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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

116冊目:「神との対話」

2013-10-03 20:42:57 | 
総評:★★★★☆ すごかったが、長かった・・・
面白い度:★★★☆☆ 面白くはあまりない。
読みやすい度:★★☆☆☆ 難しい概念もちらほら。
ためになる度:★★★★★ 超タメになった。
また読みたい度:★★☆☆☆ 一冊読み返しはしないだろう。


今回もスピリチュアル系。
作者のニール・ドナルド・ウォルシュが、恨みつらみを日記?に書いている時に、自動書記が始まり、神と筆記で対話できるようになり、その筆記で会話した内容が書かれている本。

前回の「前世療法」でもそうだが、神と呼ばれる偉大なマスターと直に対話している。

神が言うには基本的に悪だったり、悪いことというのは無く、何をしてはいけない、何をしなさいなどの戒律は神は求めていない。基本人の自由意志に委ねているらしい。
宗教で色々戒律が決まっていたり、これをこうしろとか定めているのは、宗教の都合で勝手にやっているとのこと。
もしやってはいけないこととかがあるのだったら、そもそもそういう風に人を作っていないらしい(笑)

あまり宗教や、特定の思想に流されず、自分の考えるまま、感情の動かされるままに生きていったらいいんだと思った。
もちろん人を殺しちゃいけない、盗みをしてはいけないというのは分かる。それは自由といってもそれはやはりその人の考え、良心に依るもので、それはそれで人として普通の考えだから誰もやらないんだろうなあと思った。
そういう縛りは当然だと思うし、国の法律で罰せられるから日本で暮らす上では基本誰もやらない。
しかし神はその行動をもやってはいけない。とは必ずしも言っていないのが分かった。

イスラム教では食べてはいけないものとか、1日に5回(だっけ?)の礼拝を定めているが、それは神がそうしろと言った訳ではなくて、人間の都合で創りだしたものなんだろうなあと思った。
そんなんで旧約聖書、新約聖書も、かなり人が都合のいいように改ざんされてきたんじゃないかとも思う。
しかし新約聖書の隣人を愛せ、とか赦せといった基本的な考え方は間違っていないと思う。
神は人が考え、行動することに基本委ねているんだなと思った。

とりあえず、この本を読んで、人は何にも縛られず、自由なんだなと思った。
自分も良くわかっていない所もあるが、人は神であり、人は全てだといったことも言っていた。まだそういうことは分からないが、分かる人はこの神の言っていることも分かるのだろう。
そして、病は気から、肉体と精神は密接に結びついている。肉体と精神の良いバランスをもって、どっちかがどっちかの足を引っ張らないようにうまく体、心をコントロールするのが大事なんだなとも思った。
そして魂。魂は自分の本当のあり方、あるべき姿を望んでいる。魂はあまり体や心を操ったりはしない。しかし、こうあるべきだというようなメッセージは感情などを通して送っている。
その魂のこうありたいという思いをキャッチし、健全な体と心でそれを実現して行くのが人生において大切なことなんだなと思った。

ある人には金は大事で、崇高なものである。ある人には金は悪で、後ろめたいものである。
その考え方の違いはそれはそれでいい。魂がそうメッセージを送っているのであれば、それはそれで正しいと思う。
ただし、お金は邪悪で後ろめたいものと思っていたら、それはそれでお金は遠ざかって行ってしまう。
お金への自分の考え方一つで、お金を引き寄せたり遠ざけたりするのだ。
まあ一例として、そういうものなのだということが分かった。

そして、思考→言葉→行動。
この順序で、自分の思い通りの人生にし、自分の思うものや出来事を引き寄せていったらいいということが分かった。
どうしても自分のネガティブな考えが支配するようだったら、行動→言葉→思考の順序で無理矢理にでも自分の潜在意識を変えて行くのは必要なのだということが分かった。


そんな面白い考え方が分かった本であった。


最後に、面白いと思った箇所について抜粋する。

・最高の考えには、必ず喜びがある。くもりのない言葉には真実が含まれている。もっとも偉大な感情、それは愛である。
喜び、真実、愛
この三つは入れ替えることもできるし、互いにつながり合っている。

・間違っていると思うときには、とくに耳を傾けるべきだ。何でも自分が正しいと思っていたら、どうして神と語る必要があるのか。

・前進するには、「わたしが、『間違っている』と思ったすべてがほんとうは『正しい』としたら、どうだろう?」と自分に問うしかない。すぐれた科学者は、そのことをよく知っている。研究がうまくいかないとき、科学者はすべての前提を捨てて、一からやり直す。偉大な発見はすべて、「正しくない」ことを恐れない意志と能力によってなしとげられた。

・したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。

・人間の行動のすべては、愛か不安に根ざしている。人間関係だけではない。ビジネスや産業、政治、宗教、子供たちの教育、国家の社会問題、社会の経済的目標、戦争や平和、襲撃、防衛、攻撃、降伏に影響を及ぼす決断、欲しがったり与えたり、ためこんだり分けあったり、団結したり分裂したりという意思決定、自由な選択のすべてが、存在しうるただ二つの考えから発している。愛という考えか、不安という考えから。

・あなたがたの心の声は、わたしのいちばん大きな声だ。なぜなら、あなたがたにいちばん身近な声だから。心の声は、すべてについて、あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる。それに従う気になりさえすれば、針路を決めるレーダー、船の舵、旅の道案内となる。

・あらゆる生命の目的はひとつしかない。あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、できるかぎりの栄光を体験する、ということだ。

・それでは、何のためにこの世に生きているのですか?
 自分が何者かを思い出すため、そして創りなおすためだ。~(中略)~
 あなた方が真の自分になぞらえて自分自身を創り出さなければ、真の自分にはなれないのだから。

・物質的な宇宙に入ったとき、あなたがたは記憶を捨てた。忘れることで、単に王国の城で目覚めるのではなく、自分が何者であるかを選べるようになった。
 あなたは神の一部であると聞かされるのではなく、神の一部としての生き方を自分で選びとる。そうすればすべての選択肢を与えられたうえで、自らを体験することができる。~(中略)~
 あなたがたは自分が何者であるかを思い出す。あるいは自分の各部を寄せ集めて、自分のすべてを、すなわちわたしのすべてを体験する。
 したがって、地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者であるかを学ぶことではなく、(すでに知っているのだから)思い出すことだ。そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。

・すべての思考は創造につながるし、根本的な思考ほど力強い思考はない。だからこそ、その根源的な思考はしばしば「原罪」と呼ばれる。ものごとについての最初の考えが間違っていた、それが原罪である。この間違いは、第二、第三の考えをいだくときに、何度も積み重ねられる。この過ちからあなたがたを解放するために新しい理解を吹き込むこと、それが精霊の役目だ。

・どうすれば、思い出せるんですか?
 まず、静かにすることだ。外の世界を静かにさせて、内側の世界が見えてくるようにしなさい。この内側を見る力、洞察力こそあなたが求めるものだが、外部の現実に心をわずらわせていては決して得られない。だから、できるだけ内側へと入っていきなさい。内側へ入らないときには、内側から外の世界と向かいあいなさい。

・ほかのひとたちの選択に注目しなさい。だが、決めつけたり、批判したりしてはいけない。彼らの選択はいまの時点では完璧だということを知っておきなさい。そして、彼らが新しい選択、異なる選択、より高い選択をしたいと思ったときには、助けてやれるようにそばにいてやりなさい。

・ものごとが明らかに正しいのなら、それをするがいい。だが、何かを「正しい」と考え、何かを「間違っている」と考えるのは、一方的な決めつけだということを覚えておきなさい。ものごとは、あなたがそう言うから、正しいとか間違っていることになるのであって、それ自体に正邪はない。

・もう一度念を押しておこう。偶然というものはないし、なにごとも「たまたま」起こったりはしない。個々の出来事や冒険は、真の自分を創造し、経験するために、あなたがた自身によって呼び寄せられるものだ。〈マスター〉はみんな、それを知っている。だから、神秘な〈マスター〉たちは、人生で(あなたがたが言う)最悪の出来事にぶつかっても動揺したりはしない。

・第一の法則は、あなたがたは自分が想像するとおりになれるし、想像するとおりのことができるし、想像するとおりのものをもてるということだ。第二の法則は、あなたがたは恐れ、不安に思うものを引き寄せるということだ。

・感情は動いているエネルギーである。エネルギーが動くと、効果が表れる。大量のエネルギーが動けば、物質が創り出される。物質は凝縮したエネルギーだ。動きまわり、押しあうエネルギーだ。長いあいだ、一定の方法でエネルギーを操作すれば、物質が得られる。〈マスター〉はすべて、この法則を知っていた。これは宇宙の錬金術だ。すべての生命の秘密だ。

・あなたは自分の信念をもち、自分の価値観に従いなさい。それはあなたがたの親の、そして親の親の価値観だから。友人の、そして社会の価値観だから。自分自身の価値観があなたの人生の骨組みになっている。それを失えば体験の布目がばらばらにほつれてしまう。ただ、価値観をひとつずつ検討しなさい。ひとつずつ、見なおしなさい。家を解体するのではなく、レンガをひとつずつ調べ、壊れていて、もう家の構造を支えられなくなっているものはとり替えなさい。

