくてはならない。覚悟に勝る決断なし、つまり迷ったら覚悟を決めること。決断力と包容力は表裏一体である。
 一方、「判断」とは頭でやるもの。知識量や修羅場の経験がものをいう。判断に求められるのは判断するにあたっての基準、根拠があるかどうかである。
 監督の采配のなかで、決断(=賭け)ではなく、判断(=基準がある)が求められるものがある。選手起用や代打、そして投手交代など選手の抜擢であり、なかでも投手交代、継投というものは完全に判断能力が問われる。

・私は指揮官、つまりリーダーについて、常に以下のことを念頭に置いている。
 ①リーダーいかんによって組織全体はどうにでも変わる。
 ②リーダーはその職場の気流にならなくてはならない。
 ③リーダーの職務とは「壊す・創る・守る」

 ①については、「水は方円の器に随う」という言葉があるが、器(指揮官)が四角ければ水(組織)は四角く、円ければ円く、指揮官しだいでどうにでも変わってしまうものなのである。
 ②はまさに自分が率いる人間を巻き込むことができるかどうか。ひとりひとりに仕事の意義を感じさせ、興奮させる。感奮興起という言葉があるが、感じて奮い立たせる、意気が奮い起こるそれこそが指揮官の使命である。
 ③は信長(旧価値社会の破壊)、秀吉(新価値社会の建設)、家康(既存の事業のローリングによる維持管理)、この3つの作業を組み合わせることができるかどうか。
 リーダーはチームが機能する軸を「まとまり」におかなくてはならない。まとまりを無視し、ただ能力の高い選手を集めて、個々の選手の能力の合計=チーム力と考えてしまうと、「これだけの選手がいるのに、なぜうちは結果が出ないんだろう」というジレンマに襲われる。
 「まとまり」とはわかりやすくいえば、目的意識、達成意欲をみんなが持ち続けることである。全員が”勝とうぜ”という気になってくれることなのだ。


そんな感じでしょうか?
前回までの野村監督の本に比べてとても興味深く、得るものが多い本でした。
そんなんで今回は以上☆


205冊目:「負けに不思議の負けなし <完全版> 下巻」

2023-04-15 17:02:48 | 
総評:★★☆☆☆ 前回と同じ。
面白い度:★★☆☆☆ 当時の野球界を知らないとちょっと。。。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★☆☆☆ 当時の野球事情の話がメインだったのであまり。
また読みたい度:★☆☆☆☆ またはいいかなと思う。


前回読んだ本の下巻。

上巻とは内容はほぼほぼ変わらず。当時の野球情勢のことなど。
タメになることはちょいちょいあったかなという感じ。

この本を読んでいる間に「野村ノート」を入手したので、そちらが今はかなり気になっています。

今回は感想はここまでにして、タメになった部分を抜粋して終わりとする。

・ところで、ひとことで大投手といってもいくつかのタイプがある。私はそれを「金田型」と「稲尾型」とに分けている。~(中略)~
金田型というのはだいたい弱いチームの出身者に多い。バックはエラーをするし、打線もアテにならない。結局、頼れるのは自分の力だけである。どうしても唯我独尊、わが道をいくというスタイルになる。
 持って生まれた性格にもよるだろうが、しょっちゅう優勝を争うようなチームになると、同じ大投手族でも一味違う。プライドの高さという点では一歩もひけをとらないのだけれど、こちらは多少なりともチーム全体を考える。一種、幅の広さのようなものを持ち合わせている。~(中略)~
 金田型は自分が二十勝することがチームの優勝につながると考え、稲尾型は優勝するためには自分が二十勝しなければならないと発想する。どちらを優先させるか微妙なところだが、この選択が両者を分ける。~(中略)~
 しかし、こと練習や体調の維持の話になると金田型はすさまじい。徹底的に自分を痛めつける。稲尾型といえどもちょっとマネができない。鈴木の練習を見ていて感心したのは、キャッチボールひとつにしても決して手を抜かないことだ。並のピッチャーなら下手から投げたり横手から投げたり、ふざけるものだが、彼は投球時と同じフォームでキチっと投げる。ランニングをするときでも漫然とは走らない。ふとももを人より高く上げたり、腰をひねる運動をとりいれたり、小さなところで工夫を重ねている。
 鈴木はまた、雨を好むそうだ。私はゲームがなくて体を休ませることができるからかと思っていたが、聞けばそうではないらしい。
 「雨だと他人は練習せんやろ。その間にこちらはなる。差をつけるチャンスなんや」というのである。なるほど「個人商店型」だけのことはある。自分の身体だけが元手という冷厳なる事実を知りつくしている。