・あなたが真実だと思っている価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。ところが、他人の体験から自分を創りあげている。
罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。
それが、あなたがたが犯してきた「罪」である。ひとりひとりが犯してきた罪だ。
あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を(文字どおり)福音として受け入れ、実際の体験をするときには、すでに知っていると考えていることをなぞる。
そんなことをしなければ、まったく違った体験ができるのに。その体験は、教師や情報源のほうが間違っていると教えてくれるかもしれない。だいたいあなたがたは親や学校、宗教、伝統、聖書を間違っていると考えたがらない。だから、教えられたと思うことを受け入れて、体験のほうを否定する。

・自分の価値観に従いなさい。それが役に立つと思うあいだは。ただし、その価値観が役に立っているかどうか、最も気高く、すぐれた考えを体験する場を与えてくれているかどうか、思考と言葉と行動を通じて、点検しなさい。
価値観をひとつずつ検討しなさい。外の光にあててみなさい。世界に向かって、自分が何者か、何を信じているかを、ためらわず、はっきりと言いきれるなら、あなたは幸せだ。

・あなたがたの三つの要素は、実際には三つのエネルギーである。それを思考、言葉、行為と呼んでもいい。この三つがあわさって結果が生じる。あなたがたはそれを、感情とか経験と呼んでいる。
あなたがたの〈魂〉ーつまり超意識、イド(イデー)、霊魂、過去ーは、かつて経験した(創造した)すべての感情の総和である。その一部で、意識のなかに浮かび上がってきたものを記憶と呼ぶ。それが、思い出す(re-member)ということだ。思い出すとは、かつて経験した感情をふたたびメンバーにする、部分を集め、並べかえるということだ。
自分の部分を集めて並べかえると、真の自分が思い出される。

・創造のプロセスは思考から始まる。考え、概念、ヴィジョンだ。あなたが見ているものはすべて、かつて誰かの思考だった。すべて、最初は純粋な思考から始まっている。それ以外のものは存在しない。
これは宇宙でも同じことだ。
思考が創造の最初の段階。
つぎに言葉がくる。
あなたが言うことはすべて、考えたことの表れである。言葉は創造につながり、創造のエネルギーを宇宙に放出する。言葉は思考よりダイナミックだ(より創造的だと言っていい)。なぜなら、言葉と思考は波動のレベルが異なる。言葉は思考より大きな衝撃を与えて宇宙をゆるがす(変化させ、改め、影響を及ぼす)。
言葉が創造の第二の段階。
つぎに行為がくる。
行為は動いている言葉である。言葉は考えたことの表れである。考えるとは思いをかたちづくること、思いとはエネルギーの集まりである。エネルギーは放出された力である。力は実在の要素である。要素は神の分子で、すべての成分であり、あらゆるものの実体である。

・愛とは感情ー憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望などーがないことではなく、あらゆる感情の総和だ。あらゆるものの集合、すべてである。
だから、魂が完璧な愛を経験するには、「人間のあらゆる感情」を経験しなければならない。

・人生は創造であって、発見ではない。あなたがたは、人生に何が用意されているかを発見するために毎日を生きているのではなく、創造するために生きている。自分では分かっていないだろうが、あなたがたは、一瞬一瞬、自分の現実を創造している。私はくり返し、そう話してきた。
どうしてそうなるのか、どんなふうに創造しているのかをまとめてみよう。
①わたしは神の姿をかたどり、神に似せて、あなたがたを創造した。
②神は創造者だ。
③あなたがたは三つが一体になった存在だ。その三つをどう呼んでもいい、父と子と精霊でもいいし、精神と身体と霊でもいいし、超意識と意識と無意識でもいい。
④創造とはその三つの部分から生ずるプロセスである。言い換えれば、あなたがたの創造には三つの段階がある。創造の道具は思考、言葉、行為だ。
⑤すべての創造は思考から始まる(「父から生じる」)。すべての創造はつぎに言葉になる(「求めなさい、そうすれば与えられるだろう。話しなさい、そうすれば成就するだろう」)。すべての創造は行為によって成就される(「言葉はひととなって、わたしたちの間に住まわれた」)。
⑥あなたが考えるだけで言葉に出さなくても、ひとつの段階での創造だ。考えて言葉にすれば、もうひとつの段階での創造になる。あなたが考え、語り、行動すると、具体的な現実になる。
⑦ほんとうは信じていないことを考えたり、語ったり、行動したりすることはできない。だから、創造のプロセスには信念、つまり知るということが含まれる。絶対的信頼だ。願うだけでなく、確実にそうなると知っていなければならない(「あなたは信仰によって癒される」)。したがって、創造行為には、つねに知識が含まれる。何かを身体で理解し、まるごと確信する、「完全に受容する」ということだ。
⑧そこまでわかっていれば、強い感謝の気持ちが生まれる。感謝せずにはいられない。それがたぶん、創造の最大の鍵だ。創造が具体化する前に、創造に感謝することだ。願いは当然かなえられると信じることだ。そう信じてもいいどころか、信じたほうがいいのだ。それこそが悟りの確実なしるしだ。すべての〈マスター〉はあらかじめ、ことが成就すると知っていた。
⑨あなたが創造するすべて、創造したすべてを祝福し、楽しみなさい。一部での否定すれば、自分の一部を否定することになる。あなたの創造の一部としてどんなものが現れようとも、それを自分のものとし、祝福し、感謝しなさい。非難しないように努めなさい(「非難するなんて、とんでもないことだ」)
⑩自分が創造したなかで、楽しめず、祝福できないものがあったら、選びなおしなさい。新しい現実を呼び出しなさい。新しいことを考え、新しい言葉を口にし、新しいことをしなさい。立派にやり直せば、世界はあなたについてくるだろう。「わたしが生命であり、道だ。ついてきなさい」と言いなさい。
これが神の意志を「天国と同じく、地上にも」実現させる方法だ。