・だいたい監督業というのは選手を叱るのとほめるのが仕事の大半を占める。その両方が綾をなして、はじめて監督の個性が浮かびあがる。
 逆に選手たちは監督の𠮟り方、ほめ方を見ながら指揮官を理解していく。なかでも𠮟責は重要だ。叱るときはつい本音が出る。ふだんをオブラートに包んである監督の野球観が怒りの助けを借りて生身をさらす。逆説めくが、これが使う物と使われる者とのあいだに信頼や理解の橋をかける。重箱のスミまでほじくって、ガミガミやるのはどうかと思うが、信念にもとづく大目玉はチームに欠かすことができない。
 王と話していて、私は彼があまり叱らない監督だと思った。もろもろを自分でのみこんでしまうタイプなのである。しかし、これは、よくない。王の精神状態のためにもだが、それよりもナインとの相互理解を阻むという点で罪が重い。スミスにしてもガツンとやられないから、これでいいのかとタカをくくり、同じことを繰り返すに違いない。嘆く前に王にはやることがある。

(以下、野村監督と森昌彦監督との対談記事)
 ほんとに自分で勉強していこうという気がなかったら、ものを覚えないですよ。そうやってものを見るか、見ないか、そこでずいぶん差がついてくる。これは人に教えれられるものじゃない。ぼくはキャッチャーによくいうんです。味方が打ってるときでも、自分が座ってたら何をするかということを考えながら野球を追ってけと。やっぱりその積み重ねが、キャッチャーとしての第六感というか、そういうものを養っていくと思うんです。ほんとに数秒の中で相手の監督の采配、その打者の長所、欠点と、自分のところのピッチャーの調子、それに対する守備位置、すべてのものを指一本出す前に考えて、指を動かしていくわけだから、これは常日ごろの鍛え方というか、自分自身のそういうものがなかったら、瞬時にして頭をよぎらない。
 野村 だから必ず名捕手はヘビースモーカーになる(笑い)
 キャッチャーの適性を見るのはむずかしい。新人がはいってきて、白紙に戻してポジションを決めていくとして、ほかの選手だったら、足が速いとかで外野とかショートとかすぐ決まるんだよ。キャッチャーの最優先は性格なんだよね。ところが、性格を見抜くというのは時間がかかるんだよ。
  それもそうですよね。やっぱり、あんたもそうだけど、ねちっこさがなきゃだめだね。
 野村 わしはそんなものはないよ(笑い)
  そんなことはないよ
 野村 あんたは、十点取られても十一点取られまいとするキャッチャー。わしは10対0、もうええわってタイプ(笑い)
 森 十点取られても、あとの一点をとにかくやらん。という考え方がキャッチャーに一番大事なことであって、勝負なんてものはどう転がるか分からない。あきらめたら、それで終わりだし、一点取られても、二点目は何とか防ぐ。二点取られたら三点目はなんとか防ごう。その一点が必ずどこかで響いてくる。百三十ゲームの中で、一つ、二つ、そういうことの努力によって拾うことができたら、それは大きな星になって変わってくるからね。それは数字では表れてこないものであって、それこそキャッチャーとしての本領でしょうね。
 野村 野球の本質をきわめるというのは、キャッチャーがいちばんなんだ。ほかの野手の性格もつかめてくるし、コーチとか監督の能力もよく見えるからね。

野村 あまり見えすぎると、ついいろいろなことが言いたくなって嫌われることもあるやろ。キャッチャー出身のコーチがいるとうるさくてかなわん。森なんか、そう思われてんのとちがうか。
  嫌われたって、好かれてやろうと思っていないもの。選手に好かれるのがいいコーチなのか。その選手か一時はいやな思いをしたって、必ず将来、いわれたことがプラスになってはね返ってきたら、大きな財産になるし、チームにとってもものすごくプラスになる。だから、少々いやなことだっていわなきゃいかん。ぼくにいわせれば、選手に好かれようと思ったらコーチはやめたほうがいいと思う。それよりもまず自分の仕事が何か。チームが強くなる、勝つためには何をするかということのためには、やっぱりいやなこともいわなきゃ。だれも好きこのんで嫌われようとはしないけれど。
 野村 コーチだったら、見えないものを見るのがコーチだと思うんだ。ナイスピッチング、ナイスプレー、こんなのはお客さんでも見れるんだ。見えないところを見るのがコーチということになると、キャッチャーとして苦労した人が、いちばん適任なはすなんだよ。
  監督とピッチャーの間に入るということは、これほど辛いことはない。ぼくもずいぶん経験したけれど、何をとるかということですよね。チームの勝利を第一に考える。そういうことをすればピッチャーからいやがられる。監督から相談を受けるでしょ、そのときに、はっきり状態を報告する義務がある。あとの決定は、代えようが代えまいが、監督が持っているんだから。だけど、ピッチャーというものは、代えられたら、キャッチャーが余計なことをいったと解釈する。そういう板ばさみはものすごくあったよね。だけど、ある面では嫌われていかなきゃ、それは勝てはせんわ。同好会でやっているわけではないんだから。勝つのが目的であれば、正しい報告をするのが本当であってね・・・。
 野村 ヘッドコーチなんていうのは、監督にいいたいことをいっても嫌われてもいいと思うんだよね。いうべきことはいわないかんからね。それを生意気だというようじゃ、監督は失格だわ。