・情熱はほんとうのわたしたちを表現したいという思いを駆り立てる火である。決して情熱を否定してはいけない。否定すればあなたが何者であるか、ほんとうは何者になりたいかを否定することになる。

・〈真のマスター〉とは、生徒がいちばん多いものではなく、最も多くの〈マスター〉を創り出す者である。
 〈真の指導者〉とは、追随者がいちばん多い者ではなく、最も多くの指導者を創り出す者である。
 〈真の王者〉とは臣民がいちばん多い者ではなく、最も多くの者に王者らしい尊厳を身につけさせる者である。
 〈真の教師〉とは知識がいちばん多い者ではなく、最も多くの者に知識を身につけさせる者である。
 そして〈真の神〉とは信者がいちばん多い者ではなく、最も多くの人びとに仕える者、したがって他のすべての者を神にする者である。
 それが神の目標であり、栄光である。信者がもはや信者ではなくなることを、神とは到達できない存在ではなく、不可避の存在であることをみんなが知ることだ。

・人間関係の目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することであって、相手のどんな部分を把握し、つかまえておきたいかを決めることではない。
人間関係の目的はひとつしかないーそれは、人生のすべてに言えることだ。目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである。

・人生に特別な相手が現れて自分が満たされたと感じる、というのは非常にロマンティックだ。だが、人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」ーつまりほんとうの自分という存在をまるごとー分かち合う相手を持つことだ。
ここに、すべての人間関係のパラドックスがある。ほんとうの自分を充分に経験するためなら、特別の相手を必要としない・・・ところが、他者がいなければあなたは何者でもない。これが人間の経験の謎でもあり、驚異でもあり、いらだちのたねでもあり、喜びでもある。このパラドックスのなかで意味のある生き方をするためには、深い理解と大きな意志が必要だ。これができる人間は非常に少ない。

・人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。

・他との関係で、あなたには何の義務もない。ただ、機会があるだけだ。
 義務ではなく機会、それが宗教の要石であり、本質的ないのちの基盤である。そこを逆に考えているかぎり、いつまでたっても肝心なことがわからないだろう。~(中略)~
 結婚は神聖だとされている。だが、神聖な義務だからではなく、比類ないチャンスだからだ。

・お互いが、人間関係の目的は義務ではなく機会を創り出すことだと考えれば、成長し、自分を充分に表現し、人生をできるだけ高い位置に引きあげ、自分自身にいだく間違った考えや卑小な考えを癒し、最後には二人の魂の合体を通じて、神とひとつになるための機会を創り出すことだと確信すればーそしてあなたが、これまでのような誓いではなく、そういうことを誓えばー人間関係はとても良くなる。正しい一歩を踏み出すことができる。非常にすばらしい出発点になる。

・存在は存在を引きつけ、経験を生む。
 あなたは身体によって何かを生むためにこの地上にいるのではない。魂によって何かを生むために、この地上にいる。身体は魂の道具にすぎない。身体を動かす動力はあなたの精神だ。だから、あなたが地上にもっているのは、魂の欲求に従って創造するための動力機械なのだ。

・純粋な選択は、たったいまも最高の考えを創造することを通じて、救済を生んでいる。
魂の働きとは、その欲求を示唆することであって、押しつけることではない。
精神の働きとは、選択肢のなかから選択することだ。
身体の働きとは、選択を行動に移すことだ。
身体、精神、魂が一体となって調和し、ともに創造するとき、神が肉体化する。
そのとき魂は自らの体験のなかで自らを知る。
そして、天はそれを喜ぶ。
この瞬間にも、あなたの魂は、あなたがほんとうの自分を知るために存在し、行動し、所有する機会を創造している。


今まででいちばん長い抜粋だったかもしれない・・・超疲れた。
ちなみに本も結構長く、読むのに半月以上かかった・・・
でも学ぶことはとても多くあったと思う。
内容は忘れるかもしれないが、ここに書いたことは忘れないようにしてちょくちょく見返したいと思う。


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