(以下、野村監督と西本幸雄監督との対談記事)
西本 成績は成績でしかたない。それよりもどういう力がついてきたかという、明確ななにかがのこせなければいけない。
 野村 結論的に、いい監督というのは、チームを去るときに何かを残したのがいい監督ということですね。
 西本 球団がコツコツ、コツコツ続いた努力をしていかないと、明確なものは残ってこない。やっぱり経営する会社の心意気が下まで通じなきゃいかん。その中で、中間管理職が若い人たちにどうやって心意気を伝達させるか、が勝負の分かれ道になるような気がするんですね。

そんな感じでしょうか?今回はこんな感じで以上☆

204冊目:「負けに不思議の負けなし <完全版> 上巻」

2023-04-08 18:42:58 | 
総評:★★☆☆☆ 1980年代の野球界の話。
面白い度:★★☆☆☆ 当時の野球界を知らないとちょっと。。。
読みやすい度:★★★☆☆ 普通。
ためになる度:★★☆☆☆ 当時の野球事情の話がメインだったのであまり。
また読みたい度:★☆☆☆☆ またはいいかなと思う。



2020年に亡くなられた故・野村監督の本。

以前NHKで野村監督のスペシャル番組をやっていて、「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流 」など、中々深く刺さる言葉を残しており、さらに古田さん、高津さん、新庄さんなど、後々監督となる「人」をめちゃくちゃ残していっているプロ野球界のレジェンドなので、感動して野村監督の本を読んでみようと思ったのがきっかけである。

そんなんでまずは何の本を読んだらいいかもよくわからなかったので、メルカリで安かったので買ってみた。
野村監督だが、現役引退後、自分はずっと監督業をやっていたものだと思っていたのだが、実は1980年代くらいに解説者をやっていた時期があったらしく、その期間に新聞に連載を載せていたらしく、そこでの寄稿をまとめたのが、今回読んだ本であったのだった。


なので、読んでみて分かったが、野村さんがどのような考えてどのように生きていたとか決断してきたとか、そういった野村監督の人となりを知れるような本ではなく、当時の日本球界の情勢について、どのチームはいいとか、状態はどうとか、誰はいいとか、成績がどうだとか、そういったことが主につらつらと書かれていたのだった。

そんなんで、昔の選手の名前がめちゃくちゃ出てきた。江川とか、江夏とか、原とか、自分が知っている齋藤、槇原、桑田とか、クロマティとか篠塚とか、そこら辺の巨人黄金時代よりさらにもうちょっと前の日本球界のことが書かれていたので、自分としてはあまりピンとこなかったりしたのであった。


最後に、ためになると思った箇所を抜粋する。

・私にも苦い記憶がある。南海の監督をしたいたときのことだ。ある中堅選手がクビのリストに入っていたので、再就職のアテについてそれとなく尋ねた。するとその男は、「兄のやっている飲食店を手伝うぐらいしか道はありません」
 と、しおれきっている。私はかわいそうに思って二軍のコーチにした。それを言い渡したときの彼の笑顔ったらなかった。なのにシーズンも終わろうというころ、彼は裏にまわって私の追い出し運動を進めていた。
 もう一人の男はまるで上昇志向のかたまりだった。任命したときは実に調子のいいことをいっていたが、途中からガラリと変わった。家が同じ方向にある選手たちをいつの間にか抱きこんで私の悪口をいいふらす。本来、監督のところへ報告に来るべきことでも直接、球団社長のところへいく。そこでまた、悪口をばらまく。知らないのは監督ひとりだった。上り調子のときは何も見えないが、ちょっと落ち目になると人間が実によく見える。私の人生でこのときほど勉強させてもらった時期はない。~(中略)~
 コーチについて考え出すと、いつも死んだ蔭山さん(元南海監督)のことを思い出す。蔭山さんは私たちを指導するとき、いつも「オレが責任を持つから」といった。今、そう言えるコーチがいったい何人いるか。この文句はすでに死語になってしまったのではないか。もっとも、これは何も球界だけの現象ではなく社会一般にそうであるらしい。ご同輩諸氏、いかがでしょうか。


そんな感じでしょうか?下巻も頑張って読み進めたいと思う。